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これまで発行の「POLITICAL ECONOMY]、「グローカル通信」
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2025/03/29

POLITICAL ECONOMY第284号

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トランプ関税を支える「改革保守派」
             経済ジャーナリスト 蜂谷 隆

 今年3月、アメリカの保守派の若手論客オレン・キャスが来日した。彼はトランプ政権の中で過激な保護貿易主義者であるJ・D・バンス副大統領や貿易・製造業担当上級顧問ピーター・ナバロを政権外で支えている「改革保守派」(Reformocon)に属する。日本での講演はyoutubeで公開されている。また朝日新聞(4月3日付け)ではインタビューが掲載された。オレン・キャスを日本に招いたのはアメリカ保守思想史研究者である会田弘継氏である。同氏の分析などを手がかりに「改革保守派」は何を目指し、何を変えようとしているのかを探ってみた。
 
 トランプ政権を支えているのは、三つのグループといわれている。ひとつは「改革保守派」である。二つ目のグループはスコット・ベッセント財務長官ら金融系。三つ目のグループはイーロン・マスクに代表されるテクノ・リバタリアン(ITの自由至上主義者)とされる。金融業界や情報産業は長いこと民主党を支えていたのだが、「流れは変わった」として、トランプ政権を支える側に回った。

 トランプ関税は、思い切ってやればやるほど自国経済が傷む。目標とする製造業の復活もインフレでコストが高い、人件費も高い、技能労働者がいない等を考えると労働集約型は難しい、半導体、自動車など先端型の一部に限られる。なぜこうした無茶な政策をやろうとするのだろうか。
 
労働者とコミュニティ重視の「改革保守」

 ピーター・ナバロの後ろ盾は米国経済諮問委員会(CEA)委員長であるスティーブン・ミランといわれている。彼がヘッジファンド在籍時の2024年11月に発表した論文 “A User’s Guide to Restructuring the Global Trading System”が注目されている。というのはこの論文がトランプの関税政策に大きな影響を与えていると見られるからだ。ミラン氏はこの論文で、米ドルの過大評価が米国の製造業の空洞化を招き、貿易赤字や地域経済の衰退を招いたと指摘、貿易・通貨政策の抜本的な見直しとプラザ合意のような協調的な通貨調整(ドル高是正)を行う政策を提案している。
 
 図は同論文に掲載されているもので、アメリカの製造業の労働者数が約1300万人で、雇用労働者に対する比率は8%に過ぎないことを示している。
 
 「プラザ合意のようにやろう」ということで、トランプ政権では「プラザ合意2.0」とかトランプ米大統領の別荘名をとって「マールアラーゴ合意」と呼ばれている。

 ミランは39歳でミレミアム世代に属する。9.11からアフガン戦争を経て08年にはリーマン・ショックで経済の落ち込みを経験している。グローバル貿易の恩恵をフルに受けた中国の急成長とアメリカの産業の空洞化を見ている。彼の生きた世界すなわち世代意識が思想形成に影響を及ぼしているようだ。読売新聞(4月17日付け)でインタビュー記事が掲載されている。
 
 冒頭に紹介したオレン・キャスは42歳である。彼はバンス副大統領(40歳)や対中強硬派マルコ・ルビオ国務長官(53歳)らが上院議員の時代(つまり約10年前)から政策助言を行ってきた。20年に保守系シンクタンク「アメリカン・コンパス」を創設している。ミランとキャスは同じ世代で、おそらくミランはキャスの影響を受けているのだろう。

 キャスは、18年に“The Once and Future Worker”という本を出している。会田弘継氏によると、この本のタイトルはアーサー王を題材にしたファンタジー小説「The Once and Future King」のタイトルをもじったもので、「労働者が王様」だとオレン・キャスは言っているという。労働者ふつうの人が主人公になる社会を描いているというのだ。

 キャスが『フォーリンアフェアーズ』21年N0.5号に掲載している「新保守主義はなぜ必要か-アメリカ政治再生の鍵を握る保守主義の再編」という論文を読むと、頻繁に「コミュニティ」という言葉で出てくる。彼の考え方の根底にあるのは、グローバル経済で壊された地域社会を再生し、ここ基盤に労働者の生活を立て直そうということのようだ。

 アメリカ社会における「コミュニティ」とは何か。この問題を探るだけでも大きなテーマなのだが、筆者はテレビドラマ「大草原の小さな家」を思い浮かべてみた。「大草原の小さな家」の中では、家族愛、労働、隣人愛だけでなく、自然との調和や自給自足の生活が描かれている。アメリカの保守的な価値観が強く表れた作品とされる。「大草原の小さな家」の世界に戻ろうということなのかもしれない。

中道も「コミュニティ」を強調しているのだが

 「コミュニティ」は、ハーバード大学教授で日本でも人気のあるサンデル教授も強調している。また、中道的な経済学者で市場原理主義には批判的な立場をとっているラグラム・ラジャン(インドの経済学者でシカゴ大学教授)も、『第三の支柱――コミュニティ再生の経済学』(みすず書房)の中で、市場・国家だけでなくコミュニティの三本の柱で、市場経済は成り立っていると主張、市場経済の行き過ぎの歯止め役としてコミュニティを位置づけている。「歯止め役」という点では「改革保守派」と共通するものがあるようにも見える。
 
 前出の会田弘継氏は、「それでもなぜトランプは支持されるのか-アメリカ地殻変動の思想史」(東洋経済新報社)を24年7月に出版している。同書を読むとアメリカの保守思想の流れが分かる。金融やITによる行き過ぎた新自由主義やグローバル経済化の「歯止め役」が期待された民主党が裏切り、トランプが登場したという脈絡で書かれている。トロツキーやグラムシも登場する同書は一読の価値があると思う。


18:18
2025/03/16

POLITICAL ECONOMY第283号

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軍国主義下のキリスト教教育の苦悩
              元東海大学教授 小野 豊和

 昭和6年の満州事変の後、メディアを通じた日本軍の奮戦と勝利を賞賛する報道により軍国主義の風潮が高まる一方でキリスト教教育への攻撃が顕在化する。昭和7年5月5日に「上智大学靖国神社参拝拒否事件」が起こった。配属将校が学生たちを引率して満州事変の「英霊」たちを祀って間もない靖国神社を訪れた際、数人のカトリック信者の学生たちが参加しなかったことに端を発する。10月になって新聞による上智大学攻撃が始まり、12月に配属将校が引き上げた。当時、配属将校の存在が大学の社会的地位保護に欠かせなかったため、配属将校の引き上げ報道を知ると多数の学生が退学、入学希望者の激減により大学運営の危機となった。この問題の重大性に鑑み靖国神社参拝を受け入れることで、翌昭和8年12月に配属将校が上智大学に戻り、事件は終結した。

 事件の背景には、教会(カトリック及びプロテスタント)と日本政府の神社参拝を巡る対立があった。日本政府は「神社は宗教ではない。国民道徳育成の要」と位置付け、日本人であれば誰でも神社を参拝し、教育現場においても児童・生徒の神社参拝が通例となっていた。一方、カトリック教会は「神社は宗教である」との解釈から、十戒の第一条「我は主なり、我を唯一の天主として礼拝すべし」を守ることから神社参拝を禁止していた。

 しかし、上智大学事件後、神社参拝における「敬礼」について文部省と協議し「神社参拝は愛国的意義で宗教的意味はない」という回答を引き出し「学生生徒児童の神社参拝」容認に転換した。さらに「神社は宗教ではない」と明言する日本政府が行政上他の宗教と異なる扱いしていることから昭和11年5月、バチカンの布教聖省(現・福音宣教省)は「祖国に対する信者の務め」という指針を出した。この指針は「神社参拝は愛国心を表現する単なる社会的意味しかない」とし、信者たちに神社参拝を許した。これにより教会およびミッションスクールにとって靖国神社だけでなく日本全国の神社参拝についての問題は解決した。

熊本でもミッションスクールに対する国家干渉

 熊本では、戦時下に於いてキリスト教教育を建学の精神とするプロテスタントを含めたミッションスクールに対する国家干渉を避けられなくなり、校名変更や校長更迭の動きが出てきた。九州学院(明治44年設立)、九州女学院(昭和元年設立)は昭和18年4月の新学期から昭和20年8月の敗戦までの期間、九州学院は九州中学校、九州女学院は清水高等女学院(現九州ルーテル学院)へと校名を変更せざるを得なかった。明治32年、英国及び他の列国との条約改正により、外国人が日本で学校を開設する事例が考慮され、その監督の必要性から文部省が私立学校令を制定し、同時に「一般の教育をして宗教の外に特立せしむは学政上再必要とす」という我が国の宗教教育史上有名な文部省訓令第12号を公布した。教育宗教分離に関する基本方針を明確にし、これによって官公立学校では一切の宗教教育は禁止され、私立学校で宗教教育を実施し得るのは便宜上各種学校扱いとされていた。

 ただ両学院とも上級学校進学に関して公立中学校、高等女学校と同一扱いを受けていた。両学院は建学の精神にキリスト教主義を唱っていたが、戦争中は建学の精神に矛盾する国家干渉を避けることはできなかった。例えば昭和8年10月に「教育勅語」謄本が公布されると、九州学院は「教育への締め付け干渉を感ずる稲富(院長)が今後のキリスト教主義教育への不安を強く感ずるのはこの時である」(『九州学院70年史』)といい、九州女学院は、創立当初の入学案内に「基督教の主義に基き女子に須要なる高等普通教育を施し堅実善良なる婦人を要請するを目的とす」としていたが、昭和2年のそれには「教育勅語の本旨を遵法し基督教の主義に基き…」(『九州女学院の50年』)と記し、天皇制教育のキリスト教学校に対する教育内容への介入は公然たるものであった。

涙を飲んで「中等学校令」の適用を選択

 ガダルカナル島での日本軍撤退、アッツ島守備隊全滅など、日本軍の戦局が悪化すると、昭和18年1月、政府は勅令36号「中等学校令」を公布した。「国民学校の教育を基礎とし、更に之を進展拡充し、教育の本義に則り皇国の道を修めしめ、各其の分を尽くして皇運を補翼し奉るべき中堅有為の国民錬成を完う」すべく制定されたものであると定義し、それまでの中学校令、高等女学校令、実業学校令を統合し一本化した。同時に「皇国の道に則りて初等普通教育を施し国民の基礎的錬成を以て目的とす」という国民学校教育目的を中等教育にも延長運用し、中等教育段階での法的統一を図る目的で制定されたのが「中等学校令」であった。キリスト教主義学校として各種学校の適用を受けた両学院であったが、各種学校のままでいけば学校存在の不安定性が持続されるし、「中等学校令」の適用を受ければミッションスクールとしての機能を希薄にせざるを得ない状況にあったが、ここにおいて両学院とも「中等学校令」の適用を選択した。「名を捨てて実を残さざるを得なかった」と言うべきかもしれない。

 明治33年にメール・ボルジアが熊本玫瑰女学校を創立。大正9年に熊本中央実科高等女学校を設立、大正11年には上林高等女学校と改称、昭和7年には上林女子商業学校を開校するがキリスト教教育の危機に瀕した。昭和9年1月5日、上林高等女学校・女子商業学校の父兄有志が臨時に会合を開き「①アンデレア校長は我国民教育の基本を破壊するものと認む、我等は誓って同校長を排除す。②我校現下の教育は前柴田校長代理の手腕に持つもの洵に多し、速やかに再び迎えて父兄の不安を除かんことを期す。③右の希望を達するまで断然生徒の昇校を見合わす」という決議文を学校に提出した。これに対し学校側は1月7日に「アンデレア校長は国民教育の精神に反するが如き行為ありたることなく、教育勅語精神に則り、国民精神の作興に努め、例えば神社参拝の如きは本校は率先して之を行い、父兄会の決議の如き事実断じてなし」「校長代理の再任はすでに後任人事が決定しているので覆ることは絶対ない」との声明書を発表し反論した。同窓会も「母校の教育方針の正しさを信じて居るが故に母校を非難するが如き行動に
出でたることなきを声明す」と学校側に同調した。

 1月8日は新学期始業式であったが登校学生が減少、1月9日には父兄側がアンデレア校長の排斥、前校長の復帰、カトリック教に基づく教育方針の改革を叫び対立が続いた。ところが同日遅くなって熊本市内の私立高等女学校(大江、尚絅、中央)の校長が事態収拾を表明、1月10日に三校長が父兄側代表と折衝し妥協案が成立した。「紛争突発以来不安の空気に包まれた学園も愈々博愛の魂が甦って平和の日が訪れそうである」(『九州新聞』昭和9年1月11日)と新聞が報じた。苦難の道を歩んだが、昭和22年の学制改革により熊本信愛女学院と改称、新制中学校が発足した。

【参考文献】『近代熊本における国家と教育』(上河一之、熊本出
版文化会館、2016)『カトリック新聞』(2025年2月16日)


16:43
2025/02/27

POLITICAL ECONOMY第282号

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先進国でトップのエンゲル係数
          NPO現代の理論・社会フォーラム運営委員 平田 芳年

 総務省が2月7日に発表した2024年の家計調査で2人以上の世帯が使ったお金のうち食費の割合を示す「エンゲル係数」は28.3%を記録、1981年(28.8%)以来、43年ぶりの高水準となった。このニュースを聞いて、「エッ」と思った人が多かったのではないか。1970年代の高度成長期を経て、世界有数の経済大国に成長した日本で貧しい国の指標とされるエンゲル係数の高さが話題になるとは驚きだ。

30%を超える低所得者層

 同調査によると、24年の2人以上世帯の消費支出は1世帯当たり1ヶ月平均、30万243円で前年に比べ実質で1.1%減少。消費支出の内訳を「交通・通信」、「光熱・水道」、「教養娯楽」などの10大費目別にみると、「食料」は、89,936円(贈答品を含む)で、名目3.9%の増加、実質0.4%の減少となり、「エンゲル係数」は前年の27.8%から0.5ポイント上昇して28%台に載せた。「野菜・海藻」、「果物」などが実質減少となった一方、「外食」、「穀類」などが実質増加となっている。

 日本のエンゲル係数の推移を見ると、1970-80年代以降、国民所得の高まりと平行して低下傾向が続き、2000年代初めまで20-21%の水準で安定していたが、2015年から23%台に上昇、コロナ禍の2020-21年に26%前後に高まり、今回28%を超えた。統計手法が異なり、食文化の違いがあるので先進国との比較は参考数字にとどまるが、22-23年水準で見るとイタリア25.7%、フランス24.5%、イギリス22.3%、ドイツ18.9%、米16.4%など。各国ともコロナ禍で巣ごもり消費が堅調だったためエンゲル係数が上昇したが、その後低下傾向を示している。しかし、日本はこうした傾向とは逆に上昇ピッチを上げ、先進国でトップ。

 では日本だけが貧しくなっているのか?
  識者などの分析によると、 数値の上昇は食料品価格の高騰、収入の低迷、食生活の変化が大きな要因だという。消費者物価指数でみると食料(生鮮食品を除く)は24年はじめごろから連続して上昇率が高まっており、米類価格の高い伸び、日配品・外食の値上げ、円安の影響などが家計の食費支出の上昇を招いたことは確かだ。

 一方、賃上げは物価高騰に追い付いていないようだ。物価変動の影響を差し引いた1人当たりの実質賃金は24年に0.2%減と3年連続でマイナス。年金生活者の実質手取りもマクロ経済スライドの導入で、年金の給付水準が緩やかな上昇に抑えられている。一般に可処分所得が上がると食料費の割合が低下するためエンゲル係数は低くなるが、日本の場合は実質賃金の減少が続き、家計はゆとりがない状態にあると推定される。

 このほか、エンゲル係数上昇の構造的な要因として女性の社会進出、高齢化、共働き世帯、単身低所得世帯の増加という人口・家族構成の変化が指摘されている。食費が割高になりがちなひとり暮らし高齢世帯、調理済みの総菜や弁当などを購入して食べる中食や外食の頻度が増える共働き家庭が増えれば食費への支出が増加する。年収1000万-1250万円世帯のエンゲル係数は25.5%だが、年収200万円未満の世帯は33.7%との調査にもあるように、低所得世帯が増えればその分、エンゲル係数の上昇を加速することになる。

「相対的な貧しさが広がっている」

 こうしたエンゲル係数の上昇要因を考えると、日本経済を襲った「失われた20年、30年」の帰結も再吟味が必要だ。この「失われた00年」の結果、日本の経済的地位は世界第二の経済大国からずり落ち、2000年に世界2位だった一人当たり名目GDPも韓国、台湾に抜かれ、24年時点で39位に転落。G7の中で最下位に低迷する。

  身近な生活水準でも、24年の生活保護申請件数は25万5897件で過去12年間で最多となり、生活保護利用世帯は165万2199世帯に上る。各種世論調査でも「節約志向の高まり」が報告されており、昨年12月の日銀生活意識アンケート調査では「一年前に比べ暮らしにゆとりがなくなってきた」と答えた人が57.1%に達した。

 エンゲル係数の上昇について、「生活苦の拡大というよりは、先進国で起こっている共通の社会の構造変化」(社会実情データ図録)との見方もあるが、ここ数年の動きから言えば社会の構造的変化と共に、「相対的な貧しさが広がっている」というのが生活実感ではないか。とくに近年、エンゲル係数が上昇幅を広げていることに注意が必要だ。

17:11
2025/02/10

POLITICALECONOMY第281号

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劣化過程をたどった日本のインターネット空間

          季刊「言論空間」編集委員 武部伸一
 
 インターネット空間で、ヘイト・差別・排外主義・陰謀論の嵐が吹き荒れている。それは米国でも日本でも、ここ数年の選挙結果に見られように現実世界に大きな影響を及ぼしている。なぜこのような事態に至ったのか。先ず日本国内での経緯にしぼり、これまでのネット空間の在り方を振り返り、考えてみたい。

パソコン通信時代はフレンドリーで秩序ある空間

 日本でのネット利用は、1985年電電公社民営化と合わせ電気通信事業法が成立、公衆電話回線を利用した通信接続が解禁されたことにさかのぼる。数社からモデム(接続機器)が一般発売され、日本において本格的にパソコン通信がスタートした。 「民営化の時代」にネット利用がスタートしたことに留意したい。

 1987年には当時の代表的な商用パソコン通信ニフティサーブがサービスを開始した。この頃スタンダードであったNECのPC98シリーズなど日本独自仕様のパソコンを使いながら、一般ユーザーが商用電子メール・フォーラム・掲示板の利用をはじめていく。各ユーザーはパソコン通信サービスを、固定ハンドルネーム(ニックネーム)を使い利用した。(推測だが、これは長距離トラックドライバーなどアマチュア無線利用者がニックネームでお互いを呼び合う習慣に影響を受けたのかもしれない。何しろ通信なのだから)

 いずれにせよ、ここに今につながる匿名のネット空間がスタートしたのだ。しかしこの時期の各フォーラムは管理人・サブ管理人が決められ、初心者へのガイド、フォーラム内議論の整理など、私自身も利用者であった記憶としては概ねフレンドリーで秩序のある空間として存在していたと思う。

憎悪と差別投稿があふれる「自由な場」に変貌

 1995年マイクロソフトからウインドウズ95が全世界で発売された。それ以前から存在していたインターネットが大衆的に利用される時代が始まったのだ。1996年、NTT直営インターネットプロバイダーOCNがスタート。ニフティなど他のプロバイダーも続々とインターネット接続サービスを開始した。

 1999年にはNTTが世界初の携帯電話でのインターネット接続サービスiモードを開始した。ちなみにこの年のパソコン世帯普及率は29.5%。

 また西村博之が日本最大級の電子掲示板(匿名掲示板)「2ちゃんねる」を開始したのもこの年である。ネット利用者の多種多様な興味・関心で細分化された掲示板「2ちゃんねる」だが、一度でも覗いたことがある人であれば、そこが猥雑で悪趣味でなおかつ差別表現にあふれた場であったことを記憶しているだろう。

 2003年ごろには「在特会」桜井誠が、ネット掲示板で在日朝鮮人・韓国人への差別・排外主義投稿を始め、ネット民(の一部)から熱烈な支持を集めるようになった。1980年代後半に(固定)ハンドルネームでの理性的な情報共有の場としてスタートした日本のネット空間は、20年と経たないうちに、匿名での憎悪と差別投稿があふれる「自由な場」へと変貌したのだ。

 2008年、スマートフォンiPhoneが日本で発売される。同時期に日本語版Twitter(現X)・Facebookのサービスが開始された。

 この年、象徴的な事件が起きた。それは秋葉原無差別殺傷事件。進学校出身の派遣労働者が、自ら投稿する「ネット掲示板」の荒らし行為を理由として犯行に至った。ネット空間が現実社会に直接的な影響を及ぼす時代が始まったのだ。

 日本での「ネット空間」が歪んでいく過程、いわば「ネット価値観の形成史」についての興味深い論考として、『世界』2023年6月号「ネットはユートピアか?ミソジニーとサブカルチャーのインターネット文化史」藤田直哉がある。現在のミソジニーと差別言辞の溢れるネット空間の源流が「2ちゃんねる的文化」にあり、それは80年代一部サブカルチャーの価値観、80年代フジテレビ的笑いの感覚にまでさかのぼると言う。刺激的で説得力のある論考である。

健康なインターネット空間再構築のために

 ではインターネットの利用者である我々が、ネットでの憎悪表現や差別排外主義に対抗し、あるいはそれらの言質に打ち勝つネット空間を広げていくために、どのような考え方が必要なのだろうか。

 朝日新聞2022年1月22日のメディア空間考コラムにおいて、「健全な言論プラットフォームに向けて デジタル・ダイエット宣言」が紹介されている。計量社会科学者鳥海不二夫と憲法学者山本龍彦による共同宣言は、情報を食事に例え「飽食」や「偏食」が招く弊害を「情報的健康(インフォメーション・ヘルス)」という概念で問題提起している。
参照  https://www.kgri.keio.ac.jp/docs/S2101202201.pdf

宣言自体は政治的にはニュートラルである。その詳細はここでは省くが、インターネットを人々の連帯のためのツールとして再構築していくため参考となる論考の一つだと思う。


09:35
2025/01/30

POLITICAL ECONOMY第280号

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第2次トランプ政権と米国覇権の行方

          横浜アクションリサーチ 金子 文夫

 第2次トランプ政権が発足して40日が経過した。この間、洪水のように大統領令を乱発し、米国国内も国際社会もトランプの言動に振り回されている。トランプ政権は何を目指しているのか、世界の覇権構造はどのように変貌していくのか、先行きはなお不透明だが、とりあえず現状を整理しておきたい。

大統領令の乱発

 トランプ大統領は最初の1か月だけで100件以上の大統領令(行政命令・覚書・布告)に署名した。国内政策では第一に、イーロン・マスク率いるDOGE(政府効率化省)を通じた政府機関の解体、政府職員の大量整理があげられる。国際開発局、消費者金融保護局の業務停止をはじめ、国防総省、中央情報局を含めて多数の政府機関に大幅な人員削減を迫っている。また、DEI(多様性、公平性、包摂性)を推進する政府内の部署の廃止を実施した。

 第二は移民排斥政策であり、「不法移民」の強制送還、メキシコ国境への米軍動員、壁の建設をはじめ、合法移民の規制、国籍付与の「出生地主義」の修正などが打ち出された。その他、環境・エネルギー政策の転換では、「パリ協定」からの離脱、化石燃料開発の促進策を実施した。さらに、法人税・所得税の減税政策、企業活動の規制緩和策が予定されている。

 対外政策では第一は関税政策であり、中国には、第1期政権期の関税引上げ策を継承し、新たに10%の追加引上げに踏み切った。隣国メキシコ、カナダへは、合成麻薬流入を理由に25%課税を提起したが、実施は延期されている。その他、鉄鋼、アルミ、自動車への25%追加関税、すべての国からの輸入品への一律10~20%関税、特定の相手国に対する相互関税など、様々な関税発動を予告している。

 第二に国際協調システムからの離脱だ。気候変動に関する「パリ協定」離脱、WHO等の国際機関からの撤退、国際課税協定・国際租税協力枠組条約交渉からの撤収などが目に付く。

 第三に、目下の二つの戦争に対する積極的な停戦工作だ。パレスチナ戦争では停戦協定の実施が進むなかでイスラエル寄りの姿勢を強め、ガザを所有してリゾート開発する構想を打ち出した。ウクライナ戦争では、米ロの2国間交渉を先行させ、ウクライナ、欧州諸国の関与を後回しにした。

引き起こされる内外の混乱

 第一に、大統領令の拙速な発動が現場に様々な混乱を引き起こした。政府機関の閉鎖、職員のリストラは、通常業務の停止、大統領令の執行停止を求める訴訟の多発、連邦地裁による差し止め命令など、総じて連邦政府の機能停滞といった事態を生んでいる。ただ、こうした混乱が生じるとしても、いずれ最高裁によって訴訟は終結し、行きすぎは是正されながら、行政整理は進行していくだろう。

 第二に、関税引上げが広範囲の輸入品に適用されれば、国内的にはインフレ、世界的には貿易の停滞、成長率鈍化を引き起こすだろう。移民排斥も低賃金労働力の不足に帰結し、インフレに結びつく。減税政策も同様の効果をもつ。バイデン政権下のインフレを非難して選挙に勝ったトランプだが、このままではインフレは避けられないように思われる。
 
 第三に、米国第一主義による国際システムの混乱だ。国際社会をリードしてきた米国がリード役を降りることになれば、様々な空白、停滞が生じる。「パリ協定」離脱は気候変動への取り組みに打撃を与える。デジタル課税協定も実現一歩手前で頓挫した。ウクライナ停戦交渉をめぐっては米国・欧州間に深い亀裂が生じた。国連総会の決議では、ロシアを非難する欧州等提案と非難を避けた米国提案が並列する形となり、亀裂が表面化した。G7、G20 の運営も混迷するだろう。

世界覇権構造の変貌

 トランプ政権の米国第一主義には二重の意味が込められている。第一は狭義の国益優先であり、覇権国に求められる国際貢献は軽視される。第二に、軍事力・経済力では超大国として世界第1位の座を維持することだ。従って、その地位を脅かす中国の台頭は抑え込む意思が強烈に発動される。超大国の特権、軍事的・経済的威圧を駆使して、ディールという手法で米国の国益確保を図ることになる。

 覇権国に相応しい国際貢献を果たさず、自国本位で普遍的理念(人権、法の支配等)を提供できない米国は、国際社会における信認を低下させ、友好国の離反を招かざるをえない。米国は国際社会をリードする覇権国の地位から後退し、代わりに中国が台頭してくるだろう。しかし中国も超大国とはいえ、普遍的理念を供給して世界から信認を得る覇権国にはなりえない。とすれば、世界は超大国として対立する米中と、これに続くEU、ロシア、インド、その他グローバルサウスが並立する、覇権国不在の多極化世界に向かうことになるだろう。多極化世界では各国が自国中心主義に走り、軍備増強に傾いて国際社会が不安定化する危険性がある。国連を軸とした多国間協調・連携が何よりも重要になるだろ
う。

17:46
2025/01/13

POLITICAL ECONOMY第279号

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「自立」「安全」「安定」の共同生活のために「管理指導する」
―精神障がい者グループホーム職員の正しい仕事?!―
      
                               街角ウォッチャー 金田麗子

 変なタイトルだが、精神障がい者の援護寮や生活訓練施設、グループホームで30年間働いてきた「まじめな」ベテラン職員と一緒に働く機会があり、その言動からその職員がタイトルのようなことを心から正しいと信じていることに驚いた。

 「甘え」「依存」につながるから「居室支援」という掃除支援は許さない。体調悪化の訴えは「怠けるための嘘」や「思い込み」につながるから安易に取り上げない。太りすぎ、食べ過ぎを防ぐために食事指導という名目で管理指導する。恋愛禁止ではないが、デートにも同行し、自由な行動を制限する。B型作業所に通所を希望する利用者も「デイケアに通所していろ」と認めない。自らを「先生」と呼ばせ、30年のキャリアからくる自信満々の職員である。

「利用者にやらせればいいのよ」

 私はこの精神障がい者のグループホームで6年働いているが、入職当時外部監査で、カビだらけの風呂場やトイレなどの汚れを指摘されていた。この数年、職員と非常勤スタッフが、掃除を徹底し清潔な空間を心がけてきたのだが、冒頭の職員に変わったとたん「利用者にやらせればいいのよ」「なんでもやってやると依存するだけよ」と断じてきた。

 以前私が勤務していた知的障がい者グループホームでも、責任者は食堂のテーブルが汚れても拭かなくてよいと言っていた。各自の居室掃除も、以前はヘルパーを入れてやっていたが、それを止めて「利用者さんがやりますから」と職員が利用者を指導してやらせるという名目に代わり、結局しないから居室は荒れる一方。

 別のグループホームでは、食事制限を徹底していた。利用者の菓子などの嗜好品はすべて事務所管理。ご飯はスタッフが茶碗に半分あらかじめ盛り付けし、おかわりは認めない。「利用者さんの健康維持のために、私たちがお手伝いできることは、こんなことだけですから」職員は真顔で言っていた。

 利用者が、腰が痛い足が痛いというと「太りすぎで負担がかかっているから」と言われるのは、なぜかどの施設も共通。不調を訴えても、精神科以外の医療機関にはつながず、「様子を見よう」「精神科で相談して」と言う対応が多い。

 私が現在の施設に入職した時、目が見えていないと感じた利用者は、ひどい白内障なのにずっと放置され、昨年やっと手術し「よく見える」と喜んだ。近年、八王子の滝山病院や、神奈川県の中井やまゆり園などで問題になっている、医療ネグレクトは決して特殊ではなく、よくある構造なのである。

「知的障害者施設潜入記」が示す実態

 こんなことを思っていたら、「知的障害者施設潜入記」(織田淳太郎、光文社新書)という新刊書が出た。内容は、作業所も施設もいかに管理的で、自由がなく懲罰的で暴言、体罰が横行しているというものだ。

 「利用者に甘く見られないよう厳しく接しなければならない」「やっていいことと悪いことを覚えさせるため」障がい者たちの私生活いっさいに監視の目を光らせる。年齢も上の人にも命令口調でお前呼ばわりの叱責が日常茶飯事、他の利用者を守るため」という名目で暴れる利用者にプロレス技をかける。

 本書では職員の言動の原因として、心理学的な「転移」「逆転移」という概念を示しているが、私はそもそも、障がい者への介護介助の仕事に対する理念に原因があるのではないかと思う。

 障がい者自立支援法制定以降、厚生労働省もかつての長期にわたる病院や施設入所から、地域での生活拠点への移行を推進している。2019年にグループホーム入居者数が入所施設の入所者数を逆転し23年には17万人を超えている。

 しかしながらグループホームにおいても、不適切な対応が続いていることは、前述の事例や、新聞報道でも明らかである。その根底は何か。参考になる資料として次の二つを示したい。

障がい者の言葉に耳を傾けない介護者

 「介助者たちは、どう生きていくのか」(渡邉琢、生活書院)によると、多くの自立障がい者は、介護福祉士等の資格を持った介護者に批判的だという。その理由として、「介護の有資格者は、障がい者を人として見るのではなく、介護する相手として見て、どのくらい介護が必要か、どのくらい自立しているかなどを、介護者の目線で判断し評価するところから介助に入る。しかも介護を学んだという自負心から、障がい者の言葉に素直に耳を傾けないことが多い」という

 「生の技法-家と施設を出て暮らす障害者の社会学」(安積純子他、生活書院)では、福祉的配慮とは、いかなる論理でどのようにして、「管理」「隔離」が導き出されてくるのかという点で、参考になるとして「新・療護施設職員ハンドブック」(全社協、1988年)が紹介されている。

 福祉的配慮はおよそ二つのラインに即して記述される。一つは能力評価に応じて判断される「弱者」の理論。もう一つは「病気」の概念である。

 「弱者」の理論は隔離管理の根拠、自由の制限の正当化につながる。金銭管理、外出制限、食事時間厳守、整髪、入浴、睡眠など、望ましい状態は職員が知っていて、入所者の欲求がそちらの方向で充足されるように介護する。「ある時に教師的に導き、強力に望ましい方向に推し進めていくのが本当の介護」という。だから職員は「先生」で、障がい者は「子ども」扱いなのである。

 「障害者施設潜入記」に記されている職場で、冗談好きで明るい人なのに、グループホームでは自宅から登山用の杖を持参し、監視しつけ管理教育的指導のために、恫喝や暴力をふるっていた職員が、利用者との暴力的確執関係の継続でノイローゼ状態になり、自ら希望して現場を外れ配置転換されたと記述があった。

 利用者に対し、管理的対応をすることが、職員自身や職場も疲弊させているのである。職員個人の資質の問題や意識に還元するのではなく、「当事者主義」の基本に立ち返って、厚生労働省が新たな支援の指針を確立しなければ、施設であれ、グループホームであれ、居宅での介護ヘルパーの対応であれ、障がい者の人権が守られることは不可能だし、介護職員も疲弊して減少していくことに歯止めはかからないのである。

17:36
2024/12/30

POLITICAL ECONOMY第278号

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フジテレビ、親会社の責任はどうなっているのか
                              金融取引法研究者 笠原 一郎
 
 このところのテレビ報道・ワイドショーは、フジテレビ(以下「フジTV」という)をめぐる有名タレントが引き起こしたとされる深刻な人権トラブル事案(以下「本トラブル事案」という)にかかる情報一色となっている感がある。トラブル事案の事実確認については、すったもんだの末に設置される第三者委員会の調査に委ねるとして、ここでは上場持株会社であるフジ・メディア・ホールディング(以下「フジMHD」という。)のメディア事業子会社のフジTVにおけるリスク管理ガバナンスと、これを指揮・監督すべきフジMHD取締役たちの責務についてコーポレート・ガバナンスの視点から考えてみたい。

 日本において持株会社が解禁されたのは、1995年と歴史的にはそれほど古いものではない。他の会社の株式を保有・支配することを通じて収益をあげる持株会社という会社形態は、戦前日本おいて独占的に経済・産業を支配した財閥の復活につながるものとして、戦後の長い間、独占禁止法により禁じられていた。しかしながら、持株会社には、統一した指揮のもとで効率的なグループ経営を行えることにメリットがあるとされ、フジMHDもこの組織形態をとっている。

親会社は子会社を監視する義務を負う

 この持株会社によるグループ経営においては、子会社の事業が適正に行われず、すなわち、本トラブル事案にあるようなフジTVの不祥事では、子会社の企業価値の低下から持株会社たるフジMHDの企業価値(株価)も低下する(現実には、フジMHDの株価は上昇局面もみられたが、、、)。会社法上では、この子会社であるフジTVの業務執行につきその決定・実行をするのは、フジTVの取締役であるが、一方で、会社法には、内部統制システムとよばれるルールが存在する。これは親会社・子会社からなる企業集団の業務の適正を確保するための体制の構築を求めるものである。また、親会社の取締役には、善管注意義務の一つとして、子会社を監視する義務を負うものとされている(伊藤靖史ほか『会社法』有斐閣 参照)。長々と説明したが、これが持株会社の形態をとる企業グループのコーポレート・ガバナンスの基本フレームであると考える。

 フジMHDホームページに掲載されている「コーポレート・ガバナンスに関する基本方針」では、基本的な考え方として、放送法に基づく認定放送持株会社として、メディア産業を取り巻く環境変化にいち早く対応し、企業価値を向上させるためには、この持株会社の形態がグループの経営資源の最適な配分が行える最も適した組織形態であると謳う。放送の公共性を重んじ、もって社会的責任を全うする基本理念に基づき、・・・グループ全体のコーポレート・ガバナンスの体制について検討を続けます、とある。

 本トラブル事案について、上記の「コーポレート・ガバナンスに関する基本方針」を踏まえ、メディア事業子会社であるフジTV、そしてその持株親会社であるフジMHDの対応を振り返ってみると、この持株会社という組織形態が、経営資源の効率性を優先するあまり、フジMHDが負うべき放送の公共性とその社会的責任に対して、いかにその責任の所在を曖昧にする、すなわちガバナンス機能が欠落した形態であることが、明らかになった感がする。

 現実の子会社であるフジTVのリスク対応・危機管理の拙さをみてみると、本トラブル事案が週刊誌で報じられた直後に、時を置かず「会社の関与なし」とのコメントを発信し、世論はその調査内容に疑念を抱いた。こうした世論に押されて、今月中旬に行われた第一回目「会社説明」では、フジTV社長の定例会見という形式での開催として、限定した記者に対してのみで、しかもテレビメディアであるフジTVがテレビカメラを拒否したことで、トラブル事案にかかる説明の内容よりも、その開催形式に批判が集中し、CMの多くはACジャパンに差し替えられた。ついには第二回目の10時間超のカオスともいえる説明会開催に追い込まれることになった。

フジMHDの取締役は何をしていたのか

 ここまでで子会社を指揮・監督すべきフジMHDの姿が、まったくと言っていいほどに見えてこない。企業集団の業務の適正を確保するための体制構築の責を負うべきフジMHDの取締役たちはいったい何をしていたのであろうか(辛うじて、第二回目の説明の後に、社外取締役が共同して経営刷新の声明を出してはいるが、、、)。

 確かに、本トラブル事案は非常にセンシティブな事案であり、被害者のプライバシーを完全に守らなければならない事案ではある。そこでリスク情報がフジMHDまで上がってなかったことも、おそらくは事実であろう。しかしながら、こうした状況を考えあわせても、例えば匿名化した危機情報を上げさせる仕組みを構築し、適切に危機管理対応を監督することこそがフジMHDとその取締役たちの役目ではないだろうか。コーポレート・ガバナンスの充実に旗を振る日本取引所グループCEOであった清田瞭フジMHD取締役は、このフジMHDの危機管理ガバナンスの在り方についてどのように考えるのであろうか。             


17:34
2024/12/13

POLITICAL ECONOMY第277号

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大幅賃上げ? お恵み春闘だ!――資本の完全勝利――
               経済アナリスト 柏木 勉

 日銀当座預金残高は現時点で依然532兆円もの巨額にのぼる(日銀営業毎旬報告より)。これだけのマネタリーベースの供給でもマネーストックはたいして増えず、多くが日銀当座預金にたまったままブタ積みになった。異次元緩和は基本的には失敗だったというべきである。なぜそうなったか?企業は内部留保をためこんでおり、また資本市場からの資金調達へシフトしていた。だから設備投資のために銀行からの借り入れはなくてすんだのだ(ただし、金融緩和による株価上昇は資金調達を助けた)。

  企業の投資はといえば、異次元緩和の前から国内でなく海外に向かっていた。企業は円高を逃れて、資本の論理に従って日本を見捨て、儲かるところに展開したのだ。投資は国外に大きく流出した。国内投資の伸びはほとんどないまま、海外直接投資は拡大の一途をたどった。とりわけ中国への進出は大きかった。中国の二けた成長は日本国内で不振にあえいでいた構造不況業種にも天の恵みとなった。他方、国内では事業構造改革と称して、解雇、ベアゼロ等々の人件費抑制が長期にわたって続いた。こうして企業の利益は膨れ上がった。どのくらい膨れ上がったか?
 
利益剰余金は130兆円から600兆円へ

 「1990 年代末に130兆円だった企業の利益剰余金は、アベノミクス開始直前に300兆円超まで増加し、2023 年度には600兆円の大台に乗せた」(河野龍太郎 MARKET ECONOMICS Weekly Economic Report 2024/12/20 (No1080))にもかかわらず、国内への投資はほとんど伸ばさないままだったから、マクロ的悪循環が形成されていった。国内投資抑制は技術革新を停滞させ、生産能力は低下した。長期の人件費抑制・コストカットは将来不安から個人消費を押さえ続けた。すると成長率は低下して、当然のことながら日本経済の成長展望は開けず、企業の投資抑制へと回帰して悪循環となったのである。だが悪循環になっても企業はかまわない。儲けていれば企業の目的は達せられている。国民生活を向上させることは企業の目的ではない。

  このようななか、実質賃金はどうなったか?通常行われる若干の分析を見よう。実質賃金伸び率=労働生産性伸び率+交易条件伸び率+労働分配率伸び率―(1式)である。

 この式は労働分配率の定義式から導かれる。だからこの式もただの定義式だ。従って因果関係を示すものではないが、労働側、経営側は自らの立場から因果関係を示
すものとして利用する。小生は当然労働側の立場から考える。そのうえで、99年から2023年
までを見るとどうなるか?(表参照) 

 労働生産性は15.4%伸びた。交易条件は5.5%下落、労働分配率は12ポイント下落。すると、実質賃金の伸び=15.4-5.5―12=△2.2  2.2%の下落である。(なお、実質賃金が下落したのは先進諸国では日本とイタリアだけだ)このうち実質賃金下落の最大の要因は労働分配率の低下である。では、労働分配率を低下させたものは何か? 同義反復になるが、(1式)から労働分配率伸び率=実質賃金伸び率-(労働生産性伸び率+交易条件伸び率)

 これから労働分配率が12ポイントも下落した理由がわかる。外部要因の交易条件を除けば、実質賃金を労働生産性の伸びに等しいだけ引き上げなかったからだ。そして、それを可能にしたのは大企業を中心とした労使協調路線への完全な転落だった。

 全く同じことをエコノミスト・河野龍太郎氏も主張している。河野氏は政府の審議会メンバーになるなど決して左翼でもリベラルでもない。そのような「穏健な」河野氏でさえ次の様に述べている。小生の考えと全く同じだ。紹介する。

 「過去四半世紀において、日本では、時間当たり生産性が 3 割改善しましたが、時間当たり実質賃金は全く増えていません。厳密には低下しています。米国では 5 割生産性が上がり、実質賃金は 25%程度上昇しています。 一方、ドイツやフランスは、日本に比べて生産性の改善は劣っていますが、実質賃金はフランスが 20%弱、ドイツは 15%弱改善しています。生産性の改善が全く 実質賃金に反映されていないのは、日本だけです。・・・・・・日本が長期停滞から抜け出せないのは、気が付かないうちに、日本の社会が 収奪的なシステムに変容しているからではないでしょうか・・・」(同前)。「限られた層に権力と富が集中する収奪的社会に、日本が陥りつつあるのではないかと懸念される。国内ではコストカットばかりの大企業も海外投資は拡大している。円安が進んでも国内の生産能力は減少し輸出も増えないため、貿易赤字が定着した。それでも経常黒字が拡大しているのは、海外投資収益が増大しているからだ」(同前)。

 「穏健」な方が「収奪」というのは驚きだ(正確には搾取の強化だが、大幅な法人税減税など収奪という面もある)。

 とはいえ、ここへきて企業サイドは若干の軌道修正をはかりつつある。さすがに、このままではまずいという状況になったからだ。長期にわたる賃金抑圧(実質的には30年間だ)が少子化を生み、それを放置してきたことから遂に人手不足となったからだ。また輸入インフレが物価上昇を招き国民の不満を高めている。これへの対応として政府、企業一体となって「大幅賃上げ」の合唱となった。

 だが、これが何を意味するか?ここまで述べてきたことから明らかだろう。労働側を完全に抑え込んだ資本の完全勝利だ。「大幅賃上げ」は労使協調路線への資本からのお恵みでしかない。 


21:04
2024/11/28

POLITICAL ECONOMY第276号

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労組の組織率低下の中で浮上する「労働者代表委員会」必要論
         
       労働調査協議会客員調査研究員 白石利政

 2024年6月 30 日現在の労働組合員数991.2万人、組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は16.1%。前年より0.2 ポイント低下、3年連続で過去最低となった。半世紀前の1970年と比べると組織率は19.3ポイント、組合員数は163万人と、ともに減っている。母数となる雇用者数が、1970年の3,277万人から、2024年は自営業や家族従業者が雇用者に「流入」したため、6,139万人へと大幅に増えた。組織率の減は雇用者の大幅増に組織化が追いついていないことを示す。

 労働組合についてはウエッブ夫妻の有名な定義がある。「労働組合とは、賃金労働者が、その労働生活の諸条件を維持または改善するための恒常的な団体である」。この記述に「この型の団体は…2世紀以上にわたってイングランドに存在してきたものであり、突如として十分に発達したかたちで、この世に現われたとは、とうてい考えられない。…しばしば労働組合の先租と称されてきた団体」があると続く(『労働運動の歴史』) この「労働組合の先租」はCombinationと呼ばれていたらしい。どのような目的で、誰がどこで組織を作り、それを運営するかで、多様なタイプが誕生する

 戦後日本で、労働者のいるところを席巻したのは正規従業員による労職混合の企業別組合であった。私が労働調査の道に入った1970年ごろは「ものづくり」日本に勢いがあった。OECDは高品質で強い国際競争力に注目し、日本の労使関係にも関心を向け1975年に調査団を派遣した。「日本の企業は、単に利潤獲得の手段としてではなく、それ自体一つの社会とみなされる」。日本の労使関係制度を特徴づけているのは「三本の柱」、終身雇用、年功賃金、そして「一般組合員の最大の関心事であるパンとバターの問題を優先」、「産業平和の維持に貢献」している企業別組合であると報告している。ただし、このような特徴は主として大企業に関わることだと断っている(「労使関係制
度の展開―日本の経験が意味するもの」 1977年)。ちなみに1975年の製造業500人以上の組織率は83.6%と高かった。企業別組合は「経営側と正規従業員の双方が利益を得る」仕組みの構成要素ということである。

非正規労働者4割へ、企業別組合の基盤揺らぐ

 その後、日本経済のサービス化に伴い職業構造が変化。生産工程・労務作業者のシェアは1971年の32.3%が1997年は30.1%、2017年は21.1%へと一貫して減少する。日経連は1995年、総人件費の削減を図るため雇用ポートフォリオ(構成・組合せ)の考え方に立った対応(長期蓄積能力活用型 高度専門能力活用型 雇用柔軟型)を提案した(「新時代の『日本的経営』」)。

 バブルの崩壊(1991年)、リーマンショック(2008年)を経て、低成長期に直面すると、企業は「雇用柔軟型」の採用に着手。政府も規制緩和政策により支援。雇用者に占める非正規労働者は1995年の2割が2003年に3割を超え2023年は4割近くにまで増大(図参照)、このことは企業別組合の「市場」縮小につながった。民間で組織率の高い1000人以上でも2005年に過半数を切り2024年は4割まで減少した。

 2023年末の「内部留保(利益剰余金)」は600兆円を越え、一方、一人当たり実質賃金は1991年を100とすると2020年は100.1で、30年間横バイで推移した。「経営側の独り獲り」、ワーキングプア大量出現となった。労働組合のナショナルセンター・連合結成からの時期と重なるだけに残念な思いが拭えない。

 労働組合の組織率低下は「法定基準の解除」の問題をクローズアップさせている。労働法制では仕事の「給付条件」について、使用者の濫用防止することを意図して、事業場の過半数労働組合、それがない場合は過半数代表が関与して「法定基準の解除」を行う規定がある。1947年当初は、時間外・休日労働に関する労使協定と就業規則の意見聴取の2項目だったが、現在は労基法で19項目(すべて「法定基準の解除」)、労働関連法(労基法以外)25項目(うち5項目が「法定基準の解除」)に追加・拡大している(福井祥人『レファレンス』885号 2024年9月)。

形骸化する労働者代表制度

 事業場での労使コミュニケーションの必要性が高まっている反面、かねてから労働者代表の選出、職場の意向反映には形骸化や問題点のあることが指摘されている。そこで、過半数未満労働組合と未組織セクターでは、労働者代表制度を見直し新たに「労働者代表委員会」を設置することが検討されている。

 その必要性については労使一致しているが違いもある。連合は「多様性、透明性、公正性の確保や労働組合との役割分担の明確化等をはかる」ことを主張(最終見直しは2021年)。経団連は、条件付きとはいえ裁量労働制や高度プロフェショナルの対象業務に「労働時間制度のデロゲーション(適用除外-引用者)」や就業規則の作成時の「意見聴衆等の単位の見直し」などを求めている(2024年)。厚生労働省が2024年12月24日に取りまとめた有識者(労使の代表は未参加)による「労働基準関係法制研究会」報告書では、過半数労働組合のない職場での「過半数代表者」については「長期的な課題」として取りあげ
るにとどまっている。

 今後、「労働者代表委員会」の法制化へ向けての議論が始まると思うが、労働条件分科会で労働契約法の議論に携わった長谷川裕子氏 (当時の連合・総合労働局長)の体験からの意見、「理想を掲げたつもりが、議論の如何で途方もないところに走っていく可能性があることを感じている。今は労働者が置かれている状況を冷静に分析し、我が国の労働者が真に幸福になる政策を打つことが求められているのではないだろうか」には大切なことが含まれているように思う(月刊「労働調査」2008年1月号)。

労働者が並立して利益を分け合う時代

 これからは、同じ企業で多様な労働者が働き、「経営側と多様な労働者が並立して利益を分け合う」時代。過半数労働組合がない事業場の「労働者代表委員会」が多様な労働者の発言権確立の基盤となることを願う。そのなかの未組織セクターから労働組合を指向するところがでてきて欲しい。産業別組合やナショナルセンターの支援活動の出番だと思う。    

13:05
2024/11/13

POLITICAL ECONOMY第275号

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どこかおかしい高圧経済論
             経済ジャーナリスト 蜂谷 隆

 「103万円の壁」が話題になっている。国民民主党が「手取りを増やす」を掲げて衆議院選を戦い、若者の票を増やし議席の大幅増を勝ち取り、過半数割れした与党政権と交渉、「103万円の壁」突破の実現が近い。その国民民主党は「高圧経済」という経済政策を掲げている。財政出動で一気に需要を作り出しインフレと人手不足状態(「完全雇用」)にすることで経済成長させようというのが高圧経済政策。しかし、インフレと人手不足が続く現状で有効とは思えないのだが。

 高圧経済論は、より積極的で持続的な財政政策と金融緩和政策を組み合わせ、意図的に需要を押し上げ完全雇用に近い状態を目指し経済成長を図ろうという考え方だ。米財務長官であるジャネット・イエレンが、FRB(連邦準備制度理事会)の議長を務めていた2016年に唱えたことで知られる。

 単に景気刺激を目的とするのではなく、完全雇用を目指し経済全体の需要を強力に引き上げ労働市場を逼迫させることを重視している。高圧経済論者である明治大学教授の飯田泰之氏によれば「高圧経済論が妥当する状況、つまり総需要が過大である状況」に到達するまでは財政政策・金融政策は緩和的に行われるべき」(「財政・金融政策の転換点-日本経済の再生プラン」 (中公新書)と述べている。

 さて国民民主党は、高圧経済論に基づく経済政策を打ち出しているのだが、同党の総選挙の公約の中では「名目賃金上昇率が一定水準(物価上昇率+2%=当面の間4%)に達するまで、積極財政等と金融緩和による『高圧経済』によって為替、物価を適切に安定させ、経済低迷の原因である賃金デフレから脱却します」と主張している。

インフレにして完全雇用というが

 高圧経済論は本当に有効なのだろうか。筆者は少なくとも現在のような経済環境では有効ではないと考えている。

 まず目指すという「完全雇用」だが、10月の失業率は2.5%である。すでに「完全雇用」といえる水準だ。人手不足が続き失業率はさらに下がる可能性もある。こうした時に「労働市場を逼迫」を目指すのは論理的に合わない。

 ふたつ目は、インフレをどう見るかという点である。高圧経済論ではやり過ぎると物価が急騰するという負の側面があることを認めている。行き過ぎたインフレにならない程度に需要を喚起しようという政策である。日本はすでにインフレ下にある。10月の生鮮食品を除く物価の上昇率は前年同月比2.3%。38カ月連続で2%を超えている。このような時に高圧経済による経済政策をとると、単にインフレだけが促進されるということになりかねない。インフレで最も影響を受けるのは低所得者層だ。

 このことは、21年の発足当初のバイデン政権が高圧経済(イエレンによる「高圧経済ver2」と言われた)による経済政策がインフレ高騰をもたらし、低所得者層や中間層の生活に打撃を与えたことを見れば分かるだろう。さすがに玉木氏も(日本は米国に比べ物価上昇が抑えられており、)「高圧経済を推し進める余地がまだ残っている」(「ロイター通信」(11月5日付け)とトーンを変えている。

 現在の日本のインフレの最も大きな要因は円安である。円安は日米金利差もあるが日本経済の実力低下が大きな要因となっている。円安を是正すれば確実に物価上昇率は下がる。

 ところが、玉木氏は同じロイターのインタビューで、金融政策は「日銀はもう少し政策変更せず(中小企業の賃上げなどの状況を)見定める必要がある」と、述べている。今は利上げをするなと言っているのである。

 日銀が金融正常化に向けて政策金利を上げようとしているのは、インフレが続き長期金利が上昇し1%超となっていることに対応するためだが、米国との金利差縮小(円安是正)というねらいもある。円安を是正させ物価を安定させれば実質賃金はプラスとなり、個人消費も上向く可能性が高い。玉木氏はこうした点については目をつぶり、高圧経済論に基づき日銀に金利引き上げをするなと言っているのである。

 玉木氏が利上げに慎重な姿勢を見せている理由は、利上げが進むことで政府の利払い負担が増え、財政状況がさらに厳しくなることを懸念しているためである。また、高圧経済論はMMT(現代金融理論)と親和性が高く、国債を増発しても日銀が引き受ければ問題ないとする考え方である。国民民主党も「増税反対」や「減税実施」を主張している。「103万円の壁」を引き上げるための財源は国債の増発しか選択肢がないため、金利をできるだけ低く抑えたいと考えているのだろう。

高圧経済論では「分厚い中間層の復活」はできない

 日本経済を再生させるためにはGDPの6割を占める個人消費を活性化することが重要だ。消費が活性化すれば設備投資も増加する。そのためにはもちろん賃金の引き上げは欠かせない。この点に異論はないだろう。

 しかし、それだけでは消費は活性化しない。医療・介護、教育サービスの負担減も欠かせない。将来不安を抱えていては財布のヒモは緩まないからだ。また低所得者層の底上げも必要となる。ここまでやらないと「分厚い中間層の復活」はない。問題はのためには財源の確保が求められることだ。富裕層、高所得者層に対する金融所得課税、法人税の引き上げなどを考えるべきだろう。これらは財源確保のためだけではなく、格差是正につながる点も重視すべきだろう。                 


09:31
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メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告