日誌


2025/03/16

POLITICAL ECONOMY第282号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
軍国主義下のキリスト教教育の苦悩
              元東海大学教授 小野 豊和

 昭和6年の満州事変の後、メディアを通じた日本軍の奮戦と勝利を賞賛する報道により軍国主義の風潮が高まる一方でキリスト教教育への攻撃が顕在化する。昭和7年5月5日に「上智大学靖国神社参拝拒否事件」が起こった。配属将校が学生たちを引率して満州事変の「英霊」たちを祀って間もない靖国神社を訪れた際、数人のカトリック信者の学生たちが参加しなかったことに端を発する。10月になって新聞による上智大学攻撃が始まり、12月に配属将校が引き上げた。当時、配属将校の存在が大学の社会的地位保護に欠かせなかったため、配属将校の引き上げ報道を知ると多数の学生が退学、入学希望者の激減により大学運営の危機となった。この問題の重大性に鑑み靖国神社参拝を受け入れることで、翌昭和8年12月に配属将校が上智大学に戻り、事件は終結した。

 事件の背景には、教会(カトリック及びプロテスタント)と日本政府の神社参拝を巡る対立があった。日本政府は「神社は宗教ではない。国民道徳育成の要」と位置付け、日本人であれば誰でも神社を参拝し、教育現場においても児童・生徒の神社参拝が通例となっていた。一方、カトリック教会は「神社は宗教である」との解釈から、十戒の第一条「我は主なり、我を唯一の天主として礼拝すべし」を守ることから神社参拝を禁止していた。

 しかし、上智大学事件後、神社参拝における「敬礼」について文部省と協議し「神社参拝は愛国的意義で宗教的意味はない」という回答を引き出し「学生生徒児童の神社参拝」容認に転換した。さらに「神社は宗教ではない」と明言する日本政府が行政上他の宗教と異なる扱いしていることから昭和11年5月、バチカンの布教聖省(現・福音宣教省)は「祖国に対する信者の務め」という指針を出した。この指針は「神社参拝は愛国心を表現する単なる社会的意味しかない」とし、信者たちに神社参拝を許した。これにより教会およびミッションスクールにとって靖国神社だけでなく日本全国の神社参拝についての問題は解決した。

熊本でもミッションスクールに対する国家干渉

 熊本では、戦時下に於いてキリスト教教育を建学の精神とするプロテスタントを含めたミッションスクールに対する国家干渉を避けられなくなり、校名変更や校長更迭の動きが出てきた。九州学院(明治44年設立)、九州女学院(昭和元年設立)は昭和18年4月の新学期から昭和20年8月の敗戦までの期間、九州学院は九州中学校、九州女学院は清水高等女学院(現九州ルーテル学院)へと校名を変更せざるを得なかった。明治32年、英国及び他の列国との条約改正により、外国人が日本で学校を開設する事例が考慮され、その監督の必要性から文部省が私立学校令を制定し、同時に「一般の教育をして宗教の外に特立せしむは学政上再必要とす」という我が国の宗教教育史上有名な文部省訓令第12号を公布した。教育宗教分離に関する基本方針を明確にし、これによって官公立学校では一切の宗教教育は禁止され、私立学校で宗教教育を実施し得るのは便宜上各種学校扱いとされていた。

 ただ両学院とも上級学校進学に関して公立中学校、高等女学校と同一扱いを受けていた。両学院は建学の精神にキリスト教主義を唱っていたが、戦争中は建学の精神に矛盾する国家干渉を避けることはできなかった。例えば昭和8年10月に「教育勅語」謄本が公布されると、九州学院は「教育への締め付け干渉を感ずる稲富(院長)が今後のキリスト教主義教育への不安を強く感ずるのはこの時である」(『九州学院70年史』)といい、九州女学院は、創立当初の入学案内に「基督教の主義に基き女子に須要なる高等普通教育を施し堅実善良なる婦人を要請するを目的とす」としていたが、昭和2年のそれには「教育勅語の本旨を遵法し基督教の主義に基き…」(『九州女学院の50年』)と記し、天皇制教育のキリスト教学校に対する教育内容への介入は公然たるものであった。

涙を飲んで「中等学校令」の適用を選択

 ガダルカナル島での日本軍撤退、アッツ島守備隊全滅など、日本軍の戦局が悪化すると、昭和18年1月、政府は勅令36号「中等学校令」を公布した。「国民学校の教育を基礎とし、更に之を進展拡充し、教育の本義に則り皇国の道を修めしめ、各其の分を尽くして皇運を補翼し奉るべき中堅有為の国民錬成を完う」すべく制定されたものであると定義し、それまでの中学校令、高等女学校令、実業学校令を統合し一本化した。同時に「皇国の道に則りて初等普通教育を施し国民の基礎的錬成を以て目的とす」という国民学校教育目的を中等教育にも延長運用し、中等教育段階での法的統一を図る目的で制定されたのが「中等学校令」であった。キリスト教主義学校として各種学校の適用を受けた両学院であったが、各種学校のままでいけば学校存在の不安定性が持続されるし、「中等学校令」の適用を受ければミッションスクールとしての機能を希薄にせざるを得ない状況にあったが、ここにおいて両学院とも「中等学校令」の適用を選択した。「名を捨てて実を残さざるを得なかった」と言うべきかもしれない。

 明治33年にメール・ボルジアが熊本玫瑰女学校を創立。大正9年に熊本中央実科高等女学校を設立、大正11年には上林高等女学校と改称、昭和7年には上林女子商業学校を開校するがキリスト教教育の危機に瀕した。昭和9年1月5日、上林高等女学校・女子商業学校の父兄有志が臨時に会合を開き「①アンデレア校長は我国民教育の基本を破壊するものと認む、我等は誓って同校長を排除す。②我校現下の教育は前柴田校長代理の手腕に持つもの洵に多し、速やかに再び迎えて父兄の不安を除かんことを期す。③右の希望を達するまで断然生徒の昇校を見合わす」という決議文を学校に提出した。これに対し学校側は1月7日に「アンデレア校長は国民教育の精神に反するが如き行為ありたることなく、教育勅語精神に則り、国民精神の作興に努め、例えば神社参拝の如きは本校は率先して之を行い、父兄会の決議の如き事実断じてなし」「校長代理の再任はすでに後任人事が決定しているので覆ることは絶対ない」との声明書を発表し反論した。同窓会も「母校の教育方針の正しさを信じて居るが故に母校を非難するが如き行動に
出でたることなきを声明す」と学校側に同調した。

 1月8日は新学期始業式であったが登校学生が減少、1月9日には父兄側がアンデレア校長の排斥、前校長の復帰、カトリック教に基づく教育方針の改革を叫び対立が続いた。ところが同日遅くなって熊本市内の私立高等女学校(大江、尚絅、中央)の校長が事態収拾を表明、1月10日に三校長が父兄側代表と折衝し妥協案が成立した。「紛争突発以来不安の空気に包まれた学園も愈々博愛の魂が甦って平和の日が訪れそうである」(『九州新聞』昭和9年1月11日)と新聞が報じた。苦難の道を歩んだが、昭和22年の学制改革により熊本信愛女学院と改称、新制中学校が発足した。

【参考文献】『近代熊本における国家と教育』(上河一之、熊本出
版文化会館、2016)『カトリック新聞』(2025年2月16日)


16:43

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

第45回研究会
「トランプ関税でどうなる欧州経済」

講師:田中素香氏(東北大学名誉教授)
日時:10月25日(土)
14時~17時

場所:専修大学神田校舎1号館4階ゼミ42教室(東京メトロ半蔵門線、都営地下鉄・新宿線、三田線神保町駅 出口A 2下車徒歩3分)
資料代:1000円


 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告