日誌


2019/07/28

POLITICAL ECONOMY147号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
「刑務所みたい!」-子どもの一時保護体制見直しを
                          
                                     まちかどウオッチャー 金田麗子

 東京都の児童相談所(児相)に設置されている一時保護所が、虐待などで保護された子どもたちに対し、人権侵害に当たる過剰な管理規制を行っているという報告書が、東京都の第三者委員から出された。

 報告書によると、一時保護所では、私語禁止、子ども同士の会話制約、目を合わせるのも禁止などの指導をしていて、「刑務所みたいだった」という子どももいたそうだ。ルール違反の子どもに対しては、壁に向かって食事をさせたり、体育館やグラウンドを何周も走らせるなど、まるで「処罰」のような対応をしていたという。

 報告書は問題の背景として、増加し続ける虐待相談と一時保護件数に対し、一時保護体制が追い付いていない。いつも満杯の一時保護所(平均入所率109.2%)や、児童福祉司などの職員不足などが運営に悪影響を及ぼしていると指摘している。

 都児相の児童福祉司は2018年度273人だが、国の基準297人に満たない。児童心理司も117人と基準の149人に到達せず、たしかに職員体制は十分ではない。

問題は職員数だけではない

 東京都は指摘に対し、今年度から一時保護所の職員を16人増やし、入所定員も24人拡大したという。しかし原因は人数の問題だけだろうか。

 児童福祉法に基づいて、都道府県、全政令指定都市、一部の中核市の計215か所(2019年4月)設置されている児相は、虐待、子育て不安、不登校、非行、障がいなど子どもにかかわるあらゆる相談に対応。父母の不在や虐待など家での養育が困難な子どもを一時保護する権限も持っている。

 居室は4人以下(乳幼児のみは6人以下)の共同生活で、年齢に応じ男女別。一時保護期間は原則2か月で、子どもの心身の状況や家庭環境などの調査を行い、家庭に戻せるか、戻せない場合の対応など判断する。

 親の連れ去りなど危機回避のために、原則学校への通学はできない。外部との接触や連絡も制限がある。ただでさえ窮屈な生活を送っているのに、なぜ厳しい行動制限や冒頭のように子ども同士の接触を禁じるような管理体制を一時保護所はとるのか。

 一時保護の対象者は被虐待児だけではない。置き去りや家出、経済事情から居所を失った子、非行など様々な事情の子どもたちが対象となる。しかも共同生活。子ども同士が事情を語り合ったり、連絡先を交換することで、犯罪行為に巻き込まれたり様々なリスクにさらされないための対応だという。

 私自身DV被害者や暴力被害者の一時保護支援にかかわった経験があるので、安心安全確保が第一義であることは理解できるが、当事者の人権侵害にならない配慮が前提だ。そもそもトラブルやリスクは共同生活や施設体制が原因で起きることが多い。

児相の閉鎖性に問題

 厚生労働省も一時保護所の対応が不十分だとして、居室の小規模化など個別対応ができる構造上の整備や職員配置の増加、第三者評価の導入をすすめるよう求めている。

 2017年に厚生労働省の検討委員会は「新しい社会的養育ビジョン」を出し、一時保護体制についても、「子どもの権利が保障された一時保護体制」への改革として、一時保護所における自由権、教育権の保障と子どもの問題に合わせたサポートのために、子ども2人に対して一人の大人がケアできる体制や、小規模一時保護所や同委託施設においては、子ども3人に大人一人の配置など提言している。

 ところが全国児童相談所長会が猛烈な反対意見を表明している。その多くは、現行の施設構造や規模、人員などからこのような一時保護体制は現実的ではないというもの。

 に閉鎖的な環境でなければ物理的なリスクを最小限に抑えられないし、子ども自身が課題に向き合うことが難しい。「子どもの最善の利益」は「制限される権利」「生活が保障される権利」「適切に養育される権利」「生活が保障される権利」などと比較衡量して判断される、より上位の概念である。「権利」というが家庭や学校、社会においてもルールがあり、個々人の権利だけが保障されるものではないなど言及している。

 つまり人権侵害というそしりは心外で、子どもの最善の利益のためには当然のことだと思って、少しも疑いを持たない。この頑迷さはどこからくるのか。

多様な連携が必要

 朝日新書「ルポ児童相談所」(大久保直紀著)の第6章には、弁護士を常勤職員として配置したことで、子どもの権利を知らず知らず制限していたことに気づかされたという福岡市子ども総合センターの事例が紹介されている。児相職員以外の視点が入ることによって気が付いたというのだ。

 つまり従来の児相職員だけの児相が閉鎖的であることの裏返しでもある。児相職員だけでなく、市町村の子ども担当職員の専門性や質の向上はもちろん不可欠だが、自治体の関連部署、児童家庭支援センター、警察、学校、保育園、民生児童委員、NPOなどとの多様な連携で「子どもの利益をベースに置いた」体制を作っていくことが、求められている。


09:53

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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