選挙のキャッチフレーズを考える
課題は新たな社会的連帯の価値観の醸成
季刊「言論空間」編集委員 武部 伸一
2025年7月参議院選挙は、国民民主党、そして新興政党の参政党が大きく議席を伸ばした。国民民主党の選挙向けキャッチフレーズ(以下キャッチ)は前回衆院選に続き「手取りを増やす」、参政党のキャッチは「日本人ファースト」であった。
特に参政党の「日本人ファースト」はSNSでの注目ワードとなり、その現象をマスコミでも取り上げる中で急速に今回選挙の「争点」に浮上した。
「手取りを増やす」「日本人ファースト」について、政治主張としての評価はマスメディアでも、またネット上の様々な論考でも取り上げられている。今回の小論では選挙のキャッチフレーズの変遷から人々の「政治感情」について考えてみる。
「自民党をぶっ壊す」、「身を切る改革」・・・
2000年以降まず自民党が大勝した選挙は、小泉首相の下で郵政民営化を掲げ大勝した2005年夏の衆議院選挙。自民党のスローガンは「改革をとめるな」であったが、今では忘れられているだろう。むしろ小泉首相自身が街頭で多用し、人々の心に刺さったキャッチは「自民党をぶっ壊す」だった。刺客選挙がマスコミで面白可笑しく報道され、連日連夜ひびき、このまったく矛盾した非論理的なキャッチの下で小泉自民党は大勝し、日本経済を新自由主義へと大きく進めた。
2009年夏、民主党政権誕生の選挙スローガンは「政権交代。国民の生活が第一。」。民主党の勝利は、無駄な公共事業に象徴される自民党長期政権への圧倒的な不信からだった。それは多分に感情的なノーだったと思う。3年後、2012年12月総選挙での自民党のスローガンは「日本を、取り戻す」。やはり政策・スローガンが支持を得たというより、民主党政権から人心が離れたことによって、安部自民党は政権を取り戻した。
注目は2010年以降、大阪維新・日本維新の会が一貫して「身を切る改革」を掲げて、大阪・関西では大きな支持を得ていることだ。身を切る改革の前提には、大阪(日本)では「既得権益層」が利権を漁っている、だから自ら身も切ることを恐れず改革をしようとの主張である。これは小泉の「抵抗勢力と戦う」アピールと同じく、仮想敵を作り人々のネガティブな感情を刺激しながら、自党への支持を訴える手法だ。
小泉自民党、大阪維新、そして直近の国民民主党、参政党まで、政党のキャッチフレーズが人々の政治に対する「感情」(ネガティブ感情も含み)にはまった時、人々は大きく共感して当該の政党に投票、議席を与えてきたと言えるだろう。
社会的価値観としての人権の内実が問われる
その時々に選挙結果を大きく左右する人々の政治的な感情、それは非理性的なものとして否定されるべきだろうか?
人間は生きる限り喜怒哀楽の感情を抱く。人々の「政治的な感情の揺れ幅」も同じだろう。議会制民主主義である限り、有権者の政治感情は揺れ動き、投票結果に反映される。感情は否定して否定できるものではない。
だが政治的感情が暴走した結果、破滅への道を辿ったのがナチスドイツ政権だったことを想起する。ヒトラーはワイマール憲法下の正当な選挙で政権を奪取した。議会制民主主義はその危うさを抱えているのだ。
では、政治感情の暴走を食い止めるものは何だろうか? 今、日本人の大多数は「戦争は絶対にしてはいけない」と考えているだろう。しかし戦前はそうではなかった。大多数の日本人は皇軍の勝利を望んでいたのだ。300万人の軍人・民間人の死と敗戦という結果を受けて、「戦争はもう嫌だ」との強烈な感情から「戦争だけはダメ」との日本人の価値観が育ったと言えないか。(3000万人のアジア民衆の死に目が向いていないとはいえ)日本人多数の「非戦」価値観と平和憲法の下、日本はまがりなりにも直接の戦争に参加せずにすんでいる。
感情は揺れ動いても、社会の多数が心に据えた価値観は長く維持されるように感じる。
そしてまた社会的価値観は育てることも出来る。「人権」も大日本帝国憲法下の日本では確立されえない概念だった。今の社会で人権尊重について反対する人は少ないだろう。
問題は社会的価値観としての人権の内実だ。「日本人ファースト」の背景にある差別排外主義を許容する風潮は一朝一夕にできたものではない。おそらくここ10年20年、それは社会の中で徐々に形成された。差別排外主義に共感する政治感情を(それは人々の?奪感と不安感が基礎だ)異なる水路へ導くため、「人権」のアップデート、新たな社会的連帯の価値観をどう育てるかが課題なのだと思う。
国民民主党、参政党の主張が人々の共感を得て、支持を急伸させたフィールドは「ネット空間」にある。様々な問題がありつつSNSも現代の「言論空間」であることは避けられない現実なのだ。ネット「言論空間」で反差別排外主義、社会的連帯を掲げる幅の広い人々のつながりが求められている。我々の価値観を育てるために。