日誌


2016/04/20

POLITICAL ECONOMY 第43号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
熊本地震、あの時何が起きたのか

                                            東海大学経営学部教授 小野豊和

  4月14日午後9時26分、熊本地方を震源とするM6.5「熊本地震」が起こった。益城町で震度7、余震を経て収束に向かうと思われたが16日午前1時25分、同地方を震源とするM7.3の大地震が九州を揺さぶり被害が一気に拡大した。以来震度1以上の有感地震が1150回(5月2日13時現在)と続く。熊本地震の特徴は震源が広域にまたがっていることだ。震源は阿蘇山を挟む熊本〜大分両県を走る九州中央部の各地に及び「これまで経験したことが無い地震」だ(気象庁)。日奈久断層帯と布田川断層帯が熊本市で重なり、14日午後の前震(M6.5)は日奈久断層帯で起こった。

  16日未明の本震(M7.3)は布田川断層帯が震源だった。同日午前3時55分のM5.8は阿蘇山向こうの産山村付近が震源だった。同日7時11分頃のM5.3は大分県の別府一万年山断層帯で起き、19日午後5時52分頃は今回の地震で最も南西域にある宇土・八代付近で発生しM5.5だった。熊本は阿蘇山を抱えているため火山活動との関連も心配された。建造物の倒壊、土砂崩れが相次ぎ、死者49人、行方不明1人、災害関連死17人、重軽傷者1,603人、建物の被害状況は全壊、半壊、一部損壊が計52,618棟(5月3日現在)。本震後の4月17日は855カ所の避難所に183,862人が避難したが5月に入り熊本県下27市町村に391カ所、20,002人と減少傾向にある。

片付けたところに本震

  個人的な体験だが14日夜の最初の揺れの時リビングで風呂が沸くのを待っていた。ガタガタ、ミシミシと音がしたかと思うとテレビが動きだしアンテナが外れて見えなくなった。壁に飾ってある60枚程の家族写真の額が紙吹雪が飛ぶようにひらひらと舞って落ちた。書棚が倒れガラスが割れた。キッチン側の大型冷蔵庫が飛び出し食器棚の食器の大半が割れた。30秒ほど続いただろうか。長方形構造の部屋が菱形状に左右に軋む中でただ立ち竦むしかなかった。

  風呂桶の湯は半分以上飛び出し、洗面所は鏡の裏に納めていた化粧品類が全部シンクに落ちた。書斎は壁2面の天井まで積み上げた書棚が倒れ足の踏み場がないほど書籍類が散乱した。2013年10月完成の新築マンション9階に住んでいるが、玄関ドアを開けると棟を繋ぐ免震構造の廊下が激しく軋んだのか床が外れ30㎝程の穴が開いていた。食器棚など片づけた翌々日の未明に本震が襲い元の木阿弥。以降余震が続いている。

  前震で持ちこたえた一部損壊の建造物も本震では倒壊し家に戻っていた主婦が犠牲になった。九州新幹線、九州自動車道等交通の要が直撃され約2週間機能不全に陥った。山間部は孤立し、土砂崩れが起き南阿蘇村では多くの犠牲者が出た。落下した阿蘇大橋の横にある東海大学農学部は活断層の真上に位置し建物は壊滅状態、近所のアパートに住む3人の学生が犠牲になった。

専門家のコメントに違和感

 政府として南海トラフを警告し地域防災が動き出していたが、直近で熊本地域の大地震を警告する専門家はいなかった。にもかかわらずテレビでは「想定外の地震」と言いながら「当然起こる環境にあった」と自信満々の専門家たちに違和感を持った。ニュース報道は犯罪報道に似ている。被災者に寄り添うというよりも厳しい現場の発見と救援の遅れに力点が置かれている。病院天国と言われていた熊本地域だが耐震化の遅れで200を超える病院、診療所が損壊し入院患者を他施設に移送した。

  いち早く動き出したDMAT(災害派遣医療チーム)260チーム1,055人が活動、自衛隊、警察、消防、海上保安庁等約2,000人の救援活動に感謝、周辺自治体、ボランティアも動き出した。4月25日には激甚災害法指定を受けた。熊本城、阿蘇神社、通潤橋等国指定の重要文化財・景観の被害も大きい。議会の決議を経ず専決処分で復旧・復興の補正予算を通した蒲島知事の力量に期待する。


11:25

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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