日誌


2023/12/13

POLITICAL ECONOMY第253号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
死に至るケアの放棄
             街角ウォッチャー 金田麗子

 昨年末、息子の父親が緊急搬送されたと連絡があった。医師によると、持病のパーキンソン病の影響もあり予断を許さない状況で、肺炎が両方の肺に広がっていた。息子の父とは事実婚のパートナーだったが、20年近く前に別れ、その後友人として、息子の両親としての交流を続けてきた。

 久しぶりに会った息子は、「ごみの中で暮らしているんだよ」と涙ぐんでいた。先天性の指定難病の患者である息子は、病状の悪化だけでなく、同じ環境で暮らしていることから自身も父と同様肺に疾患があるのではと、不安に駆られているのだった。

 家は散乱するごみとこびりついた埃、黒ずんだ黴でびっしりと覆われていた。元パートナーのベッドはマットレスがボロボロに破れ、じっとりと濡れていた。息子が医師に、肺炎の原因を「家がゴミ屋敷で」と何度も言ったのに納得。「お父さんが退院する部屋を作ろう」と、一緒に片付けと掃除に奮闘、何とか衛生面の確保ができるまでに復活させた。

家の片付けはなぜできないのか

 元パートナーは、もともと片付けや掃除家事の得意な方でなかったが、それでも「お父さんは料理を習ったり、洗濯も良くして努力していた」が、「片付けることを考えると気もちが萎えてしまう」と語っていたという。

 どうしてゴミ屋敷になったのか。原因は主に四つあると思った。
一つ目は片づけをする、掃除をする理由や必要性を理解できていなかった。
二つ目は技術的な教育を受けていないから実行できなかった。
三つ目は、息子自身長時間労働で、掃除片付けをする時間が十分になかった。
四つ目は、第三者に助けを求めなかったこと。特に病気になって以降は助けを求めて欲しかった。

 元パートナーは、77歳で労働組合の役員の現役だった。パソコンの中には、活動分野ごとに整理され、紙のファイルでも、H12年からそれぞれの会議議事録がファイリングされ棚に並んでいた。彼にとってはこれらの整理は、当然で意味のあることだったのだろう。

 しかし家の片づけや掃除に価値を見出せなかった。これは彼個人の資質の問題だけではない。

 人間は誕生から、誰かが面倒を見ないと生きていけない。睡眠不足になりながら母乳やミルクを与え、おむつを替え、沐浴させ、洗濯をして、清潔な環境を保ち、病気になれば看病をして、どんな動物より独り立ちまでに長い時間がかかる。長じてからも、経済活動、社会活動を行うためには、十分な衣食住環境が不可欠で、いつも誰かがケアをしてきた。ケアの担い手は母や祖母、姉など女性が担うものだという実態と社会通念の下で、当然の如く享受してきたのだ。

 阿古真理と藤原辰史(「現代思想」2022年2月号「家政学の思想」)ケアの家政学)によると、家事は自身と他者のケアにつながる重要なもので、家事を習得することが自立の助けになるという。家事は暮らしの基盤となる環境や、日々使っている道具をメンテナンスする行為であり、家事のほとんどは「元に戻す」ことである。原状復帰をし続けるのが家事で成果が見えにくく、一人で引き受けるとしんどくなる。元パートナーが片づけを考えるとどんよりするのは当然だった。

 片付けや掃除は技術が必要だが、学ぶ機会はほとんどないのが現状。家庭科共修は、1993年中学校、1994年高校で実施された。元パートナーはこの以前の世代である。しかも「家庭科」は軽視され、国語数学などより下位におかれている。

 暮らしの実態は、そうした科目を身に着けてお金を稼ぐ仕事と、自宅での家事の両輪で回っているのに。授業時間数は中学3年間で、週2.5時間のみ。高校だと週2時間で1年間に限定されている。どの項目も、人が生きていく上で不可欠な能力を身に付けるために必要で、「知識が無ければ死を招いてしまう」と指摘する。まさに元パートナーの身に起きたことだった。

ケアを保障しない職場

 息子自身は、外食産業のチェーン店で勤続17年の非正規労働者。7年前からは社会保険対象の従業員となり、かなりの長時間労働だという。そのため以前は自分が片付けていたが、どんどんできなくなっていたと嘆く。息子の職場では、正社員はエリアマネージャーだけで現場労働者は非正規社員の配置。正社員はさらに長時間労働でほとんど休めないし、私生活の時間も持てないという。

 日本の男性の生活時間の短さは、OECDが2020年にまとめた国際比較データによると、14カ国の男性平均は5時間17分なのに、日本男性は7時間32分と長く、その分生活時間はほとんどない。自身先天的な病気がある息子は、「あの働き方は無理」と、社員になることは断念していた。

 元パートナーは、パーキンソンを発症してから地域包括センターに相談し始めていたが、部屋の状況もあって家庭訪問を断っていたという。私もこの20年ずっと手伝いを申し出ていたが、いつも「大丈夫」と軽くかわされていた。倒れて入院し、不在にならないと家の片づけに介入できなかった。愛して大切にしていた息子のためにも、早く外の力に頼ってほしかった。

 誰でも自分の力だけで生活できなくなる日は来る。生まれた時から、他者のケアに頼り守られ生きてきた歴史と事実があることを認め合い、ケアが保障される社会でなければ、自分自身の命に係わることを自覚しなければならないと思う。

17:51

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告