南相馬市、市と市民の力で進む再生の道
「半農半エネ」と街づくりで支援
(社)えこえね南相馬研究機構理事 中山 弘氏
6月27日、経済分析研究会はこれまでの趣向を変えて、東日本大震災で地震・津波だけでなく原発事故の影響からの再生に向けた活動を行っている南相馬市のえこえね南相馬研究機構理事の中山弘氏に「震災から4年、南相馬の課題と再生」と題して話していただいた。中山氏は、埼玉在住で震災直後から南相馬に入り、市民と共に復興活動を続けている。脱原発依存ということで畑作をしながら太陽光発電を行う「ソーラーシェアリング」(半農半エネ)の普及や、「避難指示解除準備区域」指定がはずれる小高地区再開発に関わっている。南相馬市は「エネルギーの自給自足」による再生を打ち出しているが、こうした活動は持続可能な日本経済や社会のあり方を考える上でも示唆に富んでいる。
持続可能な日本の社会をどうつくるのか
南相馬市は、福島県の海岸線沿いにある市で、原発の北側に位置する。平成の大合併で小高、原町、鹿島の3町が合併したのだが、南側の小高区は20km圏内、真ん中の原町区は20-30km圏、北側の鹿島区は30km圏外というように3分割された形になった。しかも、海側は津波の被害にあい、西の山側は放射線量が高い。
震災の翌年、市は復興計画は震災の翌年、環境未来都市として、脱原発依存、エネルギー循環型都市をかかげ、太陽光、小水力など再生可能エネルギーで2020年までに電力需要の65%、2030年には100%にする計画をつくった。市民もさまざまな市民団体をつくり、活動は極めて活発に展開されている。中山氏もこうした中で支援を通じて市民活動に入っていったという。
南相馬市の人口は、震災前は7万人いたが、震災で1万人減少、その後回復したものの、居住人口は5万3000人(このうち6000人が外部の工事関係者)にとどまっている。原発事故で子供と共に関東地方などに避難し戻っていない人が多い。このため子供が減少、働き手の中では女性の減少が目立つ。高齢者はほとんど変わっていないという。この点も地域社会に大きな問題を投げかけている。
そこで市では住環境整備を行うと同時に、植物工場、ロボットなどの拠点作りを進めるとしている。対外的なアピール力のある桜井市長のリーダーシップは、市民に支持されているが、さまざまな構想は具体化されておらず、市民の評価は今ひとつという。
特に小高地区は、解除に向け街づくりの活動が活発化している。コンパクトシティー化を掲げ具体化を急いでいる。中山氏は、これまで「市民によるビジョンづくり」を掲げて活動を続けてきたが、ビジョンづくりも具体的な街づくりも市と共にやる方が現実的と考え、活動を続けていると語った。
メガソーラー優先はおかしい
質疑では、桜井市長の地元での評価について。市民運動との連携を重視するなど評価されている。ただ市の職員の中には、原発事故直後に桜井市長が職員に「避難せずとどまれ!」と言ったことのしこりがある。また、予算が3倍になり業務量が増えて仕事がきつくなったことや市民からの苦情の矢面に立たざるを得ない、などの問題を抱えている。
また「ソーラーシェアリング」についても質問があった。買取価格が引き下げられたことなどで、50kw以下の小電力は採算を取るのが厳しくなった。このため1haで500kwくらいの高圧連携のユニットを買って、そのユニットを個人の農家に分けるようなやり方を模索しているという。メガソーラー優先の政策を批判、農水省が土地利用でなかなか許可しない現状の改善を訴えた。
除染と県外に避難した人達が戻らない現状については、南相馬市の多くの地区の放射線量は年間1msv以下と下がっているが、それでも不安感は払拭されていない。特に山側では残っている。住民からは十分な居住環境を整えないで指定解除することはおかしいと訴訟も行われている。
南相馬市が抱える課題は多いが、市と市民の間のパイプが強くなっているところに大きな展望があるという感じがした。
(事務局 蜂谷 隆)
※中山氏の報告の詳細は『FORUM OPINION』30号に掲載されています。