日誌


2013/12/27

「POLITICAL ECONOMY」第12号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
原発事故の深層にあるもの
                                             経済アナリスト 柏木 
                            
 原発が争点に浮上し都知事選挙が盛り上がっている。そこで福島原発事故のあと考えてきたことを、少しばかり述べてみたい。まず問われるべきは資本主義だ。

都知事選の意味は大きい

 細川、小泉コンビが脱原発を争点にもちあげて二人並んでの街頭演説が展開されている。これは大きなインパクトを与えている。当初、舛添の圧勝でハイ終わりと思われていたが、俄然面白くなってきた。

 福島事故の後、原発について一千万人という多くの有権者が選挙で意思表示する機会はないままであった。したがって首都東京というダントツの大都市で原発が争点になることは誠に結構なこと。エネルギー政策は国レベルの問題で自治体選挙にふさわしくないなどという声もあったがとんでもない。東京は事故を起こした福島原発、柏崎・刈羽原発という巨大原発の発電に依存してきた電力の一大消費地だ。それだけでも原発問題を争点にすべき理由になるし、責務がある。国の政策だなどと、問題をなんとなく全国レベルに拡げ曖昧にぼやかしてごまかすべきではない。減災対策や社会保障政策は候補者間で大きな違いはない。大きな違いは原発政策だ。この点で今回の都知事選はこれからの日本のありかたを問う、つまり小泉のいう「原発なしで成長をめざす日本」と「原発なしでは成長できない日本」のどちらを選ぶのかを問う選挙である。当分好き勝手にやれるとふんでいた政府・与党に対し、打撃を与え得る選挙となったことで正月早々誠にめでたい話になってきた。

問われるのは資本主義

 筆者はこれまで原発に多少の関わりを持ってきた。技術的な事は全くの素人だが、日本の原子力発電所の半分、六ヶ所村、フィンランドやスエーデンの使用済み燃料の最終処分場、またフランスやイギリスの再処理工場の視察などもしてきた。筆者は原発をどんどんつくればいいとは考えなかったが、漸増していくくらいが適当だと考えていた。スリーマイルやチェルノブイリのような大事故は起こらないだろうと日本の原発をかなり信用していたわけだ。しかし今回の福島の事故でその認識の甘さ、誤りを痛感した。だから反省し考えを変えた。

 まず福島事故によって資本主義のもとでの原子力発電はあまりにリスクが大きいということがはっきりと示された。これまでうすうす意識していたが、やはりそうだったのかという思いだ。資本主義とはそもそもが人命などより利潤獲得が第一の至上命題であり、レーゾンデートルなのである。今回の事故でそれがくっきりと浮かび上がった。

 例をあげれば、何といっても第一に「想定外」という問題だが、大津波、大地震については今回のマグニチュード9クラスの巨大地震は1900年代に入って以降だけでも既に4回起こっていた。直近では記憶に新しい04年スマトラ沖大地震と大津波である。だから想定外などという言い訳は通用しない。加えて東電は過去の日本の津波をふまえたシミュレーションによって、従来の想定が誤りであることを知っていた。それを隠ぺいしていたのだ。防潮堤や非常用電源の設置場所も含め様々な対策に膨大なコストがかかるから無視していたのである。

 第二に下請け構造の問題である。現場のベントの形式や構造に詳しいのは下請け社員であり、東電社員は空洞化していた。それがベントの遅れにつながったのである。また重機や消防車、機材その他を扱うのも下請け社員であったため迅速な初動体制がとれず、メルトダウンにつながった。下請け構造は云うまでもないがコスト低減のためである。

 さらにはメルトダウンに対する海水注入の件である(3号機)。時間が切迫していても東電は海水注入をかなりの時間ためらった。海水を入れてしまえば炉はオシャカになり廃炉にするしかないからである。結局のところ最後の最後まで利潤が大切だったのだ。資本の本性がむき出しになったわけだ。

 そこで当面の柱となる方向としてどう考えるかになるが、(当面といっても長期にわたるが)以下のように考えるべきである。
1、これまで運転してきた軽水炉は再稼働せず、すべて廃炉とする。
2、核燃料サイクル路線は撤廃する。
3、東電は破たん処理する(政府のいわゆる電力システム改革は軽水炉再稼働が前提になっているだろうから反対)
4、新たなトリウム溶融塩炉を開発・実用化する。ただし、その際は国連主体とし企業の直接の関与は排除する。また実用化後の利用に際しては、蓄積された使用済み燃料の放射性物質の消滅、核兵器廃絶処理を中心とする。

 実用化された炉の本格的展開・普及は、資本主義にかわる新たな社会に転換してからとする。それまでは再生可能エネルギーを最大限利用する。
 
今回は紙幅の関係で以上の指摘にとどめる。別の機会に詳しく論じたい。


10:41

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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