秋田県で起きていることは日本社会の縮図
街角ウォッチャー 金田 麗子
環境省によると、今年度上半期の熊の出没件数は2万792件。件数を公表していない北海道を除くと、岩手県4499件、秋田県4005件。青森1835件、山形1291件と続き、東北6県の出没件数が全国の6割を占めている。捕獲件数はすでに6063頭に達している。
今年の特徴は人の生活圏への発生割合が7割以上で、人的被害は99件108人に達している。背景として、温暖化による気候変動で、主食の団栗などのエサが減少していることや、個体数が増加していること、超少子高齢化による人口減少などが上げられている。
秋田県は私の故郷だが、一昨年からの出没地域は、90年代以降に衰退した集落地域に重なっていて、そこから市街地、スーパー、バス路線道路、学校、病院、人家の小屋、家屋内まで広がっている。
頻繁に熊の出没を知らせる警報や、パトカーの巡回で、餌となる柿や栗の実、畑の作物を取り入れるようアナウンスされても、老人ばかりの世帯が多く迅速な対応が出来ないと、友人が嘆いていた。
根本的な対策として、草刈り間伐など、人の生活感を熊に示していく必要があっても、高齢化で困難を極めている。熊の駆除にあたる秋田県猟友会も、1471人のうち44%が70代以上(2023年3月)と高齢化が進み、世代交代が不可欠だ。
11月13日からライフルを携帯する警察官を配置。熊の駆除にあたるというが、経験を積まなければ警官の命はもちろん住民が流れ弾に当たる危険とも隣り合わせである。この先を見越して、猟友会のベテランに指導を受けて、公的なハンターを増やす対策をとることは必須だろう。
女性に選んでもらえる職場や地域
『ルポ人が減る社会で起きること―秋田「少子高齢課題県」はいま』(工藤哲、岩波書店)(
写真)によると、2024年度、日本の出生数は68.7万人に対し、秋田は3309人である。人口減少率の高さは全国一。高齢化率も全国平均29,3%に対し、秋田のみ40%を超えている。さらに国立社会保障・人口問題研究所によると、今後約25年間に4割近くも人口減少すると予想されているのである。
人口減少の影響は、学校、公民館、金融機関、農協、医療機関、交通機関にもおよび、存続のために広域化が迫られている。県内の事業の社長の平均年齢62.5歳(帝国データバンク秋田、2023年)、後継者不在率は2023年70.0%だ。自衛隊、海上保安庁、警察官の採用倍率の低下と、経済活動も明日が見えない状況だ。
15~24歳の若年層の転出超過状況も突出している。入学や就職を契機に東京圏、仙台など出て戻らない。若年女性はさらに多い。自分の希望や条件にあう職場を求め県外にでるだけでなく、周囲からの過度な干渉、性別による役割の固定化など閉鎖的雰囲気の地域を避け、都会に出ていくという。
本書に紹介されている2023年に秋田市で行われたシンポジウムでは、自治体は出生数を増やし人口を減らさないことを目標にするなら、結婚支援や子育て支援だけでなく、女性に選んでもらう職場や地域を作っていかなければならないと指摘されているのだが、熊対策以上に遅きに失しているのだ。
しかしこれは秋田だけの傾向ではない。国立社会保障・人口問題研究所は2040~45年には東京都も含めすべての地域で減少していくと推計している。本書でも秋田で起きている現象は、全国に広がると指摘している。
朝日新聞(7月10日)に掲載された地方の女性の生きづらさを語るインタビュー動画を配信する「地方女子プロジェクト」の主催者・山本蓮さんによると、地方の生きづらさを100人を超え発信してきたが、働く場所が少ないだけでなく、都市部以上に結婚圧力の強さや、女性はリーダーに向かないなどの偏見、多様な生き方を示すロールモデルの少なさ、性別役割分業意識を強さなど、生きづらさを語っているという。
政府が唱える「地方創生」は、若年女性の維持獲得が、その地方の存続可能性と結びつけられるが、当事者の思いを置き去りにし、子育てのしやすさを前面に押し出す自治体が多いが、子を持つ親への支援が前提で、女性が地方でキャリアを積み上げるための視点が不足していると指摘している。
「ケア責任」を共同に支えることが超少子高齢社会を変える
『ケアする私のしんどさはどこから来るのか』(山根純佳・平山亮、勁草書房)によると、女性は自然と気遣いや思いやりができる存在という「ジェンダー」により子育てや介護を女性がやることを「自然」「必然」であるように、ケア責任を強制されているという。
人間は生まれてから死ぬまで誰かの助けがないと死に直結する。乳幼児期、高齢期、障がい、病気などの時期であればなおさら。誰かがケアを引き受けなければ社会は持続不可能、社会の基礎となる活動である。しかもどのようなケアが必要なのか、求められ正しいのかは、常に正解はなく、悩み考える時間エネルギーを不断に必要とする。個人が一人で抱えるものではない。男性も「ケアに向かない」「長時間労働だから無理」という男性性の思い込みではなく、ケアを担う当事者として、福祉関係者や行政などと連携し、孤立化させないことが、ケアを必要とする当事者を守ることと指摘する。
『世界』10月号で鈴木彩加氏(筑波大学)が、「『主婦的なるもの』の政治性」で指摘しているように、家庭内のケアを引き受けながら、それをよりよく行いたい、病気の時は寄り添いたい、子供の成長を見守りたいなど。本来は性別を問わず誰もが持ちうる、誰もが引き受けられるような形で、社会が支えられるべきものを「主婦的なるもの」と呼び、労働時間の短縮や男女同一価値労働同一賃金などの要求だけでは、ケアすることの価値に答えてはいないのだろうと、リベラル政党の訴求力の弱さを指摘する。
ますます進む超少子高齢化する社会をどうしていくか。「生活の希望」としての共有可能な形で語り、分断ではなく共感を育てる「言葉の政治」が必要という提言に賛同する。今こそ「何を」だけでなく、どう語りどう合意していくかの「作風」が求められている。