原発事故の深層にあるもの
経済アナリスト 柏木 勉
原発が争点に浮上し都知事選挙が盛り上がっている。そこで福島原発事故のあと考えてきたことを、少しばかり述べてみたい。まず問われるべきは資本主義だ。
都知事選の意味は大きい
細川、小泉コンビが脱原発を争点にもちあげて二人並んでの街頭演説が展開されている。これは大きなインパクトを与えている。当初、舛添の圧勝でハイ終わりと思われていたが、俄然面白くなってきた。
福島事故の後、原発について一千万人という多くの有権者が選挙で意思表示する機会はないままであった。したがって首都東京というダントツの大都市で原発が争点になることは誠に結構なこと。エネルギー政策は国レベルの問題で自治体選挙にふさわしくないなどという声もあったがとんでもない。東京は事故を起こした福島原発、柏崎・刈羽原発という巨大原発の発電に依存してきた電力の一大消費地だ。それだけでも原発問題を争点にすべき理由になるし、責務がある。国の政策だなどと、問題をなんとなく全国レベルに拡げ曖昧にぼやかしてごまかすべきではない。減災対策や社会保障政策は候補者間で大きな違いはない。大きな違いは原発政策だ。この点で今回の都知事選はこれからの日本のありかたを問う、つまり小泉のいう「原発なしで成長をめざす日本」と「原発なしでは成長できない日本」のどちらを選ぶのかを問う選挙である。当分好き勝手にやれるとふんでいた政府・与党に対し、打撃を与え得る選挙となったことで正月早々誠にめでたい話になってきた。
問われるのは資本主義
筆者はこれまで原発に多少の関わりを持ってきた。技術的な事は全くの素人だが、日本の原子力発電所の半分、六ヶ所村、フィンランドやスエーデンの使用済み燃料の最終処分場、またフランスやイギリスの再処理工場の視察などもしてきた。筆者は原発をどんどんつくればいいとは考えなかったが、漸増していくくらいが適当だと考えていた。スリーマイルやチェルノブイリのような大事故は起こらないだろうと日本の原発をかなり信用していたわけだ。しかし今回の福島の事故でその認識の甘さ、誤りを痛感した。だから反省し考えを変えた。
まず福島事故によって資本主義のもとでの原子力発電はあまりにリスクが大きいということがはっきりと示された。これまでうすうす意識していたが、やはりそうだったのかという思いだ。資本主義とはそもそもが人命などより利潤獲得が第一の至上命題であり、レーゾンデートルなのである。今回の事故でそれがくっきりと浮かび上がった。
例をあげれば、何といっても第一に「想定外」という問題だが、大津波、大地震については今回のマグニチュード9クラスの巨大地震は1900年代に入って以降だけでも既に4回起こっていた。直近では記憶に新しい04年スマトラ沖大地震と大津波である。だから想定外などという言い訳は通用しない。加えて東電は過去の日本の津波をふまえたシミュレーションによって、従来の想定が誤りであることを知っていた。それを隠ぺいしていたのだ。防潮堤や非常用電源の設置場所も含め様々な対策に膨大なコストがかかるから無視していたのである。
第二に下請け構造の問題である。現場のベントの形式や構造に詳しいのは下請け社員であり、東電社員は空洞化していた。それがベントの遅れにつながったのである。また重機や消防車、機材その他を扱うのも下請け社員であったため迅速な初動体制がとれず、メルトダウンにつながった。下請け構造は云うまでもないがコスト低減のためである。
さらにはメルトダウンに対する海水注入の件である(3号機)。時間が切迫していても東電は海水注入をかなりの時間ためらった。海水を入れてしまえば炉はオシャカになり廃炉にするしかないからである。結局のところ最後の最後まで利潤が大切だったのだ。資本の本性がむき出しになったわけだ。
そこで当面の柱となる方向としてどう考えるかになるが、(当面といっても長期にわたるが)以下のように考えるべきである。
1、これまで運転してきた軽水炉は再稼働せず、すべて廃炉とする。
2、核燃料サイクル路線は撤廃する。
3、東電は破たん処理する(政府のいわゆる電力システム改革は軽水炉再稼働が前提になっているだろうから反対)
4、新たなトリウム溶融塩炉を開発・実用化する。ただし、その際は国連主体とし企業の直接の関与は排除する。また実用化後の利用に際しては、蓄積された使用済み燃料の放射性物質の消滅、核兵器廃絶処理を中心とする。
実用化された炉の本格的展開・普及は、資本主義にかわる新たな社会に転換してからとする。それまでは再生可能エネルギーを最大限利用する。
今回は紙幅の関係で以上の指摘にとどめる。別の機会に詳しく論じたい。