日誌

これまで発行の「POLITICAL ECONOMY]、「グローカル通信」
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2025/01/30

POLITICAL ECONOMY第280号

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第2次トランプ政権と米国覇権の行方

          横浜アクションリサーチ 金子 文夫

 第2次トランプ政権が発足して40日が経過した。この間、洪水のように大統領令を乱発し、米国国内も国際社会もトランプの言動に振り回されている。トランプ政権は何を目指しているのか、世界の覇権構造はどのように変貌していくのか、先行きはなお不透明だが、とりあえず現状を整理しておきたい。

大統領令の乱発

 トランプ大統領は最初の1か月だけで100件以上の大統領令(行政命令・覚書・布告)に署名した。国内政策では第一に、イーロン・マスク率いるDOGE(政府効率化省)を通じた政府機関の解体、政府職員の大量整理があげられる。国際開発局、消費者金融保護局の業務停止をはじめ、国防総省、中央情報局を含めて多数の政府機関に大幅な人員削減を迫っている。また、DEI(多様性、公平性、包摂性)を推進する政府内の部署の廃止を実施した。

 第二は移民排斥政策であり、「不法移民」の強制送還、メキシコ国境への米軍動員、壁の建設をはじめ、合法移民の規制、国籍付与の「出生地主義」の修正などが打ち出された。その他、環境・エネルギー政策の転換では、「パリ協定」からの離脱、化石燃料開発の促進策を実施した。さらに、法人税・所得税の減税政策、企業活動の規制緩和策が予定されている。

 対外政策では第一は関税政策であり、中国には、第1期政権期の関税引上げ策を継承し、新たに10%の追加引上げに踏み切った。隣国メキシコ、カナダへは、合成麻薬流入を理由に25%課税を提起したが、実施は延期されている。その他、鉄鋼、アルミ、自動車への25%追加関税、すべての国からの輸入品への一律10~20%関税、特定の相手国に対する相互関税など、様々な関税発動を予告している。

 第二に国際協調システムからの離脱だ。気候変動に関する「パリ協定」離脱、WHO等の国際機関からの撤退、国際課税協定・国際租税協力枠組条約交渉からの撤収などが目に付く。

 第三に、目下の二つの戦争に対する積極的な停戦工作だ。パレスチナ戦争では停戦協定の実施が進むなかでイスラエル寄りの姿勢を強め、ガザを所有してリゾート開発する構想を打ち出した。ウクライナ戦争では、米ロの2国間交渉を先行させ、ウクライナ、欧州諸国の関与を後回しにした。

引き起こされる内外の混乱

 第一に、大統領令の拙速な発動が現場に様々な混乱を引き起こした。政府機関の閉鎖、職員のリストラは、通常業務の停止、大統領令の執行停止を求める訴訟の多発、連邦地裁による差し止め命令など、総じて連邦政府の機能停滞といった事態を生んでいる。ただ、こうした混乱が生じるとしても、いずれ最高裁によって訴訟は終結し、行きすぎは是正されながら、行政整理は進行していくだろう。

 第二に、関税引上げが広範囲の輸入品に適用されれば、国内的にはインフレ、世界的には貿易の停滞、成長率鈍化を引き起こすだろう。移民排斥も低賃金労働力の不足に帰結し、インフレに結びつく。減税政策も同様の効果をもつ。バイデン政権下のインフレを非難して選挙に勝ったトランプだが、このままではインフレは避けられないように思われる。
 
 第三に、米国第一主義による国際システムの混乱だ。国際社会をリードしてきた米国がリード役を降りることになれば、様々な空白、停滞が生じる。「パリ協定」離脱は気候変動への取り組みに打撃を与える。デジタル課税協定も実現一歩手前で頓挫した。ウクライナ停戦交渉をめぐっては米国・欧州間に深い亀裂が生じた。国連総会の決議では、ロシアを非難する欧州等提案と非難を避けた米国提案が並列する形となり、亀裂が表面化した。G7、G20 の運営も混迷するだろう。

世界覇権構造の変貌

 トランプ政権の米国第一主義には二重の意味が込められている。第一は狭義の国益優先であり、覇権国に求められる国際貢献は軽視される。第二に、軍事力・経済力では超大国として世界第1位の座を維持することだ。従って、その地位を脅かす中国の台頭は抑え込む意思が強烈に発動される。超大国の特権、軍事的・経済的威圧を駆使して、ディールという手法で米国の国益確保を図ることになる。

 覇権国に相応しい国際貢献を果たさず、自国本位で普遍的理念(人権、法の支配等)を提供できない米国は、国際社会における信認を低下させ、友好国の離反を招かざるをえない。米国は国際社会をリードする覇権国の地位から後退し、代わりに中国が台頭してくるだろう。しかし中国も超大国とはいえ、普遍的理念を供給して世界から信認を得る覇権国にはなりえない。とすれば、世界は超大国として対立する米中と、これに続くEU、ロシア、インド、その他グローバルサウスが並立する、覇権国不在の多極化世界に向かうことになるだろう。多極化世界では各国が自国中心主義に走り、軍備増強に傾いて国際社会が不安定化する危険性がある。国連を軸とした多国間協調・連携が何よりも重要になるだろ
う。

17:46
2025/01/13

POLITICAL ECONOMY第279号

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「自立」「安全」「安定」の共同生活のために「管理指導する」
―精神障がい者グループホーム職員の正しい仕事?!―
      
                               街角ウォッチャー 金田麗子

 変なタイトルだが、精神障がい者の援護寮や生活訓練施設、グループホームで30年間働いてきた「まじめな」ベテラン職員と一緒に働く機会があり、その言動からその職員がタイトルのようなことを心から正しいと信じていることに驚いた。

 「甘え」「依存」につながるから「居室支援」という掃除支援は許さない。体調悪化の訴えは「怠けるための嘘」や「思い込み」につながるから安易に取り上げない。太りすぎ、食べ過ぎを防ぐために食事指導という名目で管理指導する。恋愛禁止ではないが、デートにも同行し、自由な行動を制限する。B型作業所に通所を希望する利用者も「デイケアに通所していろ」と認めない。自らを「先生」と呼ばせ、30年のキャリアからくる自信満々の職員である。

「利用者にやらせればいいのよ」

 私はこの精神障がい者のグループホームで6年働いているが、入職当時外部監査で、カビだらけの風呂場やトイレなどの汚れを指摘されていた。この数年、職員と非常勤スタッフが、掃除を徹底し清潔な空間を心がけてきたのだが、冒頭の職員に変わったとたん「利用者にやらせればいいのよ」「なんでもやってやると依存するだけよ」と断じてきた。

 以前私が勤務していた知的障がい者グループホームでも、責任者は食堂のテーブルが汚れても拭かなくてよいと言っていた。各自の居室掃除も、以前はヘルパーを入れてやっていたが、それを止めて「利用者さんがやりますから」と職員が利用者を指導してやらせるという名目に代わり、結局しないから居室は荒れる一方。

 別のグループホームでは、食事制限を徹底していた。利用者の菓子などの嗜好品はすべて事務所管理。ご飯はスタッフが茶碗に半分あらかじめ盛り付けし、おかわりは認めない。「利用者さんの健康維持のために、私たちがお手伝いできることは、こんなことだけですから」職員は真顔で言っていた。

 利用者が、腰が痛い足が痛いというと「太りすぎで負担がかかっているから」と言われるのは、なぜかどの施設も共通。不調を訴えても、精神科以外の医療機関にはつながず、「様子を見よう」「精神科で相談して」と言う対応が多い。

 私が現在の施設に入職した時、目が見えていないと感じた利用者は、ひどい白内障なのにずっと放置され、昨年やっと手術し「よく見える」と喜んだ。近年、八王子の滝山病院や、神奈川県の中井やまゆり園などで問題になっている、医療ネグレクトは決して特殊ではなく、よくある構造なのである。

「知的障害者施設潜入記」が示す実態

 こんなことを思っていたら、「知的障害者施設潜入記」(織田淳太郎、光文社新書)という新刊書が出た。内容は、作業所も施設もいかに管理的で、自由がなく懲罰的で暴言、体罰が横行しているというものだ。

 「利用者に甘く見られないよう厳しく接しなければならない」「やっていいことと悪いことを覚えさせるため」障がい者たちの私生活いっさいに監視の目を光らせる。年齢も上の人にも命令口調でお前呼ばわりの叱責が日常茶飯事、他の利用者を守るため」という名目で暴れる利用者にプロレス技をかける。

 本書では職員の言動の原因として、心理学的な「転移」「逆転移」という概念を示しているが、私はそもそも、障がい者への介護介助の仕事に対する理念に原因があるのではないかと思う。

 障がい者自立支援法制定以降、厚生労働省もかつての長期にわたる病院や施設入所から、地域での生活拠点への移行を推進している。2019年にグループホーム入居者数が入所施設の入所者数を逆転し23年には17万人を超えている。

 しかしながらグループホームにおいても、不適切な対応が続いていることは、前述の事例や、新聞報道でも明らかである。その根底は何か。参考になる資料として次の二つを示したい。

障がい者の言葉に耳を傾けない介護者

 「介助者たちは、どう生きていくのか」(渡邉琢、生活書院)によると、多くの自立障がい者は、介護福祉士等の資格を持った介護者に批判的だという。その理由として、「介護の有資格者は、障がい者を人として見るのではなく、介護する相手として見て、どのくらい介護が必要か、どのくらい自立しているかなどを、介護者の目線で判断し評価するところから介助に入る。しかも介護を学んだという自負心から、障がい者の言葉に素直に耳を傾けないことが多い」という

 「生の技法-家と施設を出て暮らす障害者の社会学」(安積純子他、生活書院)では、福祉的配慮とは、いかなる論理でどのようにして、「管理」「隔離」が導き出されてくるのかという点で、参考になるとして「新・療護施設職員ハンドブック」(全社協、1988年)が紹介されている。

 福祉的配慮はおよそ二つのラインに即して記述される。一つは能力評価に応じて判断される「弱者」の理論。もう一つは「病気」の概念である。

 「弱者」の理論は隔離管理の根拠、自由の制限の正当化につながる。金銭管理、外出制限、食事時間厳守、整髪、入浴、睡眠など、望ましい状態は職員が知っていて、入所者の欲求がそちらの方向で充足されるように介護する。「ある時に教師的に導き、強力に望ましい方向に推し進めていくのが本当の介護」という。だから職員は「先生」で、障がい者は「子ども」扱いなのである。

 「障害者施設潜入記」に記されている職場で、冗談好きで明るい人なのに、グループホームでは自宅から登山用の杖を持参し、監視しつけ管理教育的指導のために、恫喝や暴力をふるっていた職員が、利用者との暴力的確執関係の継続でノイローゼ状態になり、自ら希望して現場を外れ配置転換されたと記述があった。

 利用者に対し、管理的対応をすることが、職員自身や職場も疲弊させているのである。職員個人の資質の問題や意識に還元するのではなく、「当事者主義」の基本に立ち返って、厚生労働省が新たな支援の指針を確立しなければ、施設であれ、グループホームであれ、居宅での介護ヘルパーの対応であれ、障がい者の人権が守られることは不可能だし、介護職員も疲弊して減少していくことに歯止めはかからないのである。

17:36
2024/12/30

POLITICAL ECONOMY第278号

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フジテレビ、親会社の責任はどうなっているのか
                              金融取引法研究者 笠原 一郎
 
 このところのテレビ報道・ワイドショーは、フジテレビ(以下「フジTV」という)をめぐる有名タレントが引き起こしたとされる深刻な人権トラブル事案(以下「本トラブル事案」という)にかかる情報一色となっている感がある。トラブル事案の事実確認については、すったもんだの末に設置される第三者委員会の調査に委ねるとして、ここでは上場持株会社であるフジ・メディア・ホールディング(以下「フジMHD」という。)のメディア事業子会社のフジTVにおけるリスク管理ガバナンスと、これを指揮・監督すべきフジMHD取締役たちの責務についてコーポレート・ガバナンスの視点から考えてみたい。

 日本において持株会社が解禁されたのは、1995年と歴史的にはそれほど古いものではない。他の会社の株式を保有・支配することを通じて収益をあげる持株会社という会社形態は、戦前日本おいて独占的に経済・産業を支配した財閥の復活につながるものとして、戦後の長い間、独占禁止法により禁じられていた。しかしながら、持株会社には、統一した指揮のもとで効率的なグループ経営を行えることにメリットがあるとされ、フジMHDもこの組織形態をとっている。

親会社は子会社を監視する義務を負う

 この持株会社によるグループ経営においては、子会社の事業が適正に行われず、すなわち、本トラブル事案にあるようなフジTVの不祥事では、子会社の企業価値の低下から持株会社たるフジMHDの企業価値(株価)も低下する(現実には、フジMHDの株価は上昇局面もみられたが、、、)。会社法上では、この子会社であるフジTVの業務執行につきその決定・実行をするのは、フジTVの取締役であるが、一方で、会社法には、内部統制システムとよばれるルールが存在する。これは親会社・子会社からなる企業集団の業務の適正を確保するための体制の構築を求めるものである。また、親会社の取締役には、善管注意義務の一つとして、子会社を監視する義務を負うものとされている(伊藤靖史ほか『会社法』有斐閣 参照)。長々と説明したが、これが持株会社の形態をとる企業グループのコーポレート・ガバナンスの基本フレームであると考える。

 フジMHDホームページに掲載されている「コーポレート・ガバナンスに関する基本方針」では、基本的な考え方として、放送法に基づく認定放送持株会社として、メディア産業を取り巻く環境変化にいち早く対応し、企業価値を向上させるためには、この持株会社の形態がグループの経営資源の最適な配分が行える最も適した組織形態であると謳う。放送の公共性を重んじ、もって社会的責任を全うする基本理念に基づき、・・・グループ全体のコーポレート・ガバナンスの体制について検討を続けます、とある。

 本トラブル事案について、上記の「コーポレート・ガバナンスに関する基本方針」を踏まえ、メディア事業子会社であるフジTV、そしてその持株親会社であるフジMHDの対応を振り返ってみると、この持株会社という組織形態が、経営資源の効率性を優先するあまり、フジMHDが負うべき放送の公共性とその社会的責任に対して、いかにその責任の所在を曖昧にする、すなわちガバナンス機能が欠落した形態であることが、明らかになった感がする。

 現実の子会社であるフジTVのリスク対応・危機管理の拙さをみてみると、本トラブル事案が週刊誌で報じられた直後に、時を置かず「会社の関与なし」とのコメントを発信し、世論はその調査内容に疑念を抱いた。こうした世論に押されて、今月中旬に行われた第一回目「会社説明」では、フジTV社長の定例会見という形式での開催として、限定した記者に対してのみで、しかもテレビメディアであるフジTVがテレビカメラを拒否したことで、トラブル事案にかかる説明の内容よりも、その開催形式に批判が集中し、CMの多くはACジャパンに差し替えられた。ついには第二回目の10時間超のカオスともいえる説明会開催に追い込まれることになった。

フジMHDの取締役は何をしていたのか

 ここまでで子会社を指揮・監督すべきフジMHDの姿が、まったくと言っていいほどに見えてこない。企業集団の業務の適正を確保するための体制構築の責を負うべきフジMHDの取締役たちはいったい何をしていたのであろうか(辛うじて、第二回目の説明の後に、社外取締役が共同して経営刷新の声明を出してはいるが、、、)。

 確かに、本トラブル事案は非常にセンシティブな事案であり、被害者のプライバシーを完全に守らなければならない事案ではある。そこでリスク情報がフジMHDまで上がってなかったことも、おそらくは事実であろう。しかしながら、こうした状況を考えあわせても、例えば匿名化した危機情報を上げさせる仕組みを構築し、適切に危機管理対応を監督することこそがフジMHDとその取締役たちの役目ではないだろうか。コーポレート・ガバナンスの充実に旗を振る日本取引所グループCEOであった清田瞭フジMHD取締役は、このフジMHDの危機管理ガバナンスの在り方についてどのように考えるのであろうか。             


17:34
2024/12/13

POLITICAL ECONOMY第277号

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大幅賃上げ? お恵み春闘だ!――資本の完全勝利――
               経済アナリスト 柏木 勉

 日銀当座預金残高は現時点で依然532兆円もの巨額にのぼる(日銀営業毎旬報告より)。これだけのマネタリーベースの供給でもマネーストックはたいして増えず、多くが日銀当座預金にたまったままブタ積みになった。異次元緩和は基本的には失敗だったというべきである。なぜそうなったか?企業は内部留保をためこんでおり、また資本市場からの資金調達へシフトしていた。だから設備投資のために銀行からの借り入れはなくてすんだのだ(ただし、金融緩和による株価上昇は資金調達を助けた)。

  企業の投資はといえば、異次元緩和の前から国内でなく海外に向かっていた。企業は円高を逃れて、資本の論理に従って日本を見捨て、儲かるところに展開したのだ。投資は国外に大きく流出した。国内投資の伸びはほとんどないまま、海外直接投資は拡大の一途をたどった。とりわけ中国への進出は大きかった。中国の二けた成長は日本国内で不振にあえいでいた構造不況業種にも天の恵みとなった。他方、国内では事業構造改革と称して、解雇、ベアゼロ等々の人件費抑制が長期にわたって続いた。こうして企業の利益は膨れ上がった。どのくらい膨れ上がったか?
 
利益剰余金は130兆円から600兆円へ

 「1990 年代末に130兆円だった企業の利益剰余金は、アベノミクス開始直前に300兆円超まで増加し、2023 年度には600兆円の大台に乗せた」(河野龍太郎 MARKET ECONOMICS Weekly Economic Report 2024/12/20 (No1080))にもかかわらず、国内への投資はほとんど伸ばさないままだったから、マクロ的悪循環が形成されていった。国内投資抑制は技術革新を停滞させ、生産能力は低下した。長期の人件費抑制・コストカットは将来不安から個人消費を押さえ続けた。すると成長率は低下して、当然のことながら日本経済の成長展望は開けず、企業の投資抑制へと回帰して悪循環となったのである。だが悪循環になっても企業はかまわない。儲けていれば企業の目的は達せられている。国民生活を向上させることは企業の目的ではない。

  このようななか、実質賃金はどうなったか?通常行われる若干の分析を見よう。実質賃金伸び率=労働生産性伸び率+交易条件伸び率+労働分配率伸び率―(1式)である。

 この式は労働分配率の定義式から導かれる。だからこの式もただの定義式だ。従って因果関係を示すものではないが、労働側、経営側は自らの立場から因果関係を示
すものとして利用する。小生は当然労働側の立場から考える。そのうえで、99年から2023年
までを見るとどうなるか?(表参照) 

 労働生産性は15.4%伸びた。交易条件は5.5%下落、労働分配率は12ポイント下落。すると、実質賃金の伸び=15.4-5.5―12=△2.2  2.2%の下落である。(なお、実質賃金が下落したのは先進諸国では日本とイタリアだけだ)このうち実質賃金下落の最大の要因は労働分配率の低下である。では、労働分配率を低下させたものは何か? 同義反復になるが、(1式)から労働分配率伸び率=実質賃金伸び率-(労働生産性伸び率+交易条件伸び率)

 これから労働分配率が12ポイントも下落した理由がわかる。外部要因の交易条件を除けば、実質賃金を労働生産性の伸びに等しいだけ引き上げなかったからだ。そして、それを可能にしたのは大企業を中心とした労使協調路線への完全な転落だった。

 全く同じことをエコノミスト・河野龍太郎氏も主張している。河野氏は政府の審議会メンバーになるなど決して左翼でもリベラルでもない。そのような「穏健な」河野氏でさえ次の様に述べている。小生の考えと全く同じだ。紹介する。

 「過去四半世紀において、日本では、時間当たり生産性が 3 割改善しましたが、時間当たり実質賃金は全く増えていません。厳密には低下しています。米国では 5 割生産性が上がり、実質賃金は 25%程度上昇しています。 一方、ドイツやフランスは、日本に比べて生産性の改善は劣っていますが、実質賃金はフランスが 20%弱、ドイツは 15%弱改善しています。生産性の改善が全く 実質賃金に反映されていないのは、日本だけです。・・・・・・日本が長期停滞から抜け出せないのは、気が付かないうちに、日本の社会が 収奪的なシステムに変容しているからではないでしょうか・・・」(同前)。「限られた層に権力と富が集中する収奪的社会に、日本が陥りつつあるのではないかと懸念される。国内ではコストカットばかりの大企業も海外投資は拡大している。円安が進んでも国内の生産能力は減少し輸出も増えないため、貿易赤字が定着した。それでも経常黒字が拡大しているのは、海外投資収益が増大しているからだ」(同前)。

 「穏健」な方が「収奪」というのは驚きだ(正確には搾取の強化だが、大幅な法人税減税など収奪という面もある)。

 とはいえ、ここへきて企業サイドは若干の軌道修正をはかりつつある。さすがに、このままではまずいという状況になったからだ。長期にわたる賃金抑圧(実質的には30年間だ)が少子化を生み、それを放置してきたことから遂に人手不足となったからだ。また輸入インフレが物価上昇を招き国民の不満を高めている。これへの対応として政府、企業一体となって「大幅賃上げ」の合唱となった。

 だが、これが何を意味するか?ここまで述べてきたことから明らかだろう。労働側を完全に抑え込んだ資本の完全勝利だ。「大幅賃上げ」は労使協調路線への資本からのお恵みでしかない。 


21:04
2024/11/28

POLITICAL ECONOMY第276号

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労組の組織率低下の中で浮上する「労働者代表委員会」必要論
         
       労働調査協議会客員調査研究員 白石利政

 2024年6月 30 日現在の労働組合員数991.2万人、組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は16.1%。前年より0.2 ポイント低下、3年連続で過去最低となった。半世紀前の1970年と比べると組織率は19.3ポイント、組合員数は163万人と、ともに減っている。母数となる雇用者数が、1970年の3,277万人から、2024年は自営業や家族従業者が雇用者に「流入」したため、6,139万人へと大幅に増えた。組織率の減は雇用者の大幅増に組織化が追いついていないことを示す。

 労働組合についてはウエッブ夫妻の有名な定義がある。「労働組合とは、賃金労働者が、その労働生活の諸条件を維持または改善するための恒常的な団体である」。この記述に「この型の団体は…2世紀以上にわたってイングランドに存在してきたものであり、突如として十分に発達したかたちで、この世に現われたとは、とうてい考えられない。…しばしば労働組合の先租と称されてきた団体」があると続く(『労働運動の歴史』) この「労働組合の先租」はCombinationと呼ばれていたらしい。どのような目的で、誰がどこで組織を作り、それを運営するかで、多様なタイプが誕生する

 戦後日本で、労働者のいるところを席巻したのは正規従業員による労職混合の企業別組合であった。私が労働調査の道に入った1970年ごろは「ものづくり」日本に勢いがあった。OECDは高品質で強い国際競争力に注目し、日本の労使関係にも関心を向け1975年に調査団を派遣した。「日本の企業は、単に利潤獲得の手段としてではなく、それ自体一つの社会とみなされる」。日本の労使関係制度を特徴づけているのは「三本の柱」、終身雇用、年功賃金、そして「一般組合員の最大の関心事であるパンとバターの問題を優先」、「産業平和の維持に貢献」している企業別組合であると報告している。ただし、このような特徴は主として大企業に関わることだと断っている(「労使関係制
度の展開―日本の経験が意味するもの」 1977年)。ちなみに1975年の製造業500人以上の組織率は83.6%と高かった。企業別組合は「経営側と正規従業員の双方が利益を得る」仕組みの構成要素ということである。

非正規労働者4割へ、企業別組合の基盤揺らぐ

 その後、日本経済のサービス化に伴い職業構造が変化。生産工程・労務作業者のシェアは1971年の32.3%が1997年は30.1%、2017年は21.1%へと一貫して減少する。日経連は1995年、総人件費の削減を図るため雇用ポートフォリオ(構成・組合せ)の考え方に立った対応(長期蓄積能力活用型 高度専門能力活用型 雇用柔軟型)を提案した(「新時代の『日本的経営』」)。

 バブルの崩壊(1991年)、リーマンショック(2008年)を経て、低成長期に直面すると、企業は「雇用柔軟型」の採用に着手。政府も規制緩和政策により支援。雇用者に占める非正規労働者は1995年の2割が2003年に3割を超え2023年は4割近くにまで増大(図参照)、このことは企業別組合の「市場」縮小につながった。民間で組織率の高い1000人以上でも2005年に過半数を切り2024年は4割まで減少した。

 2023年末の「内部留保(利益剰余金)」は600兆円を越え、一方、一人当たり実質賃金は1991年を100とすると2020年は100.1で、30年間横バイで推移した。「経営側の独り獲り」、ワーキングプア大量出現となった。労働組合のナショナルセンター・連合結成からの時期と重なるだけに残念な思いが拭えない。

 労働組合の組織率低下は「法定基準の解除」の問題をクローズアップさせている。労働法制では仕事の「給付条件」について、使用者の濫用防止することを意図して、事業場の過半数労働組合、それがない場合は過半数代表が関与して「法定基準の解除」を行う規定がある。1947年当初は、時間外・休日労働に関する労使協定と就業規則の意見聴取の2項目だったが、現在は労基法で19項目(すべて「法定基準の解除」)、労働関連法(労基法以外)25項目(うち5項目が「法定基準の解除」)に追加・拡大している(福井祥人『レファレンス』885号 2024年9月)。

形骸化する労働者代表制度

 事業場での労使コミュニケーションの必要性が高まっている反面、かねてから労働者代表の選出、職場の意向反映には形骸化や問題点のあることが指摘されている。そこで、過半数未満労働組合と未組織セクターでは、労働者代表制度を見直し新たに「労働者代表委員会」を設置することが検討されている。

 その必要性については労使一致しているが違いもある。連合は「多様性、透明性、公正性の確保や労働組合との役割分担の明確化等をはかる」ことを主張(最終見直しは2021年)。経団連は、条件付きとはいえ裁量労働制や高度プロフェショナルの対象業務に「労働時間制度のデロゲーション(適用除外-引用者)」や就業規則の作成時の「意見聴衆等の単位の見直し」などを求めている(2024年)。厚生労働省が2024年12月24日に取りまとめた有識者(労使の代表は未参加)による「労働基準関係法制研究会」報告書では、過半数労働組合のない職場での「過半数代表者」については「長期的な課題」として取りあげ
るにとどまっている。

 今後、「労働者代表委員会」の法制化へ向けての議論が始まると思うが、労働条件分科会で労働契約法の議論に携わった長谷川裕子氏 (当時の連合・総合労働局長)の体験からの意見、「理想を掲げたつもりが、議論の如何で途方もないところに走っていく可能性があることを感じている。今は労働者が置かれている状況を冷静に分析し、我が国の労働者が真に幸福になる政策を打つことが求められているのではないだろうか」には大切なことが含まれているように思う(月刊「労働調査」2008年1月号)。

労働者が並立して利益を分け合う時代

 これからは、同じ企業で多様な労働者が働き、「経営側と多様な労働者が並立して利益を分け合う」時代。過半数労働組合がない事業場の「労働者代表委員会」が多様な労働者の発言権確立の基盤となることを願う。そのなかの未組織セクターから労働組合を指向するところがでてきて欲しい。産業別組合やナショナルセンターの支援活動の出番だと思う。    

13:05
2024/11/13

POLITICAL ECONOMY第275号

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どこかおかしい高圧経済論
             経済ジャーナリスト 蜂谷 隆

 「103万円の壁」が話題になっている。国民民主党が「手取りを増やす」を掲げて衆議院選を戦い、若者の票を増やし議席の大幅増を勝ち取り、過半数割れした与党政権と交渉、「103万円の壁」突破の実現が近い。その国民民主党は「高圧経済」という経済政策を掲げている。財政出動で一気に需要を作り出しインフレと人手不足状態(「完全雇用」)にすることで経済成長させようというのが高圧経済政策。しかし、インフレと人手不足が続く現状で有効とは思えないのだが。

 高圧経済論は、より積極的で持続的な財政政策と金融緩和政策を組み合わせ、意図的に需要を押し上げ完全雇用に近い状態を目指し経済成長を図ろうという考え方だ。米財務長官であるジャネット・イエレンが、FRB(連邦準備制度理事会)の議長を務めていた2016年に唱えたことで知られる。

 単に景気刺激を目的とするのではなく、完全雇用を目指し経済全体の需要を強力に引き上げ労働市場を逼迫させることを重視している。高圧経済論者である明治大学教授の飯田泰之氏によれば「高圧経済論が妥当する状況、つまり総需要が過大である状況」に到達するまでは財政政策・金融政策は緩和的に行われるべき」(「財政・金融政策の転換点-日本経済の再生プラン」 (中公新書)と述べている。

 さて国民民主党は、高圧経済論に基づく経済政策を打ち出しているのだが、同党の総選挙の公約の中では「名目賃金上昇率が一定水準(物価上昇率+2%=当面の間4%)に達するまで、積極財政等と金融緩和による『高圧経済』によって為替、物価を適切に安定させ、経済低迷の原因である賃金デフレから脱却します」と主張している。

インフレにして完全雇用というが

 高圧経済論は本当に有効なのだろうか。筆者は少なくとも現在のような経済環境では有効ではないと考えている。

 まず目指すという「完全雇用」だが、10月の失業率は2.5%である。すでに「完全雇用」といえる水準だ。人手不足が続き失業率はさらに下がる可能性もある。こうした時に「労働市場を逼迫」を目指すのは論理的に合わない。

 ふたつ目は、インフレをどう見るかという点である。高圧経済論ではやり過ぎると物価が急騰するという負の側面があることを認めている。行き過ぎたインフレにならない程度に需要を喚起しようという政策である。日本はすでにインフレ下にある。10月の生鮮食品を除く物価の上昇率は前年同月比2.3%。38カ月連続で2%を超えている。このような時に高圧経済による経済政策をとると、単にインフレだけが促進されるということになりかねない。インフレで最も影響を受けるのは低所得者層だ。

 このことは、21年の発足当初のバイデン政権が高圧経済(イエレンによる「高圧経済ver2」と言われた)による経済政策がインフレ高騰をもたらし、低所得者層や中間層の生活に打撃を与えたことを見れば分かるだろう。さすがに玉木氏も(日本は米国に比べ物価上昇が抑えられており、)「高圧経済を推し進める余地がまだ残っている」(「ロイター通信」(11月5日付け)とトーンを変えている。

 現在の日本のインフレの最も大きな要因は円安である。円安は日米金利差もあるが日本経済の実力低下が大きな要因となっている。円安を是正すれば確実に物価上昇率は下がる。

 ところが、玉木氏は同じロイターのインタビューで、金融政策は「日銀はもう少し政策変更せず(中小企業の賃上げなどの状況を)見定める必要がある」と、述べている。今は利上げをするなと言っているのである。

 日銀が金融正常化に向けて政策金利を上げようとしているのは、インフレが続き長期金利が上昇し1%超となっていることに対応するためだが、米国との金利差縮小(円安是正)というねらいもある。円安を是正させ物価を安定させれば実質賃金はプラスとなり、個人消費も上向く可能性が高い。玉木氏はこうした点については目をつぶり、高圧経済論に基づき日銀に金利引き上げをするなと言っているのである。

 玉木氏が利上げに慎重な姿勢を見せている理由は、利上げが進むことで政府の利払い負担が増え、財政状況がさらに厳しくなることを懸念しているためである。また、高圧経済論はMMT(現代金融理論)と親和性が高く、国債を増発しても日銀が引き受ければ問題ないとする考え方である。国民民主党も「増税反対」や「減税実施」を主張している。「103万円の壁」を引き上げるための財源は国債の増発しか選択肢がないため、金利をできるだけ低く抑えたいと考えているのだろう。

高圧経済論では「分厚い中間層の復活」はできない

 日本経済を再生させるためにはGDPの6割を占める個人消費を活性化することが重要だ。消費が活性化すれば設備投資も増加する。そのためにはもちろん賃金の引き上げは欠かせない。この点に異論はないだろう。

 しかし、それだけでは消費は活性化しない。医療・介護、教育サービスの負担減も欠かせない。将来不安を抱えていては財布のヒモは緩まないからだ。また低所得者層の底上げも必要となる。ここまでやらないと「分厚い中間層の復活」はない。問題はのためには財源の確保が求められることだ。富裕層、高所得者層に対する金融所得課税、法人税の引き上げなどを考えるべきだろう。これらは財源確保のためだけではなく、格差是正につながる点も重視すべきだろう。                 


09:31
2024/10/28

POLITICAL ECONOMY第274号

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熊本における公共交通事情
生き残りかけ県内5バス事業者による共同経営
                        元東海大学教授 小野 豊和

 人口減少、超高齢社会における公共交通の在り方が問われている。人口減少は利用者数の減少、路線網の維持困難などが予想され、事業者側としても運転手の確保困難、収益減による赤字経営が現実に起こっている。熊本県下には5つのバス事業者があり、同一地域を運行する競合関係にあり、料金等について話し合うことはカルテルを疑われることにもなり兼ねない。新型コロナウイルスの感染拡大でバス利用者の減少による経営悪化、一旦契約解除した運転手の確保、働き方改革による労働環境・労働条件の急激な変化など、苦しい経営のなか共倒れになり兼ねない状況下、地域に無くてはならない公共交通の生き残りをかけた共同経営を模索してきた。

 2019年3月に熊本県内バス事業者5社、熊本県、熊本市からなる「熊本におけるバス交通のあり方検討会」を設置し、県内全域のバス路線を対象に、あるべきバス路線網や利便性向上のためのバスサービス、それを実現するためのバス事業の在り方を検討することになった。2019年度の5社合計の収支は、費用が年約90億円に対して収入は60億円弱で、差額の約30億円は自治体の補助金で補っている。運転士の減少(2020年922人、2021年897人、2022年847人、2023年799人)も続いている。「共同経営推進室」(後述)としては競合路線の効率化で、24年度までの3年間で約9000万円の赤字が削減できると試算。さらに21年度以降、5社共通定期券の導入や「バスの日」を設けて県内全路線を1区間100円で乗れる実験の実施。熊本市内の中心部で路線が競合する熊本市電との連携にも取り組もうとしている。

独占禁止法特例法を活用

 政府としても、人口減少等により乗合バス事業者及び地域銀行が持続的にサービスを提供することが困難な状況にある一方で、当該サービスが国民の生活及び経済活動の基盤となるものであって、他の事業者による代替が困難な状況にあることに鑑み、経営力強化のための選択肢の一つとして同業者間での経営統合や共同経営について政府の未来投資会議での議論で、独占禁止法の適用を除外する特例法を設ける旨が盛り込まれ、2020年11月27日「地域における一般乗合旅客自動車運送事業及び銀行業に係る基盤的なサービスの提供の維持を図るための私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の特例に関する法律(令和2年法律第32号)」(独占禁止法特例法)が施行された。

 独占禁止法の特例法の朗報を受け、熊本県内の5つのバス事業者による共同経営が2021年4月に始まった。熊本の共同経営は九州産交バスと産交バス、熊本電気鉄道、熊本バス、熊本都市バスの5社で実施。特例法の施行を見据えて2020年4月に共同経営準備室(21年に「共同経営推進室」に移行)を設置。2021年3月19日に国土交通省から認可を受けた。国が路線バスの共同経営を認めた背景には、地方の顕著な人口減少やコロナで公共交通の維持が困難な状況になっていたからだ。

 共同運営に関しては、熊本都市バス(株)に共同運営推進室を設け、熊本都市バス社長の高田晋が室長となり、バス事業者5社と熊本県、熊本市から1名ずつ職員を派遣し、毎週会議を重ね、月に一度、県と市の交通政策課や市交通局の参加を得た社長会・部長級会議を経て、熊本市長、県の担当部長会に報告し政策に反映させてきた。目指す方向としては、1.重複区間等の最適化(バス同士の鉄道軌道との重複区間等で需給バランスの最適化)、2.新規路線の拡充(利用しやすい新規路線やニーズに合った増便)、3.コミュニティ交通等と連携したネットワーク維持、4.バスレーンを伴う階層化、5.利用促進策の拡充(共通定期券、乗継割引の拡充、均一料金などの検討)、6.経営資源の最適化(5社の垣根にとらわれず常に運転手や車両の最適配置を検討)である。

 共同経営の目標としては、1.収益性・効率性の向上、2.サービス提供維持の確保を目指し、2021年4月から2024年3月末の3年間取り組んできた。具体的な成果としては、2022年4月1日から熊本県下全域を対象にICカードによる共通定期を実施。IC定期券の区間内は、どの会社の路線バス(電鉄電車も含む)でも利用可能にし。定期券の輸送人員が2021年度比118%に増加した。台湾のTSMCの工場稼働に向け、2023年1月27日(金)に「セミコンテクノパークノーマイカーデー」を実施し、セミコン既存バス路線(豊肥線原水駅発)とは別に5つのルートに無料通勤バスを試験的に運行した。地域の渋滞緩和策、JR豊肥線の新駅のニーズ把握の参考になった。他には、高校に出向き、高校入学説明会で共通定期の利便性を説明した。

 2023年4月には、熊本地域公共交通の再構築(リデザイン)検討会を設置し、交通渋滞が著しく顕在化している熊本地域に対し、さらなる連携による公共交通のあり方を検討。バス事業の方向性としては1.不採算路線の廃止、2.運賃値上により受益者負担増となるがサービスは維持を検討した。

バス5事業者が全国交通系ICカード廃止の勇断

 熊本県内で路線バスや鉄道を運行する5つの事業者が、運賃の決済手段として新たにクレジットカードなどのタッチ決済を導入する一方で、全国交通系ICカードを2024年10月16日から廃止した。全国交通系ICカードに対応する機器の更新時期が迫り、更新にかかるコストが大きいことなどから廃止を決めた。「共同経営推進室」によると、路線バスと電車の利用者のうち「くまモンのICカード」は51%、全国交通系ICカードは23%を占めていたという。全国交通系ICカード利用者からは「不便になる」などの声が聞かれたが、5社でつくる「共同経営推進室」によると、路線バスや電車に関わる事業の1年間の経常収支は、5社であわせて39億円余の赤字で全国交通系ICカードシステムを継続した場合、5社全体(約900台)でかかる更新費用は約12億千万円。

 この費用は8年前のシステム導入時の1.5倍。一方、クレジットカードなどのタッチ決済に対応する機器を新たに導入した場合の費用は半分程度の6億千万円余に抑えられる。国の補助対象となるのは新規事業に限られ継続事業は対象とならないためで、全国交通系ICカードによる決済の廃止を決めた。全国から来る観光客にとっては不便となるが、背に腹は代えられないお家事情から今後も「共同経営推進室」において、自治体の支援を受けながら県民・市民に期待される公共交通の使命を果たそうとしている。


08:20
2024/10/12

POLITICAL ECONOMY第273号

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経済政策、石破カラー打ち出せるか 
         NPO現代の理論・社会フォーラム運営委員 平田 芳年
                         
  自公の過半数割れで少数与党としてスタートした石破政権の経済政策「イシバノミクス」をめぐる論議が本格化している。国会での過半数確保のため、石破政権は国民民主党との政策協議を重視する方針を打ち出し、国民民主が求める「年収103万円の壁」やガソリン税の引き下げなどが大きくクローズアップされているが、そうした個別の問題とは別に、岸田政権が骨太方針(経済財政運営と改革の基本方針)で示した「新しい資本主義、成長と分配の好循環」を目玉とする経済運営の枠組みをどう受け継ぎ、新たな石破カラーを打ち出すのか、25年度政府予算案編成を前に、民間エコノミストたちの大きな関心を集めている。

 石破首相の所信表面演説を前にした10月3日、朝日新聞は「石破政権の経済政策で、岸田政権の施策をそのまま引き継ぐ姿勢が目立っている。発足後、『新しい資本主義』や『資産運用立国』など岸田政権が看板とした政策の継続を強調。首相がこだわりを見せて独自色を打ち出す安全保障政策に比べ、経済政策は『石破カラー』が薄い始動となった」との記事を配信、NHKも「石破総理大臣は経済政策について、岸田政権が掲げてきた『成長型経済』を継承するとして、物価高への対策と賃上げによって個人消費を拡大し、デフレからの完全脱却を目指すとしています」との見方を伝えている。

 大手メディアが伝える石破経済像は独自色が少なく、岸田政権の政策を踏襲という姿が一般的だ。しかし専門家(エコノミスト)から見ると、「イシバノミクス」のいくつかの特徴点が浮かび上がる。

  第一生命経済研究所経済調査部の永濱利廣首席エコノミストは「石破氏が経済の正常化を目指しつつ財政健全化の旗を堅持していることには注意が必要。経済政策成功のカギを握るのは、経済が完全に正常化に至るまでは再分配より経済成長を優先し、いかに民間に対する負担増を我慢できるか」だと指摘する。石破首相が自民党総裁選で法人税増税や金融所得課税強化を掲げていたことを念頭に置いた発言だ。

アベノミクスとどう向きあうのか

 10年以上続いてきた「アベノミクス」にどう向き合うのかも大きなテーマだ。野村リサーチの木内登英エグゼクティブ・エコノミストは「石破政権が、岸田政権の経済政策を引き継ぐと明言したことは、アベノミクスとは距離を置く姿勢を滲ませるものでもあるのではないか。石破政権の政治基盤が強化された場合には、総裁選で掲げてきたアベノミクスの功罪の検証を行い、正常化に向けた日本銀行の金融政策の自由度の確保と財政健全化の方向を明確に確認することを是非実施して欲しい」と注文を付ける。

  菅、岸田政権では大型経済対策の度に、国債発行を増発させ、公的債務を増大させてきたが、石破政権のスタンスはどうか。大和総研経済調査部の神田慶司シニアエコノミストは「石破首相は今秋に策定される新たな経済対策について、国費13兆円程度(定額減税等を合わせると17兆円前半)だった2023年度を上回る補正予算にする」の考えを示した。実施すれば、2025年度に国・地方の基礎的財政収支を黒字化させる財政健全化目標の達成は極めて困難になる」と批判的に見る。

  石破首相は所信表明演説で「適切な価格転嫁と生産性向上支援により最低賃金を着実に引き上げ、2020年代に全国平均1500円という高い目標に向かってたゆまぬ努力を続けます」と公約したが、経済界からは拙速な引き上げに批判的意見も強い。「20年代末の29年度に1500円を達成すると仮定すれば、来年度からの5年間で年平均89円の引き上げが必要。この引き上げ幅は、今年度に過去最高となった51円の引き上げ幅を大幅に上回ることになり最低賃金引き上げの加速が雇用に与える影響も無視できない。雇用や中小企業の経営に対して与える副作用が重視されることになれば、到達する時期を後ろ倒しに修正するという選択肢もありうるだろう」(永濱利廣首席エコノミスト)と牽制する。

「『経済オンチ』くらいがちょうどいい」

 専門家の中には「今後10年の基本構想の策定も予定されているが、『看板掛け替え』にとどまる可能性も否定できない」(神田慶司シニアエコノミスト)との冷ややかな見方もあるが、「石破氏はメディアでは『経済オンチ』とも評されているようです。しかし日本の首相には『経済オンチ』くらいがちょうどいい。『経済』に対して『政治』にできることはそもそも限られている。『普通の資本主義』を目指す政策を地道に進めてほしい」(陣内了一橋大学経済研究所教授)とエールを送る声もある。

 少数与党政権というこれまでの自民党政治が未経験の領域で舵取りを任された石破政権が経済政策で独自色が出せるのかどうか、まずはじっくりと拝見したい


18:11
2024/09/30

POLITICAL ECONOMY第272号

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富裕層への課税強化は時代の要請だ
            横浜アクションリサーチ 金子 文夫

 衆議院選挙は自公政権の敗北に終わり、政治状況は流動的になった。政治資金問題がこの変化をもたらしたわけだが、日本が取り組むべき格差是正問題については、選挙戦を通じて焦点化されなかった。しかし、資産所得が労働所得を上回ることから生じる格差拡大は放置できない水準に達している。格差是正のための税制改革、富裕層への課税強化は重要な政策課題といわなければならない。

各政党は公約で何を提起したのか
 
 主な政党の税制改革政策は3グループに分けられる。第一は自民党と公明党であり、格差是正の税制改革は掲げられなかった。自民党は、岸田前首相、石破首相ともに金融所得課税に言及したものの、株価下落に直面すると簡単に棚上げするという経緯があり、今回の公約には「経済成長を阻害しない安定的な税収基盤の構築の観点から、税制の見直しを進めます」とだけ書き、どこをどう見直すのか何らの言及もなかった。公明党は税制改革そのものを取り上げていない。

 第二は維新の党と国民民主党であり、消費税・所得税減税を通じた消費喚起、経済成長を政策の基調としつつ、維新の党は金融所得の総合課税化、マイナンバーと銀行口座の紐付け、国民民主党は給付付き税額控除、マイナンバーと銀行口座の紐付けを提起した。

 第三は立憲民主党と共産党であり、ともに総合的な税制改革案を打ち出した。立憲民主党は格差是正を目指し、所得税の累進性強化、各種控除見直しによる所得再分配の強化、金融所得への超過累進税率の導入、将来の総合課税化、消費税の軽減税率廃止、給付付き税額控除の導入、相続税・贈与税の累進性強化を提案した。

 共産党は消費税の5%への引下げ、将来的な廃止、大企業の内部留保課税、株式配当の総合課税化、株式譲渡所得は高所得者には30%以上課税、所得税の累進性強化、相続税・贈与税の最高税率を50%から70%へ引上げなどを掲げた。さらに注目すべきは富裕税の創設であり、純資産5億円超の富裕層に対して、5億円を超過する部分に0.5~3%の累進税率で毎年課税し、およそ1兆円程度の税収を見積もっている。

日米の富裕層増税政策

 多くの党は消費税減税を訴えたが、富裕層増税などとセットで打ち出すべきものだろう。あまり目立たないが、日本ではすでに2023年度税制改革で「ミニマム富裕税」が創設されている。これは、所得が3億3千万円を超える富裕層に対して、最低でも22.5%の課税を行うもので、金融所得が所得の大半を占める富裕層の税負担率が低下する「1億円の壁」問題を一定程度是正する措置といえる。対象者は少なく、税率引き上げはわずかであり、たいした増収効果も見込めないが、今後の格差是正策の端緒になりうるだろう。

 一方、米国のバイデン政権は様々な富裕層増税政策を提起している。投資純利益が20万ドルを超える場合は通常の税率に3.8%追加、40万ドルを超える場合は5%追加する所得税増税、所得1000万ドル超の富裕層に対して超過分に5%、2500万ドル超に対しては8%の追加課税、純資産1億ドル超の富裕層に対して資産の含み益を含めて最低25%課税する富裕層ミニマム課税(含み益課税は資産課税ではなく、含み益が将来実現することを想定した所得税の前倒し課税)などが主なものだ(詳しくは、岡直樹「金融所得課税・富裕層課税の新たな展開」財務省『フィナンシャル・レビュー』2024年8月号参照)。

 バイデン政権の様々な富裕層増税案は、増税論議を封印している日本とは対照的だ。目下のところ、提案に対する議会の抵抗が強く、修正あるいは不成立に終わっているが、富裕層課税が時代の要請であることを示している。

G20財務相会合におけるグローバル富裕税の提起
 
 ピケティの弟子にあたるガブリエル・ズックマンはかねてグローバル富裕税を提起していたが、2024年のG20議長国であるブラジル政府の委託を受けて、6月に超富裕層グローバルミニマム課税に関する報告書を公表した。それによれば、世界の10億ドル以上の資産をもつ超富裕層約3000人に対して、世界共通して実効税率が最低2%になるように富裕税を課税すれば、年間2000~2500億ドルの税収があげられるという。

 これは現在の世界のODA総額に匹敵する規模であり、実現すればSDGs達成に大きく寄与するだろう。範囲を広げて、資産1億ドル超の富裕層約6万人に3%課税すれば税収は6000億ドルと推計される。富裕層は国外移住などで租税回避行動をとると想定されるが、課税権力のグローバル化が進展しているため、すでに実現しているグローバルミニマム法人税と同様、国際協調によって対応が可能であり、またすべての国が参加しなくても実施できると論じている。

 この報告を受けて7月のG20財務相会合ではこの構想が議題に取り上げられた。また、国連租税協力枠組条約の創設プロセスでも、グローバル富裕税は早期議定書のテーマの一つにあげられており、今後の取組が注目される。                                               


20:05
2024/09/14

POLITICAL ECONOMY第271号

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「誰も断らない」座間市の取り組みの意味
             街角ウォッチャー 金田 麗子
 
 職場の同僚(60歳)の母(85歳)が、特別養護老人ホーム入所を待っているのだが、二人の年金とわずかな蓄えで暮らしてきたので、この先の生活への不安を抱えていた。精神障がい者手帳を持っている同僚は、横浜市の居住区の「生活支援課」に相談に行ったが、生活保護基準額と条件を一方的に言われ、「もう何も話ができなかった」と帰ってきたという。

 そんなことがあったので「誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課」(朝日新聞出版)を読み感心した。

 2015年に「生活困窮者自立支援法」が施行されたのに対応して、座間市は生活援護課で自立相談支援、就労支援などの支援の相談を行っている。本書はその活動の記録をベースにしている。

 「生活困窮者自立支援法」とは、生活保護に至る前段階の困窮者に対し自立支援相談事業の実施や住居確保給付金の支給など必要な支援提供のための法律である。法が定める生活困窮者とは、生活保護を受けていないが将来的に生活保護の受給に至る可能性がある人、あるいは経済的な問題だけでなく、日常生活や社会生活を送る上で問題を抱えた人である。 

 失業など就労に関わる問題もあれば、家計や借金などの金銭問題、住居、家族間の問題、引きこもり、鬱や精神疾患、軽度の知的障がい、子どもの貧困など、その対象は幅広く一定の基準では線引きできない。

 生活困窮者を総合的にとらえた統計は存在しないが、福祉事務所に来訪した人の中で生活保護に至らない人は30万人、引きこもり状態115万人、離職期間1年以上の長期失業者約53万人、ホームレス約3000人、経済生活問題を原因とする自殺者約3000人、スクールソーシャルワーカーが支援する子どもは約10万人いるという(厚生労働省資料「生活困窮者自立支援制度における横断的な課題について①」)。

民間とも連携して支援

 座間市の担当責任者は、市内、市外、国籍問わず座間市とつながりができたすべての人を断らずつながるという。

 これは理念としての意味だけではない。現実的に生活援護課に相談に来た時には、どうにもならない状況に陥っている場合が多い。病気になって失業、借金が膨らみ、人間関係も崩壊し、家賃の滞納、住居を失い、役所に相談に来た時には打つ手が限られてしまう。だからなるべく早い時点で相談して貰う為、困窮状態に陥っている人との接点を増やし、緩やかに相談の輪に早期に入ってもらうほうが良いという判断なのである。

 そのために、市役所内の全てのセクションに、困っている相談者を受け入れるとアナウンスし連携をとるようにしている。庁内だけでなく家計改善事業、就労訓練事業、就労支援先の開拓、就労体験、ユニバ―サル就労支援、一時生活支援、地域居住支援、フードバンク、アウトリーチによる自立相談支援事業、助葬事業などを手掛ける民間団体や、弁護士会、障がい児者基幹相談支援センター、ハローワーク、社会福祉協議会など地域の様々な団体とネットワークし、困窮者との接点を求め、解決に向けての支援の資源として協力をお願いしている。

 これらの支援のうち、家計改善支援や自立就労準備支援などは、生活保護利用者は対象外だったが、先ごろの法改正で対象となり支援を受けられることになった。

「根雪のような非正規労働者」の存在

 バブル崩壊以降、生活困窮者が増え、リーマンショックで多くの派遣労働者が解雇され、仕事も住まいも失った。さらに新型コロナ禍。飲食業などのサービス業に従事する人や自営業者などの生活困窮者も増えている。背景にあるのは、座間市の担当者が語っているが「根雪のような非正規労働者」の存在が大きいだろう。

 総務省統計局「労働力調査長期時系列データ」によると、労働力人口に占める非正規雇用の割合は、1989年の約2割から2019年の約4割と倍増している。特に1998年から2003年の5年間の伸びが顕著で、数度にわたって規制緩和された労働者派遣法の改正の影響が大きい。

 総務省「労働力調査基本集計2022」によると、日本女性の労働参加率はアメリカ、フランスより高いが、半数以上は非正規雇用で、65歳以上の労働参加率もOECD諸国の中で高いが4分の3は非正規雇用。社会学者の小熊英二は、女性や高齢者の境遇、低賃金の要因になっていると見ている。

 当然年金も格差が大きい。東京都立大学教授の阿部彩によると(2021年厚生労働省の国民生活基礎調査からの集計)、65歳以上の一人暮らしの女性は、男性3割に対し4割で相対的貧困の状態にある。厚生労働省によると、22年度の厚生年金の平均月額は男性16万7000円に対し、女性は10万9000円だった。これまでの低賃金の反映だから、この傾向はまだまだ続く。

 男女問わず高齢単身者世帯の、生活困窮はもちろん住居の確保、保証人問題、病気や死亡などの万が一に備えた支援は急務だ。「生活困窮者自立支援法」の役割はますます必要とされるだろう。

 それなのに冒頭の横浜市の対応は、水際で生活保護申請をさせない対応マニュアルのようだ。横浜市は、相談のワンストップ性の向上や、多様な相談のインテークアセスメントを行い、包括的な相談支援をおこなうとしている。座間市を参考に、相談者の話をまずよく聞き、何に困っているか把握し、「誰も断らない」支援体制を確立してほしい。 

21:46
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メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告