日誌

これまで発行の「POLITICAL ECONOMY]、「グローカル通信」
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2024/09/14

POLITICAL ECONOMY第271号

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「誰も断らない」座間市の取り組みの意味
             街角ウォッチャー 金田 麗子
 
 職場の同僚(60歳)の母(85歳)が、特別養護老人ホーム入所を待っているのだが、二人の年金とわずかな蓄えで暮らしてきたので、この先の生活への不安を抱えていた。精神障がい者手帳を持っている同僚は、横浜市の居住区の「生活支援課」に相談に行ったが、生活保護基準額と条件を一方的に言われ、「もう何も話ができなかった」と帰ってきたという。

 そんなことがあったので「誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課」(朝日新聞出版)を読み感心した。

 2015年に「生活困窮者自立支援法」が施行されたのに対応して、座間市は生活援護課で自立相談支援、就労支援などの支援の相談を行っている。本書はその活動の記録をベースにしている。

 「生活困窮者自立支援法」とは、生活保護に至る前段階の困窮者に対し自立支援相談事業の実施や住居確保給付金の支給など必要な支援提供のための法律である。法が定める生活困窮者とは、生活保護を受けていないが将来的に生活保護の受給に至る可能性がある人、あるいは経済的な問題だけでなく、日常生活や社会生活を送る上で問題を抱えた人である。 

 失業など就労に関わる問題もあれば、家計や借金などの金銭問題、住居、家族間の問題、引きこもり、鬱や精神疾患、軽度の知的障がい、子どもの貧困など、その対象は幅広く一定の基準では線引きできない。

 生活困窮者を総合的にとらえた統計は存在しないが、福祉事務所に来訪した人の中で生活保護に至らない人は30万人、引きこもり状態115万人、離職期間1年以上の長期失業者約53万人、ホームレス約3000人、経済生活問題を原因とする自殺者約3000人、スクールソーシャルワーカーが支援する子どもは約10万人いるという(厚生労働省資料「生活困窮者自立支援制度における横断的な課題について①」)。

民間とも連携して支援

 座間市の担当責任者は、市内、市外、国籍問わず座間市とつながりができたすべての人を断らずつながるという。

 これは理念としての意味だけではない。現実的に生活援護課に相談に来た時には、どうにもならない状況に陥っている場合が多い。病気になって失業、借金が膨らみ、人間関係も崩壊し、家賃の滞納、住居を失い、役所に相談に来た時には打つ手が限られてしまう。だからなるべく早い時点で相談して貰う為、困窮状態に陥っている人との接点を増やし、緩やかに相談の輪に早期に入ってもらうほうが良いという判断なのである。

 そのために、市役所内の全てのセクションに、困っている相談者を受け入れるとアナウンスし連携をとるようにしている。庁内だけでなく家計改善事業、就労訓練事業、就労支援先の開拓、就労体験、ユニバ―サル就労支援、一時生活支援、地域居住支援、フードバンク、アウトリーチによる自立相談支援事業、助葬事業などを手掛ける民間団体や、弁護士会、障がい児者基幹相談支援センター、ハローワーク、社会福祉協議会など地域の様々な団体とネットワークし、困窮者との接点を求め、解決に向けての支援の資源として協力をお願いしている。

 これらの支援のうち、家計改善支援や自立就労準備支援などは、生活保護利用者は対象外だったが、先ごろの法改正で対象となり支援を受けられることになった。

「根雪のような非正規労働者」の存在

 バブル崩壊以降、生活困窮者が増え、リーマンショックで多くの派遣労働者が解雇され、仕事も住まいも失った。さらに新型コロナ禍。飲食業などのサービス業に従事する人や自営業者などの生活困窮者も増えている。背景にあるのは、座間市の担当者が語っているが「根雪のような非正規労働者」の存在が大きいだろう。

 総務省統計局「労働力調査長期時系列データ」によると、労働力人口に占める非正規雇用の割合は、1989年の約2割から2019年の約4割と倍増している。特に1998年から2003年の5年間の伸びが顕著で、数度にわたって規制緩和された労働者派遣法の改正の影響が大きい。

 総務省「労働力調査基本集計2022」によると、日本女性の労働参加率はアメリカ、フランスより高いが、半数以上は非正規雇用で、65歳以上の労働参加率もOECD諸国の中で高いが4分の3は非正規雇用。社会学者の小熊英二は、女性や高齢者の境遇、低賃金の要因になっていると見ている。

 当然年金も格差が大きい。東京都立大学教授の阿部彩によると(2021年厚生労働省の国民生活基礎調査からの集計)、65歳以上の一人暮らしの女性は、男性3割に対し4割で相対的貧困の状態にある。厚生労働省によると、22年度の厚生年金の平均月額は男性16万7000円に対し、女性は10万9000円だった。これまでの低賃金の反映だから、この傾向はまだまだ続く。

 男女問わず高齢単身者世帯の、生活困窮はもちろん住居の確保、保証人問題、病気や死亡などの万が一に備えた支援は急務だ。「生活困窮者自立支援法」の役割はますます必要とされるだろう。

 それなのに冒頭の横浜市の対応は、水際で生活保護申請をさせない対応マニュアルのようだ。横浜市は、相談のワンストップ性の向上や、多様な相談のインテークアセスメントを行い、包括的な相談支援をおこなうとしている。座間市を参考に、相談者の話をまずよく聞き、何に困っているか把握し、「誰も断らない」支援体制を確立してほしい。 

21:46
2024/08/16

POLITICAL ECONOMY第270号

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SNSネット社会の生き方とは
             金融取引法研究者 笠原 一郎
 
 先日来のテレビワイドショー番組は、兵庫県知事のパワハラ問題が大きく取り上げられているが、ちょっと前までは、芸人YouTuberフワちゃん氏がSNS上で発した、芸人 やす子氏への“誹謗・中傷” 問題が様々に取りあげられていた。フワちゃん氏の弁明によれば、いわゆる“裏垢(表に出ないSNSアカウント)”で書いていた、やす子氏をディスル(貶める言い方)ならば、“こんな感じで”と試しに書いたものが、携帯の操作を間違えて、表のSNSアカウントに投稿してしまった、とのことである。こうした弁明、そしてすぐにこれを消去したにもかかわらず、この“誹謗・中傷”は瞬く間にSNS空間上で拡散し、フワちゃん氏は大きな非難を浴び、出演していたテレビ番組、コマーシャルから降板せざるを得ない状況に追い込まれた。 

 また、最近ではSNS上で有名人を騙る投資詐欺、SNSの仮想世界において有名な“誰々”がスマートに経済情勢を語り、もっともらしく株式マーケットを解説し、自分に任せれば上手く“儲かる”と洗脳することで、分別あると思われる中高年が“コロッ”と虎の子を振り込んでしまう、という犯罪行為が報じられている。その後、被害者がこのような投資話が虚偽と気づいても、後ほど述べるようにSNSでの救済障壁の高さからすると、これを取り戻すことは非常に厳しいものと思われる。

 ここで、単にフワちゃん氏の不適切かつ軽はずみな行為を非難すること、有名人を騙る投資詐欺の被害者の“過失”をあれこれ言うことは容易い。現実として、今の社会ではSNS・ネットは生活に密着し、これを欠いた社会は想像できないところにまで来ている。こうした現代人にとって抜け出すことが出来ないネット環境下において、これらの事案からSNSネット化社会と如何に付き合っていくか、そしてこの社会での生き方を考える機会ではないかと思われる。

サイト管理者は情報開示に消極的

 ネットを利用する、とくにSNSを利用する多くの人にとって、自らの情報発信・情報収集のツールとして、さらにコロナ禍以降、孤立・孤独化が進む現実社会において、心の救済手段として仮想空間における自己承認欲を得る絶好のツールでもあるとされ、また、注目されるコンテンツを作ることでサイト閲覧者(フォローワー)を集め、多額の広告料をも獲得できる手段でもある。一方で、SNSが持つ匿名性・秘匿性は、誹謗・中傷問題に止まらず、闇サイトでの犯罪行為者の勧誘、そして、先ほど述べた投資詐欺の温床になっている現状がある。

 こうしたSNSの匿名性・秘匿性は、被害者が誹謗中傷者・投資詐欺者を見つけ出そうにも、その壁は高いとされる。こうした者たちへの賠償請求(刑事告訴)の前提として、まず、匿名の発信者情報の開示を求めることとなるが、その手続きはかなり困難とされる。こうした開示請求にかかる法的な手続きとしては、近年、プロバイダー責任制限法の改正により、従来よりも簡略化された「発信者情報開示命令」の制度が作られてはされている。具体的には、開示(削除)請求について裁判所が「非訴事件」という簡易的な形式の審理によって、サイト管理者・プロバイダーに対して開示(削除)命令を発出するもので
ある。しかしながら、従前よりのこうした開示(削除)請求に対するプロバイダーの反応からすると、既に発信者にかかるログ情報は消去(その保存期間は3-4か月か?)されている、発信者のプライバシー侵害懸念の観点から、こうした情報開示に対しては消極的な姿勢も垣間見え、依然として障壁は低くはな
いものとみられる。

スマホ・パソコンを閉じて再考を!

 SNSネット社会の状況を、世界で見渡せば、米国ではSNSを使った大統領選挙への“干渉”が懸念され、また、ロシア・中国共産党は政治的な情報操作のツールとしているものとみられ、SNS・ネットの情報管理に対する“規制”への声も出てきている。一方で、国家権力によるSNS情報管理規制には、上記のロシア・中国共産党の例を引くまでもなく、強い懸念がもたれるところである。ただし、米国では未成年のインスタグラム(運営は旧フェイスブック)利用について、親の管理を必須とする規制が作られたとも報じられてはいる。

では、我々は如何して、SNSネット社会と付き合えばよいのだろ
うか?

 なかなか答えは難しい。ありきたりの答えしかできないが、SNS・ネットの情報を鵜呑みにしないこと、特に多額のお金が絡むことがらには、一度、仮想世界を抜け出し、冷静に現実の世界に戻り、アナログな検証をしてみること、すなわちスマホ・パソコンを閉じてゆっくりと再考してみてはいかがだろうか。


09:02
2024/08/15

POLITICAL ECONOMY第269号

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頑迷ドイツの石頭をすげかえよ
              経済アナリスト 柏木 勉

 欧州では極右・ポピュリスト政党の伸長が著しい。ながく権力を維持してきた既成政党は失墜しつつあり、民主主義の危機だとかファシズムの時代が近いとか暗鬱な空気に覆われている。

 先の欧州議会選挙では、これまでと同様に親EU中道会派が過半数を維持した。しかし、一方で、反EUの右派・極右が伸長して全体の約4分の1を占めるなど、全体として右傾化が鮮明になった。さらにドイツでは9月1日の州議会選挙で、国政与党SPDは惨敗。極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」と極左・ポピュリストが率いる新党が大幅に「躍進」した。テューリンゲン州ではAfDが第1党となった。戦後はじめて極右が州議会選で勝利を収めた。これに続くブランデンブルク州の選挙は22日だが、AfD は複数の調査で支持率1位になっている。

 フランスでは国民議会の決選投票が行われ「不服従のフランス」ら左派連合が第一勢力となったが、どの政党も獲得議席数が過半数に満たない宙づり議会のままである。しかし1回目の投票で国民連合中心の勢力が首位にたった。反EUと右傾化がいかに強まっているかを表している。

 これら極右政党はEUへの反感、所得格差拡大への糾弾,反移民の排外主義、国内「秩序安定化」を訴えて大きく支持をのばしている。

 今回はこれら極右の伸長を抑えるには、共通通貨ユーロに大欠陥を内在すること、ユーロとEUのありかたの改革を急ぐことが必須であること、そのためには頑迷ドイツの石頭をすげかえなくてはならないこと、それなくしてはユーロとEUは崩壊必至であること、これを述べたい。
 
長期の停滞基調が続く欧州経済

 極右・ポピュリストの主張が浸透するのは、結局のところ経済が低迷しているからだ。経済の低迷が第一の要因であり根本原因だ。経済が停滞から脱却していけば、極右・ポピュリストの声高な主張はおのずから弱まり衰退していく。

 ヤニス・バルファキスによれば、「2008年には欧州全体の所得は米国よりも10%高かった。だが2022年までには米国のほうが26%高くなった。GDPの比較だけでなく個人の所得の面でも貧困化している。このような衝撃的な運命の逆転は、2008年の世界金融危機を受けて欧州各国政府が前代未聞の緊縮財政政策を導入し、自国経済に打撃を与えたことに起因している」。

 欧州経済はリーマン・ショック(2008年)で下落し、さらにユーロ危機が続いた。リーマン・ショック直前のGDP水準に回復したのは、実に2016年になってからだった。その後若干の緩慢な伸びを見せたが、コロナ禍に襲われ次はウクライナ戦争のなかでインフレと金融引き締めとなった。

ドイツが固執する緊縮政策

 このような推移のなかで一貫しているのは、ドイツが固執する緊縮政策の押し付けである。ドイツはギリシャ危機・ユーロ危機のさなかにもECB(欧州中央銀行)の金融緩和・量的緩和とEUの財政出動に反対しつづけた。その後ドイツは「ドイツ好みの財政緊縮措置をEU法に制定して,財政緊縮ルールを強化した」(田中素香)。「こうして、
2008年以降の緊縮政策は欧州大陸全体の投資を圧殺し、欧州は長期的な衰退の道をたどることになった」(バルファキス)。

 この衰退の道から欧州民衆の不満、反感が鬱積・蓄積して各国の極右・ポピュリストの跳梁が生まれてきたのだ。

 ドイツには「まずは貯蓄、買物はその後」という倹約のすすめがある。驚くべきことに、これをそっくりそのままマクロ経済に適用しているのがドイツの緊縮政策なのだ。こんな倹約のすすめをマクロ経済に適用して信じて疑わない。愚かそのものである。(もっとも日本のザイム真理教も同じだ。ドイツの場合はオルド自由主義というが)

 そもそも、倹約のすすめは一個人のレベルで通用するものでしかない。これを経済全体に適用すれば重大な誤りとなる。ケインズの言う貯蓄のパラドックス、合成の誤謬だ。この倹約のすすめでは、貯蓄した後も所得が低下しないことが暗黙の前提になっている。(馬鹿な話だ)

 だが経済が停滞する局面で、皆が一斉に貯蓄を増やしたらどうなるか? 貯蓄によって支出が減少し需要が減少するから生産が落ち所得が減って(所得は減るのだ)、予定した貯蓄はできなくなる。それでも減った所得からなお貯蓄を続ければ悪循環に陥り不況が一層深刻化する。

 ところが、この愚かな倹約のすすめがEUのルールになってしまった。またECBの設計もドイツに任されて、異形ともいうべきドイツ連銀に似せてユーロ圏の制度がつくられてしまった。

 ユーロ圏の赤字国は為替切り下げが出来ない。だから緊縮策による不況、賃金切り下げ等労働諸条件の切り下げを強制される。ECBの金融緩和に対しては常にドイツによる反対が入って手遅れになる。財政出動は制約され、金利は赤字国が直接操作できない。これらは金本位制の制約と同じである。共通通貨ユーロは財政同盟(各国が財政的に助け合うもの)なしには機能しない。これが欧州経済の長期停滞をもたらす根源的要因なのだ。

 しかし、EEC時代から継承してきた「絶えず緊密化する同盟」にドイツは反対し続けている。頑迷ドイツの石頭は極右、ポピュリズムの抬頭と民主主義の破壊をもたらしつつある。頑迷ドイツの石頭をすげかえなくてはユーロとEUの崩壊は必至である。


11:04
2024/08/15

POLITICAL ECONOMY第268号

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日本初の生体肝移植から35年

       労働調査協議会客員調査研究員 白石利政

 毎年夏の初めに高校の同窓会報がとどく。会費納入の時期がきたのかと思いながらページをめくると、「特別寄稿 永末直文君の逝去に想う」が目についた。永末さんは島根医科大学(現島根大学医学部)の助教授だった1989年11月13日、先天性胆道閉鎖症の1歳男児(杉本裕弥ちゃん)に生体肝移植を国内で初めて、世界でも4例目の手術を行った医師である。

 移植を受けた(レシピエント)杉本裕弥ちゃんは、すでに2回の手術をうけ、移植以外に治療法がない状態にあり、家族も手術を強く願い、肝臓の一部提供者(ドナー)は父親だった。

 日本の臓器移植には1968年8月に実施された札幌医科大学での心臓移植が大きな影を落としている。レシピエントは手術後83日目に死去。脳死判定、手術とその後の経緯の非公開性などが問題視され、「快挙」が一転、同年12月には刑事告発された。

 島根医科大学の移植チームは40人(第二外科の医師全員、麻酔科・小児科・中央検査部・輸血部の関係医師と技師、手術室・ICU・病棟の看護婦など)。手術は15時間45分、札幌医科大学での心臓移植の経験を踏まえ、その後の経緯をも含め情報公開に徹した。なお、手術に必要な輸血の供血は医科大学の学生42人に頼み十分間に合った。手術は成功、一時は一般病棟に移れるまで回復したが手術から285日目に亡くなった。

その後の議論の出発点に

 裕也ちゃんの状態が悪化すると医学会やマスコミから今回の手術を非難する声が強まった。手術から8か月後に出版された中村輝久 監修 「決断 ― 生体肝移植の軌跡」(時事通信社1990年7月)で、永末医師は「決断―生体肝移植の軌跡」を寄稿し、「移植後、私たちに向けられたいくつかの疑間に答えたい。これはあくまで私個人の考え」と断って、7つの疑問(「健康な生体にメスを加え、肝臓の一部を切除することは倫理的に問題ないか、そしてこれが医療と言えるか」、「大学の医の倫理委員会に申請すべきであった」、「生体肝移植が一般化すれば、臓器提供ができない、あるいはしたくない親に精神的な圧力がかかり倫理的に問題がある」、「生体間移植が一般化すれば臓器売買のおそれがある」、「世界でまだ三例しか行われておらず、確立された安全な術式ではない」、「インフォームド・コンセントはできていたか」、「次のドナーを用意しないで肝移植を行うのはどうか」)を挙げ、それぞれについて見解を述べている。

 後々問題となった「大学の医の倫理委員会に申請すべきであった」への見解は次のとおりである。

 「『なぜ医の倫理委員会に申請しなければならないのですか』と問い返したい。…まだ安全性すらわかっていない新しい医療であるから申請すべきだとする考えは私にも理解できる。しかし、医の倫理委員会の役割は一体何なのだろうか。…今回の移植に関して、私たちは倫理的に何ら問題ないと考えたから申請しなかったのである。

 私は、倫理委員会が肝移植の技術的なことや適応などまで審議することは間違っていると思う。年々、進歩し、変わっていくこれらの事項は、専門家でさえその判断は難しい場合があるのに、専門外もいる医の倫理委員会の委員がどうして判断できるのだろうか。判断できないからこれまで何年も保留の状態できているのではないか。-…私は、各大学の医の倫理委員会が肝移植そのものの倫理性を迅速に審議して、早く結論を出してほしいと願っている」

 移植手術から4年後の1993年、杉本裕弥ちゃんの地元、岩国市医療センター医師会病院のロビーに移植手術への理解を深めてもらおうと、裕弥ちゃんの像が設置された。裕弥ちゃんは一度も立つことがないまま亡くなった。母親・寿美子さんの希望で立ち姿となり、二本の足でしっかり立っている(現在、一般公開はされていない)。

 生体肝移植施行から30年経った2019年12月、島根大学医学部に日本生体肝移植発祥の地として記念碑が建立された。背面には「平成元年(1989年)11月13日 島根医科大学第二外科(中村輝久初代教授)において永末直文助教授(のち第二外科第二代教授)執刀のもと、先天性胆道閉鎖症の1歳男児に対する父親からの本邦初の生体部分肝移植術が教室を挙げて成功裡に施行された。茲にその功績を称え末永く顕彰するものである」との碑文が刻まれている。

島根大病院でも35年ぶりに再開準備

 この生体肝移植手術が嚆矢となって今日の肝移植手術、ひいては移植医療の発展がもたらされた。肝移植の総数は1989年の開始以降、毎年着実に増加を続けている(図参照)。
 しかし、永末医師は1995年に島根医科大学の教授となり、2003年の島根大学との合併後は医学部長にも就いたが、大学の倫理委員会を通さなかったことへの反発が思ったよりも強く、生体肝移植を執刀する機会は二度と訪れなかった。その島根大学医学部付属病院で、年内にも35年ぶりの肝移植再開を目指して準備が進められている。

 移植にはドナーの問題がつきまとう。現在のところドナーには亡くなった人からの「脳死後の臓器提供」、「心臓が停止した死後の臓器提供(心停止後の臓器提供)」、そして健康な人からの臓器提供(生体移植)の3つがある。日本は他国に比べドナーの少なさが目につく。これには日本人の死生観なども影響しているといわれている。

 ドナー不足を補うため世界各地で再生医療や遺伝子改変等を行った異種(ブタなど)移植用臓器を用いた臨床研究も進められている。これらの次世代技術については、どこまで「許されるのか」など検討すべき課題は残っている。ビジネスが絡んでいるだけに複雑さを増す。

 しかしながら、臓器移植でしか助からない命がある。移植医療に対する市民社会の理解が追いつき深化することが求められている。


07:41
2024/08/14

POLITICAL ECONOMY第267号

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日銀は金融正常化に向けた歩みを止めるな
                             経済ジャーナリスト 蜂谷 隆
 
 8月初めの東京株式市場の大暴落は、日銀が金利を引き上げたためだとして一部に日銀叩きが出ている。「まだその環境にない」、「円高を招いた」等々。しかし、インフレ局面に入っている日本経済の現状を考えれば、金利引き上げを伴う「金融の正常化」は必要不可欠なはずだ。しかも行き過ぎた円安を是正し輸入物価を安定させ、個人消費を上向かせることは喫緊の課題だ。日銀がここで逡巡しては日本経済の先行きは暗い。

 日経平均が8月2日(金)に2216円、続く月曜日の4日には4451円という88年のブラックマンデーを上回る大暴落を記録した。翌5日は3217円と暴騰、その後は乱高下を繰り返している。

 株式市場の大暴落の要因は、確かに日銀が金融政策決定会合で政策金利を0.25%に引き上げたことであるが、それ以上に大きかったのはアメリカの雇用統計の悪化を受けアメリカ経済の先行きに懸念が広がったことだ。下落した株式市場は2日続けてパニックになってしまった。売りが売りを呼び最後は「狼狽売り」が生じ、歯止めが効かない事態となった。

「円安バブル」がはじけた?!

 日経平均は2月21日に、バブル期の89年につけた最高値(3万8915円)を更新、7月11日には4万2224円まで上昇した。年初から8936円も上昇、上がり過ぎという評価から調整局面にあった。市場参加者は、いつか下落するのではとビクビクしていたので、ある意味では来るべきものが来たともいえる。

 株高を後押ししたのは急激に進んだ円安だ。7月3日に記録したドル円相場は1ドル=161.9円である。これは年初に比べ12.6%、23年の年初に比べ23.2%も円安が進んだ。円安で輸出型企業の業績が上がり、株が上昇したのである。まさに「円安バブル」であった。

 しかし、行き過ぎた円安で物価が高止まりし実質賃金は一向にプラスにならない。行き過ぎた円安是正に動けという世論は強まっていた。日銀の金利引き上げの実施は7月か9月というところまで来ていたのである。

 そこで政治の動きがあった。岸田首相は7月19日、長野県軽井沢町での経団連での夏季フォーラムで「『金融政策の正常化が経済ステージの移行を後押しする』」と強調した。デフレから成長型経済に移ることで『金融政策のさらなる中立化を促す』」(日経新聞7月19日付)と発言している。

 さらに自民党の茂木幹事長も7月22日の講演で、「段階的な利上げの検討も含めて金融政策を正常化する方針をもっと明確に打ち出す必要がある」(日経新聞7月23日付)と、踏み込んでいる。

 9月は自民党総裁選がある。利上げは株式市場の下落材料となる。できれば9月は避けて欲しいというのが官邸や自民党の本音だっただろう。「この(岸田首相の)発言がゴーサインだったのでは」という政府関係者の見方をロイター(8月2日付)は伝えている。

 いずれにしろチャンス到来と植田総裁は政策金利を0.25%に引き上げた。筆者はこの判断は正しかったと思う。物価上昇の高止まりで国民生活は疲弊し消費が低迷している。賃金が上がってもそれ以上に物価が上がれば消費は増えない。円安を是正し物価上昇を抑えることが第一義的課題だったことは間違いない。

 利上げに対して株式市場は大きく反応した。金融引き締めは「タカ派」、緩和は「ハト派」と名付け、「ハト派」は株の押し上げ要因と考えるからである。しかし、日銀による金融政策は株式市場のためにやっているわけではない。

 問題は株価暴落で息を吹き返したリフレ派だろう。円安は日本経済にとって千載一遇のチャンスととらえ、輸出を促進し得た利益を賃上げに向ければいいと旧態依然とした主張を行っている。利上げには消極的で量的緩和は継続すべしという考えである。7月の金融政策決定会合で反対票を入れた委員が2人いる。そのうち野口旭氏(専修大学教授)はリフレ派の論客として知られる。

 そもそも大規模緩和とマイナス金利の異次元緩和政策は経済がデフレの時の政策で、インフレに移行した局面では有効ではない。事実、行き過ぎた円安は物価上昇を招き、消費低迷の大きな要因になっている。

個人消費は回復していない

 8月7日に公表された6月の実質賃金がプラスとなった。さらに15日公表の4-6月期のGDP速報では、前期比年率換算実質で3.1%増となった。植田総裁はこうした情報を察知して、「行ける!」と判断したのかもしれない。7月31日の金融政策決定会合後の記者会見で「個人消費は物価上昇の影響などがみられるが、底堅く推移している。先行きは賃金・所得の増加が個人消費を支えていくと判断した」と楽観的な見通しを語っている。

 しかし、4-6月期の実質家計最終消費支出は289.7兆円で、過去最高の14年1-3月期の303.7兆円を未だに超えていない(図参照)。14年1-3月期は消費増税前の駆け込み需要があったので、次の13年7-9月の297.9兆円と比べても劣っている。ちなみに実質家計最終消費支出が280兆円台になったのは、2005年7-9月期である。何と19年前のことだ。4-6月期の実質家計最終消費支出は前期比で1.0%増となったが、前年同期比では-0.2%だ。個人消費は回復したとはいえない。

 まずは行き過ぎた円安を是正し物価を安定させることが先決だろう。そのためにも金融正常化の歩みを止めるべきではない。


07:54
2024/07/30

POLITICAL ECONOMY第266号

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オリンピックは万博の余興だった
                                 元東海大学教授 小野豊和

  パリで100年ぶり3度目となるオリンピックが開催された。開会式の行進はスタジアムではなく200を超える国と地域の代表が船に乗ってセーヌ川を航行し、エッフェル塔を臨むトロカデロ広場で開会宣言が行われた。コンコルド広場、グランパレ等に仮設観覧席を設けるなど9割以上が既存施設を活用する等パリならではの趣向は素晴らしい。

  近代オリンピックは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵が「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」と唱え、1896年に実現した。第1回はオリンピック発祥の地・ギリシャのアテネ大会。今回は第33回の夏季オリンピックとなる。エッフェル塔が建ったのは、近代オリンピックが始まる7年前のパリ万博で、産業技術の息吹を感じさせる最大の展示物だった。大航海時代(15世紀半から17世紀半)に、7つの海からヨーロッパに持ち込んだ動植物や標本を公開化する流れのなかで博物学が発達した。1789年に始まったフランス革命によってヨーロッパ諸国家には新しい資本主義が登場し、そのイデオロギー装置として出現したのが博覧会で、産業テクノロジーを基軸とした壮大なスペクタクル形式のうちに統合していく。こうした方向に先鞭をつけたのがフランスで、やがてヨーロッパ諸国へと広がっていく。この動きの集大成として1851年にロンドンで史上初の産業博覧会が開催され、その後、都市開催の万国博覧会として発展していく。

 1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会に続く3回のオリンピックは、万国博の余興として開催されていた。1900年の第2回パリ大会は、同年のパリ万博、1904年の第3回セントルイス大会は同年のセントルイス万博、そして1908年の第4回ロンドン大会も同年の仏英博と深く関係していた。そして、これらいずれにおいても、主役はあくまでも博覧会で、オリンピックは脇役的にしか注目されていなかった。オリンピックは、その後、第5回ストックホルム大会でようやく万国博から独立し、徐々にその規模を拡大していく。

オリンピックが国際イベントの中心に

 オリンピックと万国博とのこうした関係が逆転するのは、1936年のベルリン大会からである。この時、政権の座にあって既に3年を経過していたナチ総統のヒットラーは、ユダヤ人に対する残忍な迫害や、周辺諸国への侵略意図をカムフラージュしつつ、自らの「帝国」を神格化する格好の仕掛けとしてオリンピックを徹底的に利用していったのである。彼が行ったのは大会のスペクタクル化で、聖火リレーや表彰台、壮大なスタジアムの建設と、見事に演出された開会式など後につながるオリンピックの伝統が発明されていったのである。第二次世界大戦後になると、諸国家が覇権を競う国際的イベントとしては、万国博ではなく、オリンピックこそが中心的になっていくのである。

 万国博からオリンピックへの移行は、産業的技術から運動的機能への重心の移行で、20世紀の情報メディアの発達が不可欠な前提条件となっていく。事実、1936年ベルリン大会では、聖火リレーから開会式、競技までが詳細にラジオで中継されていた。そして、ベルリン大会とメディアとの統合を示したのが、レニ・リーフェンシュタインによる映画「民族の祭典」であった。博覧会が開催期間を通じて会場内に数千万人収容できたのに対し、オリンピックは各競技の直接の観客として収容できるのは10数万人程度であった。ところが、メディアを通じて全世界に同時に放送されることで、オリンピックは万国博よりもドラマチックな催しとして、人々の意識を強力に高めるようになる。つまり映像的および電子的なメディアの発達と浸透こそが19世紀と20世紀を分ける一つの決定的なメルクマールなのである。20世紀は、この近代のまなざしの場をメディアに代替させることで、地球規模のメディア・スペクタクルの時代を実現させていったのである。

商業スポーツへと発展

 オリンピックは開催国の威信を賭けた政府主導から、開催都市の民間企業を巻き込む商業スポーツへと発展していく。1976年のモントリオール大会で大赤字を出した教訓から、運営経費捻出のため、1985年のIOC総会でTOP(The Olympic Program)というマーケティングプログラムを導入する。オリンピックを技術的、資金的に支援するためのカテゴリー別パートナーシッププログラムで、冬夏セットで五輪マークを使用した全世界向け宣伝活動を行う権利と、VIK(Value in kind)という製品・サービスを、選手育成を目的に全世界のオリンピック委員会と五輪競技期間中の施設に提供できる権利が与えられている。コカ・コーラ、コダック、VISAなどと共に日本企業としては唯一パナソニックが初回から参加している。

 このプログラムに参加すると優先的に公式サプライヤーになる資格があり、パナソニックは1992年バルセロナ大会からOBS(オリンピック放送機構:開催期間中のミニ放送局)の元請け(公式サプライヤー)となり、30年以上にわたりオリンピック競技大会に対して、パナソニックのAV機器・サービスを提供することで、会期中のすべての競技等の国際映像の運営(取材・編集・発信)を行ってきた。また2014年10月に、日本企業として初めて国際パラリンピック委員会のワールドワイドパラリンピック
パートナーとなり、国際社会の平和と発展および、障がい者スポーツ(パラスポーツ)の振興・普及にも貢献してきた。こうした機器納入やパートナー活動を通じて、世界のトップレベルのアスリートたちの情熱、
緊張感、躍動感やそのパフォーマンスがもたらす感動を、会場だけでなく、全世界に届けてきた。

 なお、筆者はパナソニックの広報担当としてアトランタ大会(1996)、長野冬季大会(1998)の現場で取材対応した(写真参照)。   


12:59
2024/06/10

POLITICAL ECONOMY第265号

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「騒乱警戒」水準に近づく役員報酬の高額化
    NPO現代の理論・社会フォーラム運営委員 平田 芳年
  
 6月下旬、トヨタ自動車が公表した2024年3月期の有価証券報告書記載の役員報酬額にメディアが注目、話題となった。一年前に社長から会長に退いた豊田章男氏の3月期の役員報酬が16億2200万円だったことが明らかになったからだ。社長だった23年3月期の9億9900万円から6億2300万円、率にして62%の大幅増加、トヨタ歴代の役員として最高額となった。報酬の内訳は固定報酬が約3億円、残りが業績連動と株式報酬が大部分を占めている。社外取締役を中心とした「報酬案策定会議」で審議し、取締役会議で決定されたという。

  早速、新聞、経済誌などでは「トヨタ会長の報酬は高いか低いか」との論潮が誌面をにぎわしているが、総じて報酬引き上げには好意的で、「これまでグローバル企業として見劣りしていた役員報酬にようやくメスを入れた格好だ」(日経クロステック)との賛辞が広がっている。欧州のグローバル企業の場合、経営トップの報酬は15億~25億円、米国のグローバル企業では、35億~45億円か平均相場といわれ、その水準に近づいたというのが好意的報道の背景にある。

 欧米に見劣りする役員報酬と評される日本でも報酬の高額化が進行している。有価証券報告書に記載が義務付けられている役員報酬1億円以上の人数(6月27日現在)を見ると、3月期決算で開示したのは295社、740人で前年の722人を超え、過去最多を更新。トップは日立製作所の34人、以下、三井住友フィナンシャルグループ17人、伊藤忠商事14人、三菱UFJフィナンシャル・グループ14人。金額の最多はソフトバンクグループのレネ・ハース取締役34億5,800万円、ソニーグループの吉田憲一郎代表執行役会長23億3,900万円、武田薬品工業のクリストフウェバー代表取締役社長20億8,200万円。前年より報酬額が増えたのは338人で開示人数の45.6%を占めた。

米国ではインフレに苦しむ市民が猛反発

 この役員報酬を巡って6月21日付日経新聞に興味深い記事が掲載されている。2面「真相深層」欄に『CEO報酬、従業員の200倍、米の格差「騒乱警戒」水準』-との見出しが並ぶ。

 米食品大手ケロッグのCEOが「夕食にシリアル(とうもろこしや小麦などの穀物を加工した食品)を食べれば節約できる」とテレビで発言、ネット上で「炎上」したことを取り上げた。「同CEOの報酬は442万ドル(約6億9000万円)と米企業の中では高くはないが、インフレに苦しむ市民の猛反発を受け、同社製品のボイコットを呼びかける投稿が数千万回も再生された」という。

 同記事では「アメリカンドリームを重視する米国は本来、成果主義に理解のある国だ。それでも高額なCEO報酬や、広がる格差に対して不公平感を抱く市民は増えている」と指摘。米調査会社エクイラーとAP通信の共同調査によると、平均的な従業員の年収とCEO報酬の中央値を比較した「ペイレシオ」は23年に196倍に広がり、「所得の公平さを示すジニ係数は0.488と騒乱発生リスクがある0.4をはるかに上回る水準」と伝えている。

増え続ける役員報酬

 日本経済の『失われた数十年』と称されて久しい。大企業の人件費は2000年から20年にかけてほぼ横ばいで推移してきたが、企業の経常利益は約2倍、内部留保は約3倍に膨らみ、企業業績に連動する役員報酬も倍増の勢いを示している。一方でサラリーマンの5月の実質賃金は26か月連続マイナスを記録、低迷を続けている。この結果、勤労者の平均年収はわずかな伸びに留まり、22年は458万円(国税庁・民間給与実態統計調査)というのが実態。

 上述の日経記事に当てはめると、日本の代表的企業であるトヨタ会長の報酬と給与所得者の「ペイレシオ」は354倍となる計算で、米の「騒乱警戒」と指摘される200倍をはるかに超える水準。社員や経営者の給料に徹底した成果主義を採り入れ、儲けた社員や経営者に巨額のボーナスを支払うことでバブルを煽ったウォール街の「強欲資本主義」が2000年代はじめの「リーマン・ショック」を生み出したとの批判がある。巨額の報酬をグローバル企業の象徴と賛美するのではなく、物価高で生活に苦しむ一般市民と巨額報酬を受け取る勝ち組との著しい格差を直視する必要がある。


12:13
2024/05/26

POLITICAL ECONOMY第264号

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軍拡路線で急成長する軍事産業
          横浜アクションリサーチ 金子 文夫


世界的な軍拡潮流に呼応する日本

 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻が長期化するなかで、世界的な軍備拡張の潮流が生じている。NATOは加盟国32カ国のうち23カ国が軍事費のGDP比2%目標を2024年に達成する見込みという。

 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2023年の世界の軍事費は前年比6.8%増の2.4兆ドルと過去最高に達した。1位の米国は2.3%増の9160億ドル、2位の中国は6.0%増の2960億ドルだったが、3位のロシアは24%増の1090億ドル、8位のウクライナは51%増の648億ドルへと急増した。その影響で日本は10位から11位に順位を下げたが、11%増の502億ドルと過去最大の増加率を記録した。

 2022年末の安保3文書閣議決定を契機に軍拡路線に突入した日本の防衛関係予算は、22年度の5.2兆円が23年度は6.6兆円へと当初予算ベースで27.4%増、さらに24年度は7.7兆円へと17.0%の増加だ。軍拡予算の規模は2023~2027年度の5年間総額で43兆円と見積もられているが、1ドル=108円と想定した計画であるため、おそらくさらに大幅な増額になるだろう。軍拡予算の使途は自衛隊員の生活・勤務環境の改善まで含めて多方面に渡るが、ミサイル・戦闘機などの兵器増強が中核となることはいうまでもない。

「防衛特需」で潤う軍事産業
 
 安保3文書では軍事産業を「いわば防衛力そのもの」と位置づけ、その育成・強化を強調している。そのための手段として、軍事産業への手厚い利益保証(営業利益率15%)、輸出促進等の様々な支援策を打ち出している。それらは22年4月に経団連が公表した「防衛計画の大綱に向けた提言」の内容を受ける形で制定されたと考えられる。

 軍事産業の対応は迅速だった。三菱重工は23年11月に開催した「防衛事業説明会」で、スタンドオフミサイル、統合防空ミサイル(PATRIOT、SM-3、イージス艦等)、無人兵器(航空、海洋
陸上)、次期戦闘機、宇宙機器等の重点事業を説明し、26年度までに売上高倍増、それに対応して人員2~3割増といった経営方針を表明した。また24年5月に行った23年度決算説明では、全体として受注高、売上高、当期利益は過去最高、特に「航空・防衛・宇宙」部門は受注高が7000億円から2兆円へと3倍近く増加したと報告している。これに続く事業計画説明でも、泉澤社長は「国家安全保障へのニーズの急激な高まりに応えることで事業を拡大する」と言明した。三菱重工の株価は23年末と比較して24年6月時点で8割高に達し、PBR(株価純資産倍率)は2倍を超えた。

 川崎重工は防衛省向け受注高を22年度2628億円から23年度5530億円へと2倍以上伸ばした。同社の主力製品は航空機、ヘリコプター、潜水艦などで、決算説明では防衛省向けが「抜本的な防衛力強化という防衛省の方針のもと、需要増や採算性の改善が期待できる」と記している。IHIは23年度決算説明資料で、防衛省向け航空エンジン・装備品の受注高が2022年度の1156億円から23年度の2684億円へと2.3倍に増加して過去最高を記録、24年度はさらに上回る見通しと説明した。また「成長事業について(民間エンジン・防衛・宇宙事業)」と題する資料では、「防衛力強化」の7つの重点分野を示し、「当社の強みが発揮できる分野に特に大きく予算が割り当て」と期待を滲ませている。

 その他、NEC、三菱電機、日本製鋼所なども受注を伸ばしている。軍事産業の裾野は広く、戦闘機1100社、戦車1300社、艦船8300社にのぼるといわれており、「防衛特需」の影響は多方面に及ぶと想定される。

際限のない武器輸出へ
 
 軍拡予算に対応して生産能力を増やした軍事産業は、海外市場への輸出拡大を追求することになる。第二次安倍政権は発足早々、「武器輸出3原則」を「防衛装備移転3原則」へと変更したが、殺傷兵器の輸出に関しては抑制的だった。ところが岸田政権は安保3文書の閣議決定とともに、3原則運用指針の全面的転換へと踏み込み、自民党・公明党の一部議員の検討を経て、23年末には一部殺傷兵器輸出の限定的解禁、さらに24年3月には戦闘機の輸出容認に至った。これには、イギリス・イタリアとの国際共同開発品に限るなどの条件が付与されたが、そんなものは今後いくらでも変更できるだろう。問題は、こうした重要な政策変更を閣議決定のみで進めていることだ。米国などは兵器輸出について議会がチェックする仕組みをもっており、日本も国会にそのような役割をもたせるべきではないか。

 この間、防衛省は軍事産業に働きかけ、内外の兵器展示会・商談会への参加を促してきた。国内では22年から在日米軍との取引を想定した商談会「インドストリーデー」を開催、また中小企業の軍事産業関与を狙って「防衛産業参入促進展」を東京・大阪で開いている。海外では、23年9月、ロンドンで開かれた欧州最大の兵器展示会「DSEI」に日本企業8社が出展、11月にはシドニーで開催された展示会「インド・パシフィック」に初めて日本企業10社が参加した。さらに24年2月の航空機関連展示会「シンガポール・エアショー」に初めてブースを設け、日本から13社が出展した。 このような防衛省と軍事産業の一体化した武器輸出に向けた動きに対しては、厳しく監視していく必要があろう。


16:44
2024/05/13

POLITICAL ECONOMY第263号

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孤立しないためのゆるい絆

                             街角ウオッチャー 金田 麗子

 引き取り手のない遺体が増えているという。引き取る家族や親族が見つからない、身元がわかっても家族や親族に引き取りを拒まれるなどの事例が急増しているという。(2024年6月9日付け「朝日新聞」)

 独自の取り組みをしている横須賀市では、1990年代からこうした事例が増え始め、近年は年間50~60件にのぼるという。身寄りがない高齢者と葬儀社との間で、葬儀納骨の生前契約を結び、あらかじめ費用を預託し、死後に履行されることを横須賀市が確認する取り組みをしている。

 高齢化や単身化などを背景に、頼れる身寄りのない高齢者が直面する課題は多岐にわたっている。病院や施設に入る際の保証人や手続き、葬儀や遺品整理など家族や親族が担ってきた役割を果たす人がいない高齢者が増え、サービスを提供する民間事業者は増えたが、100万円単位の預かり金が必要でトラブルも増えている。

 このため厚生労働省は公的支援の仕組みを検討し、モデル事業を始めるという。一つは市町村や社会福祉協議会などに相談窓口を設け、「コーデイネーター」が配置相談に乗る。日常の困りごと、終活、死後の遺品整理などの相談を行い、それぞれ専門職や委任できる業者につなげ契約手続きを支援する。

 もうひとつは市町村の委託、補助を受けた社会福祉協議会などが、介護保険などの手続き委任、代行から金銭管理、近況連絡先としての受諾、死後対応などをパッケージで提供。国による補助で少額でも利用できるようにする。

国が制度化を検討する背景

 国立社会保障・人口問題研究所推計によると、65歳以上の一人暮らし世帯は2020年の738万人から2030年には887万人、2050年には1084万人へと増加。65歳以上の「独居率」は50年には男性26.1%、女性は29.3%に達する。さらにそれぞれ独居の人のうち男性の59.7%、女性の30.2%が婚姻歴がないと見込まれる。さらに子どもも兄弟もおらず、近親者がいない独居高齢者の急増も想定。

 低所得者でも利用できる、生活支援から死後対応まで長期間伴走し、必要な支援をコーデイネートしていく地域の仕組みが求められている。

 「東京ミドル期シングルの衝撃」(東洋経済新報社)は、東京区部単身者の4割近くを占める35歳から64歳を対象に研究をまとめた。013年に開始した新宿区の調査を踏まえてその後23区に広げ、約10年に及ぶ研究をまとめたもの。

 著者の一人である宮本みち子さん(2024/4/11読売新聞)は語る。「今やシングルはマイノリティではない」
 彼らの一番の不安は寝込んだときにどうするかだ。仕事中心で親族との交流の頻度が少なく、「親密圏」を持たない人が男性で目立つ。新たな親密圏の築き方として、家族の見直しによる多様な親密圏を広げる。もう一つは住宅。孤立した住宅でなく、プライバシーを確保しながら共同生活のメリットを増やしていく住まいの多様化。「従来の地縁共同体に頼る発想から多様な弱い絆を増やす発想転換が必要」と言う。

自由と仲間の助け

 横浜市の寿地区は1956年頃から、日雇い労働者向けの簡易宿舎が集まってきたが、長引く不況の影響で労働者が減り、横浜市によると2013年度には、65歳以上の住人の割合が全体の50%を超え、その後も高齢化が進んだ。失業や病気など様々な問題を抱える人が増えた。

 2018年に開業した「コムラード寿」は、介護ベッドを配置できる広さの間取りを確保、持病がある人のために24時間職員が常駐し、部屋にも緊急ボタンが導入されている。

 その他近年建設された簡宿の多くも、高齢者や身体障がい者でも利用しやすいように、段差を解消したり、エレベーターを設置したりしている。地区のほぼ全域の簡宿に、介護サービス業者が出入りし、入居者の入浴支援などを行っている。さらに「自由さ」が簡宿の魅力。外出、食事、喫煙など、制約の多い介護施設などとの違いがある。(5月26日付け「朝日新聞」)

 9年前11人が死亡した川崎市日新町の簡宿のあった地域は、市が転居指導しても、生活保護受給者は2024年3月現在で238人、65歳以上が73%である。簡宿に頼っている人は、「アパートでは、風呂の掃除もごみの分別も全部ひとりでやらなくてはならない。でも簡宿では仲間に助けてもらえる」と言う。(5月18日付け「朝日新聞」)

なるほど。宮本さんが言う「多様な弱い絆」ってこういうことかと思う。

個々人の境遇に寄り添い具体的なニーズにこたえる

 私の勤務先の精神障がい者グループホームの近くに、県住宅供給公社のシニア向け集合住宅が建設中で、収入に応じて住宅費補助が付き、見守り機能が付く。
 
 グループホームが開設以来20年入居しているメンバーのAさん(76歳)に、ホーム側がシニア住宅への入居を進めたところ、Aさんは血相を変えて怒った。「死ぬまで居られるというから来たのに」。

 意外だった。Aさんは自立度が高く、通所先の作業所でも中心的な活動をしているし、ホームでも生活全般一人で何でもできる。当然独居生活を望み喜ぶかと思った。しかし違った。

 独身のAさんは殆ど身寄りがない状態だ。グループホームの生活が、安心の担保だった。支援者側の思い込みがAさんの不安を無視するところだった。

 「個々人の境遇に寄り添って、具体的なニーズに応答するのがケアの倫理である」(「群像」7月号「ケアの現在地」小川公代)ことを痛感した。


21:42
2024/04/29

POLITICAL ECONOMY第262号

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遠山記念館(埼玉県川島町)を訪ねて
大相場師の秘めた思いから見えるもの
                              金融取引法研究者 笠原 一郎

 コロナ明けして、今年のGWは最大10連休もと、かなりの人出が予想されるなか、どこか空いていそうな、そして何か面白そうな場所はないかとGoogle MAPを見ていたところ、埼玉県川島町に「遠山記念館」(写真参照)なるところを見つけた。好天のなか渋滞もなく1時間ほど車を走らすと、田植えを終えばかりの、のどかな水田が広がるなかに、ぽつんと緑茂る屋敷森にそれはあった。

なぜ広大な家を建てたのか

 遠山記念館は、昭和初期に、今見ても最高の良材を使い丁寧に建築されたことがわかる壮観な3棟続き
の木造家屋の母屋と瀟洒な庭園、そして小さな美術館からなっていた。ほとんど来訪者もなく、迷子になりそうなくらいの広大でひんやりとした日本家屋は、日興証券(現SMBC日興)の創業者・戦後証券界の大立者である遠山元一が年老いたご御堂のため、そして、かつて追われた生家の復興のため、3年近い歳月と膨大な資金をつぎ込んで建てたものである。

 それにしても、遠山は、いかに生家再興とはいえ、交通の便が決して良いとは言えない田んぼの真ん中に、高齢の母ひとりが、いや何人住まおうが人が住まうには広すぎる、この屋敷を、巨費を投じて建てたのであろうか。たとえ迎賓用としても、失礼な言い方かもしれないが、当時はどこにでもあったと思われる田んぼ以外になにもないような田舎に、だれを呼んだのであろうか。国の重要文化財にも指定されているという屋敷の桟敷で、そんなことに思いをはせながら、初夏のつつじが美しいお庭をぼんやりと眺めていた。

『小説 兜町』(清水一行著)にヒント

 連休明け後、日本橋の丸善をぶらぶらしていると、このところのバブルの再燃とも思わせる株式市場の活況もあるのであろうか、話題本の書架に60年以上前に刊行された『小説 兜町』(清水一行著)の文庫本改版が平積みされていた。この小説で主人公が勤める「興業証券(日興証券)の社長大戸」のモデルとされているのが遠山である。あまりこの手のモデル小説は読む気になれなかったが、先の思いもあり、つい手にしていた。

 ストーリーは、興業証券のヤリ手営業課長(というより鉄火場の相場師そのものの)である主人公が、朝鮮戦争からの経済活況、その後のスターリン暴落、神武景気・岩戸景気での大相場での連戦連勝の成功と昭和40年証券恐慌(当時の山一證券救済のための日銀無担保特融が実施された)にかけての失態、そして、“株屋”と一段下に見られ、その経営体質の近代化が求められていた証券会社にはそぐわない人物として、会社を追われるまでを描いたものである。主人公の仕掛ける相場(特定の銘柄の買い集め等)は、相場操縦、インサイダー、フロントランニング、自己思惑等々と、現在の規制環境下では、その手法のほとんどが違法・ルール違反のオンパレードではあるが……。この証券会社の社員という枠の中では納まらない主人公を、事あるごとに気にかけ見守っているのが、興業証券の創業社長の大戸(遠山)であった。

零落した生家を再興させたが・・・

 戦後証券界の大立者とされてはいるが、兜町で投機に生きてきた大戸の心のうちに流れる相場師の熱い血を、著者の清水は、次のように語らせている。

 「彼の生家はその地方きっての名家であった。その名家も父の代に没落した。大戸にとって、生家の再興は畢生の執念であつた。零落した生家の再興……。しかしそれはとてつもない浪費であった。だが彼はその浪費のために働き、浪費によって大戸家にまつわる汚名をそそいだ。…… 大浪費こそが、勝負に生きる男に、儲けの実感を汲み取らせてくれる。彼はそう信じてきた。しかしいま、興業証券だけは、なんとしても浪費の対象にしてはならないと思うようになってきた」

 現実に遠山は、証券会社経営の近代化を図るため、日興証券の経営を日本興業銀行からスカウトした湊守篤に託し、思いの詰まった遠山記念館を財団法人化して、1972年にその生涯を終えた。しかし、四大証券の一角とされた日興証券は、バブル期以降、外国資本の下に入るなど変転を続け、現在は三井住友FGの傘下のSMBC日興証券となり、そして、遠山が後継にと密かに願った三男の直道は副社長在任中の1973年、フランス ナント上空のイベリア航空機事故により亡くなっている。

 また、紅葉の季節にでも、遠山の思いが凝縮したようなお屋敷を訪ね、終戦後の混乱期そして昭和30年代の高度経済成長のただなかで、相場師たちが躍動した株式市場、清水一行が描いた頃の兜町の兵どもの夢の光景に思いをはせてみよう。                                      


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メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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