日誌


2015/11/05

POLITICAL ECONOMY 第37号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
16春闘「要求ダウン」でスタート
                                  グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢

 11月26日、安倍首相や経済閣僚と経済界が参加する官民対話の場で、榊原経団連会長が「来年は今年を上回る水準の賃上げを各企業に期待する」と表明、このニュースは同日開催された一億総活躍社会国民会議の「最低賃金を年3%上げ1000円にする」という緊急対策とともに、新聞各紙が1面トップで大きく報じた。

 しかし、翌27日、連合が中央委員会を開催、2016年春闘のベースアップ(ベア)要求を「2%程度」をする方針を正式決定して16春闘がスタートしたが、これを報じた新聞はベタ扱いだった。

 去年の今頃は、政労使会議の場で「経済の好循環」の実現のために政府と連合がタッグを組んで経団連に春闘での賃上げを迫り、2年連続のベアを実現めざして大いに盛り上がっていたが、この落差はいかなる事情からきたものだろうか。

 まず安倍内閣の事情から。これは比較的単純である。

 この暮で4年目を迎える安倍内閣は、一億総活躍社会を目指す「新3本の矢」を始動させた。一億総活躍社会とは「希望を生み出す強い経済」、「夢を紡ぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」だが、それを実現する「新3本の矢」がGDP600兆円、希望出生率1.8、介護離職ゼロなどの政策である。

 政府がこの「新3本の矢」を打ち出した背景には、ひとつは安保法案の強行採決から経済専心に向けて政治的な場面転換をはかりたかったこと、いまひとつは(実はこっちの方が重要なのだが)、息切れがみられるアベノミクスの転進をはかる必要に迫られたからである。アベノミクスの神髄は日銀の異次元緩和によるデフレ脱却。異次元緩和は株価上昇と雇用の量的拡大には成功したが、肝心のデフレ脱却すなわち物価が上がらない。政府は原油高と賃上げによるコストアップでそれを狙ったが、原油安と連合の賃上げへの反応の鈍さからコストプッシュによる価格転嫁が起こらず、安倍内閣も賞味期限切れが近いアベノミクスに半ば見切りをつけたのである。

 そこで、新3本の矢の緊急対策として最低賃金1000円やパート「130万円の壁」の見直し、低年金受給者への3万円支給などの家計支援を柱とした政策を連発、キャッチコピーも目詰まりを起こした「経済の好循環」から「配分と強い経済の循環」へリニューアルしたのである。

連合は要求ダウン

 一方、労働組合の方の事情だが、これはやや複雑である。

 連合がベア要求を復活させて3年目になる。15春闘で連合はベア要求「2%以上」を掲げ、結果は2.20%を獲得した。だが、この賃上げ率は定期昇給込みの数値で、ベースアップは筆者が推計したところでは0.8%程度に止まった。当時、筆者は「この結果に一番がっかりしたのは、物価目標2%達成のために雇用者所得2%を望む安倍首相ではないか」と書いたり、話したりしたが、その政府の目論見は崩れたのである。

 それでも3年連続ベアへ16春闘に望みを託す声は強かったが、夏の産別・企業連の大会シーズンになると「来年は今年のようにはいかない」という声がちらほら出始め、まだ要求論議すら始まらない9月早々に、春闘相場に決定力を有するトヨタ労連から「中国リスク、国内販売の先行き懸念から、16年のベアは厳しい環境を踏まえて議論する」との方向が表面化、月が進むにつれてベア要求「2%程度」に固まっていった。去年と2%は同じだが、「以上」が「程度」に変わった。だが組合用語で「以上」と「程度」は大違い、明らかに要求ダウンだ。どのくらいダウンかというと、金属労協がベア要求基準を「3000円以上」と決定したことから分るように、去年の要求「6000円以上」と比べて半減である。

 去年は6,000円の要求で、トヨタ、日立が共にベア4000円、率で1.0%アップの回答を引き出したが、16春闘が連合「2%程度」・金属労協「3000円以上」の水準半減となると、結果は額・率ともに去年の半分くらいの水準になると容易に想像がつく。

進む労抜き

 16春闘に臨んで、それ以上に大きく変わったことは政労使会議が今のところ開催されず、労抜きでことが進められ、マスコミの扱いもそれにならうようになってしまっていることである。雇用情勢は完全失業率が3.1%と空前の低水準にまで改善してきているが、非正規労働者の比率が4割を超え、「雇用の量」よりも「雇用の質」が喫緊の課題になっている中で、「新三本の矢」の施策を検討する場の一億総活躍国民会議やその司令塔である経済財政諮問会議に労働側の代表が参加していないのは、異常事態である。連合がパワー不足で頼りにならないという安倍首相の気持ちは分からないでもないが、ばっさり切り捨てるというのは大人げない。筆者は去年の春闘を政労使の「合意形成型春闘」として高く評価したが、労使の代表が参加し、政労使三者構成で非正規雇用を含めた多様な働き手の声が届くような国民的議論の場にすることを望みたい。


11:37

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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