「自立」「安全」「安定」の共同生活のために「管理指導する」
―精神障がい者グループホーム職員の正しい仕事?!―
街角ウォッチャー 金田麗子
変なタイトルだが、精神障がい者の援護寮や生活訓練施設、グループホームで30年間働いてきた「まじめな」ベテラン職員と一緒に働く機会があり、その言動からその職員がタイトルのようなことを心から正しいと信じていることに驚いた。
「甘え」「依存」につながるから「居室支援」という掃除支援は許さない。体調悪化の訴えは「怠けるための嘘」や「思い込み」につながるから安易に取り上げない。太りすぎ、食べ過ぎを防ぐために食事指導という名目で管理指導する。恋愛禁止ではないが、デートにも同行し、自由な行動を制限する。B型作業所に通所を希望する利用者も「デイケアに通所していろ」と認めない。自らを「先生」と呼ばせ、30年のキャリアからくる自信満々の職員である。
「利用者にやらせればいいのよ」
私はこの精神障がい者のグループホームで6年働いているが、入職当時外部監査で、カビだらけの風呂場やトイレなどの汚れを指摘されていた。この数年、職員と非常勤スタッフが、掃除を徹底し清潔な空間を心がけてきたのだが、冒頭の職員に変わったとたん「利用者にやらせればいいのよ」「なんでもやってやると依存するだけよ」と断じてきた。
以前私が勤務していた知的障がい者グループホームでも、責任者は食堂のテーブルが汚れても拭かなくてよいと言っていた。各自の居室掃除も、以前はヘルパーを入れてやっていたが、それを止めて「利用者さんがやりますから」と職員が利用者を指導してやらせるという名目に代わり、結局しないから居室は荒れる一方。
別のグループホームでは、食事制限を徹底していた。利用者の菓子などの嗜好品はすべて事務所管理。ご飯はスタッフが茶碗に半分あらかじめ盛り付けし、おかわりは認めない。「利用者さんの健康維持のために、私たちがお手伝いできることは、こんなことだけですから」職員は真顔で言っていた。
利用者が、腰が痛い足が痛いというと「太りすぎで負担がかかっているから」と言われるのは、なぜかどの施設も共通。不調を訴えても、精神科以外の医療機関にはつながず、「様子を見よう」「精神科で相談して」と言う対応が多い。
私が現在の施設に入職した時、目が見えていないと感じた利用者は、ひどい白内障なのにずっと放置され、昨年やっと手術し「よく見える」と喜んだ。近年、八王子の滝山病院や、神奈川県の中井やまゆり園などで問題になっている、医療ネグレクトは決して特殊ではなく、よくある構造なのである。
「知的障害者施設潜入記」が示す実態
こんなことを思っていたら、「知的障害者施設潜入記」(織田淳太郎、光文社新書)という新刊書が出た。内容は、作業所も施設もいかに管理的で、自由がなく懲罰的で暴言、体罰が横行しているというものだ。
「利用者に甘く見られないよう厳しく接しなければならない」「やっていいことと悪いことを覚えさせるため」障がい者たちの私生活いっさいに監視の目を光らせる。年齢も上の人にも命令口調でお前呼ばわりの叱責が日常茶飯事、他の利用者を守るため」という名目で暴れる利用者にプロレス技をかける。
本書では職員の言動の原因として、心理学的な「転移」「逆転移」という概念を示しているが、私はそもそも、障がい者への介護介助の仕事に対する理念に原因があるのではないかと思う。
障がい者自立支援法制定以降、厚生労働省もかつての長期にわたる病院や施設入所から、地域での生活拠点への移行を推進している。2019年にグループホーム入居者数が入所施設の入所者数を逆転し23年には17万人を超えている。
しかしながらグループホームにおいても、不適切な対応が続いていることは、前述の事例や、新聞報道でも明らかである。その根底は何か。参考になる資料として次の二つを示したい。
障がい者の言葉に耳を傾けない介護者
「介助者たちは、どう生きていくのか」(渡邉琢、生活書院)によると、多くの自立障がい者は、介護福祉士等の資格を持った介護者に批判的だという。その理由として、「介護の有資格者は、障がい者を人として見るのではなく、介護する相手として見て、どのくらい介護が必要か、どのくらい自立しているかなどを、介護者の目線で判断し評価するところから介助に入る。しかも介護を学んだという自負心から、障がい者の言葉に素直に耳を傾けないことが多い」という
「生の技法-家と施設を出て暮らす障害者の社会学」(安積純子他、生活書院)では、福祉的配慮とは、いかなる論理でどのようにして、「管理」「隔離」が導き出されてくるのかという点で、参考になるとして「新・療護施設職員ハンドブック」(全社協、1988年)が紹介されている。
福祉的配慮はおよそ二つのラインに即して記述される。一つは能力評価に応じて判断される「弱者」の理論。もう一つは「病気」の概念である。
「弱者」の理論は隔離管理の根拠、自由の制限の正当化につながる。金銭管理、外出制限、食事時間厳守、整髪、入浴、睡眠など、望ましい状態は職員が知っていて、入所者の欲求がそちらの方向で充足されるように介護する。「ある時に教師的に導き、強力に望ましい方向に推し進めていくのが本当の介護」という。だから職員は「先生」で、障がい者は「子ども」扱いなのである。
「障害者施設潜入記」に記されている職場で、冗談好きで明るい人なのに、グループホームでは自宅から登山用の杖を持参し、監視しつけ管理教育的指導のために、恫喝や暴力をふるっていた職員が、利用者との暴力的確執関係の継続でノイローゼ状態になり、自ら希望して現場を外れ配置転換されたと記述があった。
利用者に対し、管理的対応をすることが、職員自身や職場も疲弊させているのである。職員個人の資質の問題や意識に還元するのではなく、「当事者主義」の基本に立ち返って、厚生労働省が新たな支援の指針を確立しなければ、施設であれ、グループホームであれ、居宅での介護ヘルパーの対応であれ、障がい者の人権が守られることは不可能だし、介護職員も疲弊して減少していくことに歯止めはかからないのである。