6年目のふくしま・浜通り
-福島県南相馬市からの報告
一般社団法人 えこえね南相馬研究機構理事 中山弘
6年目の3月11日がやってきた。震災後5年間の「集中復興期間」が終わり次ステージの「復興創生期間」に移行している。政府や世間一般は一段落したと考えているようだが、どこまで復興が進んだか、現場をしっかり見ればそうではないことが分かるだろう。
「浜通り」とは、福島県の東部太平洋側の13市町村を指すが、北端の新地町から南のいわき市までの海岸沿いと、海に接していない飯舘村、葛尾村、川内村も含まれる。特に福島第一原発に近いか放射線量の高い自治体は先が見えない状況にある。
その主な課題は、①原発から20km圏内の自治体に人が戻りどう再生するのか、②失われてしまった農林漁業、製造業、サービス業をどう復活し雇用の場をつくるか、③これまで賠償金に依るところも大きかった暮らしをどう自立に向けて立て直すかである。いずれも大きなテーマであり、これからが復興の正念場と考えるが、南相馬市の現状とこれからを以下に少し述べてみる。
街づくり進む小高地区、鮮魚店も再開
南相馬市には避難指示解除準備区域/居住制限区域/帰還困難区域に指定されて人が居住できないエリアがあり、約11,700人が対象となっている。その多くは20km圏内にある小高区だが、昨年7月1日から準備宿泊制度ができて届け出をすれば自宅に泊まれるようになった。この届けを出している人は、今年1月時点で1,594人であるが、実際に宿泊しているのは1,000人前後と推察されている。全面的な避難解除は4月1日を予定していたが、除染作業の遅れと、未だに線量が高めな山側地域住民の強い反対もあって先延ばしになり、7月となる見込みである。
避難解除後に多くの人が住むためには、それに向けたインフラや生活環境を整えることが大切だが、小高区ではこのための取組みがいろいろ進んでいる。
買い物:昨年秋から小高駅近くに「エンガワ商店」がオープンし、日用品や食料品を扱っている。また移動販売もあるし、鮮魚店も6月に再開する。食事:寿司屋や中華料理店などが再開や開店準備をしている。
医療:私立小高病院に加えて、民間の2医院も再開した。
コミュニティ:人々が集まれる場として、浮舟ふれあい広場、浮船の里、おだかぷらっとふぉーむ、などが既に機能している。さらに小高駅近くの復興拠点施設計画も進んでいて、住民の憩いや交流の場も増えていく。
働く場:再開する工場も増えているし、高齢者ケアの仕事、あるいは若者の働く場を開拓する動きもある。
南相馬市の20km圏内ではこのように様々な取組が進んでおり、原発近隣自治体の復興に向けた試金石になると考えるし、モデルケースになったら良いと願っている。
菜の花油がブランドに
農業再生の兆しが見え始めている。震災以降、放射能汚染による風評被害や、農業者の減少により、営農していない田畑が目立ったが、今年はだいぶ様変わりしつつある。一つは菜の花栽培が増えたこと。南相馬では平成25年以降、菜の花プロジェクトを進めていて、景観作物として復興のシンボルにするとともに、菜の花油のブランド化に取り組んできた。春には菜の花祭りや菜の花迷路で人々を楽しませ、収穫した種を絞り「油菜ちゃん」という食用油を市販している。セシウムは水溶性で油に溶けないため搾油後は油に移行しないし、遺伝子組み換えや添加物もないので、安全な食用油のブランドを築きつつある。
当初は15haだった栽培面積は、今は40haになった。石鹸メー カーのラッシュジャパンから石鹸素材の原材料として油菜ちゃんを使いたいという申し出があり、今年3月からは石鹸「つながるオモイ」という商品が店頭にも並ぶようになった。
また、稲作も今年は作付する農家が増えて青々とした田園風景が戻ってきた。ハウス栽培のイチゴや施設園芸などの再開も進んでいる。さらに行政が支援する大規模トマト工場の稼働など農業再生の動きが加速している。
南相馬市は今のところ、求人倍率が2倍を越えているが、主な働き口は除染作業や復興事業であり、地元の求職者とのアンマッチがある。また、復興に関わる事業はいずれ無くなるわけだから、地に足の着いた安定的な働く場をいかにつくっていくかが問われており、行政、企業、市民、の協働がますます重要になってくる。それには地元だけでなく、南相馬市以外の消費者や企業の協力に期待するところも多いので、POLITICAL ECONOMYの読者の皆さまも心に留めておいていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。