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賃上げは広がるか-分断される労働市場と価格転嫁の壁        労働調査協議会客員調査研究員 白石利政  賃金改定の時期を迎え、官民挙げて賃上げの必要性が唱えられている。しかし、その流れが社会の隅々まで行き渡っているとは言い...
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2026/03/12new

POLITICAL ECONOMY第303号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
賃上げは広がるか-分断される労働市場と価格転嫁の壁

       労働調査協議会客員調査研究員 白石利政

 賃金改定の時期を迎え、官民挙げて賃上げの必要性が唱えられている。しかし、その流れが社会の隅々まで行き渡っているとは言い難い。実質賃金の伸び悩みが続くなか、物価上昇は家計を圧迫する。総務省の家計調査によれば、2025年の2人以上世帯のエンゲル係数は28.6%と、1981年(28.8%)以来の水準に達した。消費は高所得層と中低所得層で明暗が分かれる「K字型」の様相を強めている。

変化する働き方と労働市場の分断

 春闘では自動車や電機など基幹産業やリーディング産業が相場を形成する。大企業の回答が中堅・中小企業へ波及する。それが長らく日本型賃金決定の姿だった。しかし、その波及力は弱まっている。背景には1990年代以降の雇用慣行の変質がある。

 1995年、日本経営者団体連盟は『新時代の「日本的経営」』を公表、「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」という3つの雇用区分(雇用ポートフォリオ)と「総人件費管理の強化」を提示した。しかし、その後の経過を振り返ると、雇用慣行の中に高度専門能力活用型」を適切に位置づけようとする動きは深まらず、「総人件費管理の強化」は企業内福利厚生費のカットや、企業内教育の外部化、企業の非正規雇用化などを進める「お墨付き」を与えることになった。

 この時期、政府の雇用に関する規制が緩和された。2004年の労働者派遣法改正により製造業への派遣が解禁され、請負と並んで派遣が現場に浸透した。人材サービス事業者はセットメーカーなどのパートナーとして組み込まれ短期契約や、非正規雇用が拡大した。

 外国人労働者の受け入れも進んだ。1990年の入管法改正について、宮島喬・鈴木江理子氏は「『単純労働者は不可』と掲げながら、脇のくぐり戸(サイドドア)を開いた」と指摘する(『外国人労働者受入を問う』岩波ブックレットNo.916,2014年)。1993年には技能実習制度が創設された。経済産業省『2025年版ものづくり白書』によれば、2024年の製造業における外国人労働者は59.8万人、製造業就業者の6.0%を占める。

 このような結果、非正規労働者の割合は1995年の約20%から2025年には36.5%へと上昇している(総務省「労働力調査」)。

 問題は、生産性の上昇と賃金の停滞が併存している点だ。日本の時間当たりの労働生産性は1998年比で約30%上昇したが実質賃金は横ばいの域にとどまる。こうした状況について、エコノミストの河野龍太郎氏は「収奪的な『二重労働市場』」の形成」を指摘する(『日本経済の死角』ちくま新書、2025年)。一方、財務省「法人企業統計調査」によれば、企業がため込んだ利益の合計を示す内部留保は2024年度に637.5兆円に達し、過去10年で約2倍に拡大した。

中小企業が直面する価格転嫁の壁

 賃上げの持続的拡大を左右するのは中小企業である。だが、そこには価格転嫁の壁がある。中小企業庁「価格交渉促進月間フォローアップ調査」(2025年9月)によれば<一部でも価格交渉ができた>は61.6%、コスト全体への転嫁率は53.5%にとどまる。コスト要素別では原材料費55.0%、エネルギー費48.9%、労務費50.0%と、いずれも十分とは言い難い。さらに、取引段階が深くなるほど転嫁率は低下し、「全く転嫁できなかった」との回答が増加する傾向が示されている()。
 こうした状況を受け、1956年施行の「下請代金支払遅延等防止法」(下請法)は大幅改正され、2026年1月から「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(取適法)が施行された。価格協議の求めに応じない行為の禁止など、委託取引の公正化が強化された点は重要である。

 生産現場では生産様式の変化と高齢化や人手不足が進行している。2月開催の「製造請負優良適正事業者認定制度(GJ認定制度)オンラインセミナー」で、株式会社ウイルテックの宮城力社長は、金属製品分野での技術者の高齢化、電子部品・電子デバイス製造分野での生産変動、設備稼働率、電気機械器具製造分野での多品種少量化と高い人的作業比率などを課題として挙げた。これらの課題に対応すべく人材サービス事業者は単なる労働力供給を超え、修理や技術支援を担う存在へと変化している。

 さらに、デジタル技術を介し水平的に連携する「メッシュ型」産業構造の台頭も指摘される。縦系列の再調整が進み、取引関係は流動化する可能性がある。フリーランスも含め、多様な就労形態が広がっている。

 これらの新しい動きは、その下支えである「最低賃金」のみならず「産業別最低賃金」への取り組みの本格的再構築を迫っている。

持続的賃上げに向けた社会的合意の形成

 中小企業の労働組合組織率は低い。労働評論家の久谷與四郎氏は春闘におけるナショナルセンター・連合の役割について、2つの点を挙げている。「第一は労働者生活の実態を的確にとらえ、そこに潜む課題を浮き上がらせ、その問題解決にターゲットを当てた春闘全体を構想すること。第二は前者の構想の下、世論形成のための社会対話を推進し、多様な形でメッセージを発信し、賃上げをはじめとする労働側の要求に社会の理解を促す環境整備にある」(「労働組合は春闘においてどのように関わっているのか」日本労働協会雑誌,No.710,2019年)と述べている。賃上げの呼びかけを持続的な成果につなげるには、企業内交渉を超えた社会的合意の形成が不可欠である。

 賃上げは一過性の景気対策ではない。分断された労働市場と取引構造のゆがみを是正できるかどうか。その成否が、日本経済の持続可能性を左右する。

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