死に至るケアの放棄
街角ウォッチャー 金田麗子
昨年末、息子の父親が緊急搬送されたと連絡があった。医師によると、持病のパーキンソン病の影響もあり予断を許さない状況で、肺炎が両方の肺に広がっていた。息子の父とは事実婚のパートナーだったが、20年近く前に別れ、その後友人として、息子の両親としての交流を続けてきた。
久しぶりに会った息子は、「ごみの中で暮らしているんだよ」と涙ぐんでいた。先天性の指定難病の患者である息子は、病状の悪化だけでなく、同じ環境で暮らしていることから自身も父と同様肺に疾患があるのではと、不安に駆られているのだった。
家は散乱するごみとこびりついた埃、黒ずんだ黴でびっしりと覆われていた。元パートナーのベッドはマットレスがボロボロに破れ、じっとりと濡れていた。息子が医師に、肺炎の原因を「家がゴミ屋敷で」と何度も言ったのに納得。「お父さんが退院する部屋を作ろう」と、一緒に片付けと掃除に奮闘、何とか衛生面の確保ができるまでに復活させた。
家の片付けはなぜできないのか
元パートナーは、もともと片付けや掃除家事の得意な方でなかったが、それでも「お父さんは料理を習ったり、洗濯も良くして努力していた」が、「片付けることを考えると気もちが萎えてしまう」と語っていたという。
どうしてゴミ屋敷になったのか。原因は主に四つあると思った。
一つ目は片づけをする、掃除をする理由や必要性を理解できていなかった。
二つ目は技術的な教育を受けていないから実行できなかった。
三つ目は、息子自身長時間労働で、掃除片付けをする時間が十分になかった。
四つ目は、第三者に助けを求めなかったこと。特に病気になって以降は助けを求めて欲しかった。
元パートナーは、77歳で労働組合の役員の現役だった。パソコンの中には、活動分野ごとに整理され、紙のファイルでも、H12年からそれぞれの会議議事録がファイリングされ棚に並んでいた。彼にとってはこれらの整理は、当然で意味のあることだったのだろう。
しかし家の片づけや掃除に価値を見出せなかった。これは彼個人の資質の問題だけではない。
人間は誕生から、誰かが面倒を見ないと生きていけない。睡眠不足になりながら母乳やミルクを与え、おむつを替え、沐浴させ、洗濯をして、清潔な環境を保ち、病気になれば看病をして、どんな動物より独り立ちまでに長い時間がかかる。長じてからも、経済活動、社会活動を行うためには、十分な衣食住環境が不可欠で、いつも誰かがケアをしてきた。ケアの担い手は母や祖母、姉など女性が担うものだという実態と社会通念の下で、当然の如く享受してきたのだ。
阿古真理と藤原辰史(「現代思想」2022年2月号「家政学の思想」)ケアの家政学)によると、家事は自身と他者のケアにつながる重要なもので、家事を習得することが自立の助けになるという。家事は暮らしの基盤となる環境や、日々使っている道具をメンテナンスする行為であり、家事のほとんどは「元に戻す」ことである。原状復帰をし続けるのが家事で成果が見えにくく、一人で引き受けるとしんどくなる。元パートナーが片づけを考えるとどんよりするのは当然だった。
片付けや掃除は技術が必要だが、学ぶ機会はほとんどないのが現状。家庭科共修は、1993年中学校、1994年高校で実施された。元パートナーはこの以前の世代である。しかも「家庭科」は軽視され、国語数学などより下位におかれている。
暮らしの実態は、そうした科目を身に着けてお金を稼ぐ仕事と、自宅での家事の両輪で回っているのに。授業時間数は中学3年間で、週2.5時間のみ。高校だと週2時間で1年間に限定されている。どの項目も、人が生きていく上で不可欠な能力を身に付けるために必要で、「知識が無ければ死を招いてしまう」と指摘する。まさに元パートナーの身に起きたことだった。
ケアを保障しない職場
息子自身は、外食産業のチェーン店で勤続17年の非正規労働者。7年前からは社会保険対象の従業員となり、かなりの長時間労働だという。そのため以前は自分が片付けていたが、どんどんできなくなっていたと嘆く。息子の職場では、正社員はエリアマネージャーだけで現場労働者は非正規社員の配置。正社員はさらに長時間労働でほとんど休めないし、私生活の時間も持てないという。
日本の男性の生活時間の短さは、OECDが2020年にまとめた国際比較データによると、14カ国の男性平均は5時間17分なのに、日本男性は7時間32分と長く、その分生活時間はほとんどない。自身先天的な病気がある息子は、「あの働き方は無理」と、社員になることは断念していた。
元パートナーは、パーキンソンを発症してから地域包括センターに相談し始めていたが、部屋の状況もあって家庭訪問を断っていたという。私もこの20年ずっと手伝いを申し出ていたが、いつも「大丈夫」と軽くかわされていた。倒れて入院し、不在にならないと家の片づけに介入できなかった。愛して大切にしていた息子のためにも、早く外の力に頼ってほしかった。
誰でも自分の力だけで生活できなくなる日は来る。生まれた時から、他者のケアに頼り守られ生きてきた歴史と事実があることを認め合い、ケアが保障される社会でなければ、自分自身の命に係わることを自覚しなければならないと思う。