ベーシックインカムの優位性を生かすことはできるか
経済ジャーナリスト 蜂谷 隆
6月に新型コロナウイルス感染拡大対策として1人あたり10万円の特別給付金が支給されたが、これを契機にベーシックインカムが脚光を浴びている。ベーシックインカムは基礎的所得保障と言われるもので、所得のない人から富裕層まで全国民ひとりひとりを対象に定額の現金を継続的に支給する制度。普遍主義的な政策で全体の底上げが期待される。
ベーシックインカムが、にわかに注目を集めるようになったもうひとつの理由は、菅政権のブレーンとなった竹中平蔵氏(東洋大学教授)が唱え始めたからだ。ベーシックインカム自体はすでに200年の歴史があるが、その理論は主として地域通貨や消費者協同組合などで経済の再生を図る「連帯経済論」の人たちによって積み重ねられてきた。それが真逆とも言える新自由主義者である竹中氏が唱えたこともあり、マスメディアも報じるようになった。「エコノミスト」(7月21日号)、月刊誌「世界」(9月号)が特集を組んでいる。テレビでもBS・TBSの「報道1930」がたびたび報じている。
ベーシックインカムの優位性は普遍主義にある。現在行われている現金給付は生活保護、失業手当、子ども手当など多数あるが、大半がターゲットに沿った選別主義的なものである。普遍主義はやっかいな所得や資産評価の必要がなく、受け取る人にスティグマが発生しない。
もうひとつは個人単位で給付されることである。世帯単位は働く夫と扶養される妻、子どもという構成で設計されている。単身世帯や共働きが増え家族のあり方が大きく変化している時代には合わなくなってきている。社会保障や税制は徐々に世帯単位から個人単位に切り替えつつあるが、その意味でもベーシックインカムは時代にマッチしたものといえる。
難点は巨額の財源
しかし、ベーシックインカムには、財源をどうするのかという大きな難点がある。たとえば全国民に対し1人1カ月10万円を継続的に支給すると単純計算で年間140兆円が必要となる。政府の予算を超える額だ。竹中氏の提案は月7万円で年間に100兆円だが、その財源は生活保護と年金をやめてそれらを財源にするというのである。さらに一定の所得以上の人は後で返金するとも語っている。竹中氏の本当の狙いは社会保障費の削減にこそあると見るべきだろう。しかし、同氏の考え方に多少でも納得できるのは財源が明確だ
からだ。
では「連帯経済論」の人たちはどのように考えているのだろうか。日本におけるベーシックインカム研究者の第一人者である山森亮氏(同志社大学教授)は、「ベーシックインカムというのは、既存の社会サービスを完全に代替するものではなく、ほかの社会サービスと結びついて初めて意味を持つ」(「毎日新聞」10月4日付け)と論じている。サービスを削減してそれを財源にしてベーシックインカムを導入することはありえないと言っているのだ。
ベーシックインカム導入を唱える論者は、グローバル経済による貧困の増大や格差拡大に対する政策として有効であるとか、過剰供給経済に陥る現代資本主義の矛盾からの脱却策としての有効性を訴えている。
どの人もベーシックインカムの優位性にポイントを置いている。その論は傾聴に値するが、財源論からの批判に堪えうる反論は残念ながらない。前述の「エコノミスト」特集で小澤修司氏(京都府立大学名誉教授)が、所得税の諸控除を全面的に見直し、所得税率を56%に引き上げると月額8万円の支給が可能になるとしている。年収500万円3人世帯ならベーシックインカム導入の方がメリットがあるという。しかし、同論文をよく読むと年金は廃止が前提になっている。老後に月8万円でどうやって生活するの?という疑問は当然出てくるだろう。
ベーシックインカム的発想からの政策
筆者が財源論を強調するのは、「財源なき政策は無意味」などという評論家的観点からではない。いくらサービスの代替ではないと言っても「国はこれだけの給付をしているのだから、あとは自分でやってほしい」という自己責任論が台頭し医療、介護や年金など社会保障が後退し市場経済化の方向に追いやられる可能性があるからだ。
山森氏は毎日新聞でのインタビューで「部分的であれ条件付きであれ、第一歩としてベーシックインカムに近い制度を少しずつ導入すること」を提唱している。具体的には児童手当の所得制限の撤廃し増額するとか、基礎年金を税財源化して個人単位で定額一律給付にする、また、一律の税額控除を導入し、納税額が税額控除額を下回る低所得者層には差額を給付する「給付付き税額控除」の導入も提案している。ベーシックインカムではないが、ベーシックインカム的発想からの提案だ。
「導入か否か」ではなく、ベーシックインカムの良い面を生かした政策を採り入れることは、可能だし必要だと思う。