堅パンと労研饅頭
労働調査協議会客員調査研究員 白石利政
誰しも、人づてに聞いた話で、いつか自分も口にしたいと思いを募らせる(た)食べものがあるのではなかろうか。私にとっては堅パンと労研饅頭が、優先度の高い候補だった。最近、その願いが叶った。今回は二つのお菓子の話である。
八幡製鉄所ゆかりの「堅パン」
堅パン(正式にはくろがね堅パン)という八幡製鉄所ゆかりのお菓子があり、地元のスーパーなどで手に入ると聞いていた。私はそのうち食べてみたいと思いながら口にするチャンスがなかったが、今年1月、JR小倉駅の新幹線乗り場の土産物店で発見した。レジに進むと言われた。「堅いですから紅茶や牛乳などに浸して食べるといいですよ」と。見た目は普通のビスケット、机の上で倒すと高い音がした。名前の通り確かに堅かった。前歯では噛みきれない、奥歯で砕き柔らかくなるにつれ甘さが口に拡がった。
堅パンの包装にその由来が記されている。「大正時代に官営八幡製鉄所が従業員のための食品として独特の製法により開発したもの」と。独特の手法とは「小麦粉、砂糖などを水と混ぜて発酵させ、高温で焼き上げる」ことで、堅いのは「日持ちする保存食用に焼くため」という(鉄の街・北九州の人間模様(下)朝日新聞デジタルSELECT)。高熱重筋、交替勤務で働く労働者の栄養補給食品として生まれ、製鉄所の購買会で販売された。堅さは昔のままという。
現在は株式会社スピナ(北九州市八幡区)の看板商品として、子どものアゴの発育・歯ガタメ、災害に備えての非常食・保存食、登山・ハイキングのお供など、として売られている。
もうひとつ製鉄労働者の疲れ回復のためにつくられたのが「くろがね羊羹」(重さ160グラム、長さ13センチメートル)でポケットに入る。これは甘くて、柔らかい。「くろがね堅パン」と「くろがね羊羹」は、ともに平成20年、「『食』の認定ブランド」(北九州商工会議所)に選定され、八幡製鉄所の関連施設が平成27年に世界遺産に認定されてからは、土産品としても売り出し中である。
労働者の栄養食「労研饅頭」
労研饅頭(まんとう)、私は四国松山でこの10月に味わった。小麦粉をこねた生地を酵母で発酵させ、蒸し上げたもので、なんともやさしい独特の風味を感じた。
労研と饅頭のつながり、これには訳がある。それは、倉敷労働科学研究所(現在の公益財団法人大原記念労働科学研究所)が、労働者の栄養状態を改善しようと、中国東北地方の饅頭(まんとう)をヒントにしながら日本人に合うように改良し、主食代用品として開発したものだからである。研究所のホームページには「昭和4年5月『労研饅頭』出来、試食会を催す」とある。
この労研饅頭と松山とのつながり、そこには物語がある。学資に苦しむ夜学生を支援するため労研から酵母菌を譲り受けた松山夜学生奨学会が昭和6年10月に製造販売したことである。この取り組みの責任者が退役軍人で敬虔なクリスチャンで数学教師の竹内成一氏で、昭和10年からは氏の個人経営で製造販売することとなった(現在の株式会社たけうち)。
当時、一食分4個で5銭(一個は60グラムで約180キロカロリー)。労研饅頭4個分のカロリーはご飯普通盛りで3杯くらいにもなる。このころ「まんじゅう」(昭和11年、一個56グラム)や木村屋の「アンパン」(昭和13年)一個分の値段は5銭とある。労研饅頭がかなり安かったことがわかる(週刊朝日編の「値段の明治大正昭和風俗史」と「続・値段の明治大正昭和風俗史」より。朝日新聞社)、当時の「松山たけうち」の包装にある「消化・栄養・経済・第一」は適切である。今なら保存料を使わない自然食品であることから「安全・安心」も加えたいところである。
このころ、労研饅頭は全国37店で作られていた。しかし、戦災などでの酵母菌が消失、現代まで継続しているのは株式会社たけうち(松山市勝山町)のみとなった。経営に当たっているのは3代目で「今でも工程は全て従業員の手作り」、「材料の配合を変えず昔ながらの味を守り続け」ている(愛媛新聞 平成28年1月19日)。松山の本店と大街道の支店などの他、インターネットでも購入できる。
これらのお菓子、地域に根ざしているが郷土発ではない 堅パンは企業で定着し労研饅頭は研究所発の、ともに労働者向けの滋養食に由来している。産業の現場で働く労働者のお腹を支えた、労研饅頭は松山で夜学生の勉学を支援する「使命」も果たした、「優れもの」である。それが現代まで関係者の努力により作り続けられ地元の人を中心に親しまれている。巡り会ったら是非、手にとって欲しい。