日誌


2019/07/06

POLITICAL ECONOMY146号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
チベット紀行(下)
進むインフラ整備・開発と観光地化の中で
                     経済アナリスト 柏木 勉

 チベットは標高が高い。チベット高原といわれる所以だ。ラサは富士山と同じ高さ。ラサ駅からホテルに到着し、少しばかりたったら体調がおかしくなった人がいた。高山病で、それから2日間「ホテルで静養」になってしまった。私もラサに着いた日の夜は、部屋の中を動いていると頭が何となくぼんやりした。夜中の3時頃に目が覚めて動悸がするような気になる。そこで、持参していた経口補水液を飲んだら、気分が落ち着きそのまま寝られた。

 翌朝、何人かと話したら、やはり調子がおかしくなり数人は各自の部屋においてあった酸素缶から酸素を吸っていた。これは細長い缶に酸素が入っていて、缶のボタンを押すと口から酸素吸入ができるもの。この後、さらに高所の街や峠(標高4700m。ヒマラヤが望める)に登ったが、その際は我々全員が酸素缶のお世話になった。

 また、標高が高いと木や植物が少ない。河の周囲では菜の花の黄色や裸麦の緑が美しい。だが、ヤクが放牧される山から少し上がるとはげ山だらけだ。だから空気が非常に乾燥している。ペットボトルの水を2、3時間で2本くらい飲みほしてもトイレのことを忘れるくらいだ。標高が高いと日差しも強い。完全に晴れると抜けるような青空だ。日差しは、少し大げさだが直線的に刺さってくる感じがある。現地のチベット族でもサングラスをかけているものが多い。
 
 ところで、標高が高くてまいったのはビールが飲めないことだった。高山病を考えると飲まない方が無難だと云うのだ。なんだか良く分からないが、標高が高いため、血液中の水分やアルコールの泡が通常より大きく膨らんで、具合が悪くなるという。これは本当か?事前に調べても来なかったから仕方がない。ラサにいた3日間は禁酒になってしまった。ラサから離れる日の昼食時のみビールを1本飲んだ。名前は「ラサビール」。ところが冷やしていないし店の中も暑かったから、非常に生温かくてまずい。最初の一杯を注いだら殆んど泡だ。我慢して飲み終わるまでえらく時間がかかった。だが、いくらまずくても、それでも飲むのがバカな酒のみだ。

修行の場にもスマホ

 チベット団体ツアーは定番コースだ。ポタラ宮やチベット仏教の寺としてラサに最初に建造されたジョガン寺、ラサと同じ聖地であるシガツェ市のタシルンポ寺等々をめぐった。タシルンポ寺の手前の通りは、両側の歩道に巡礼者目当ての店が軒を連ねている。何種類もの数珠や首飾り、腕輪その他諸々、巡礼の必需品を所狭しと並べている。そのうえ歩道には巡礼者の群れが家族連れで休んでいるので、歩道をまともに歩けない。巡礼の熱気を実感した。だが、チベット仏教への信仰の現状がどうかといえばよくわからない。

 ジョガン寺の界隈では五体投地を繰り返す人を何人か見た。地面のコンクリートの温度は優に40度を超えていた。「いやー、大変だな」と思いながら横を通りすぎた。しかし、その人数は少ない。観光客が大半だ。漢族が一番多いが欧米人もパラパラ見かける。新しい綺麗なチベットの民族服を着た女の子が2人やってきた。「ふーん」と顔をみたら漢族だ。化粧で色が白いとはいえ漢族だ。つまりコスチュームとして着ているのだ。日本に来た外国人が着物や浴衣を着て喜んでいるのと同じ。

 「なるほどね」と思ったのは、どこだったか忘れたが、寺の中で修行中の僧侶達がスマホを持っていることだった。お経を読んでいる場でそんなものを持っているとは思わなかった。何気なくみたら、柱に数台スマホがひっかけてあった。あれっと思い、さらに眺めると子供の僧侶がなにやら手を頻繁に動かしている。周りの僧侶はお経を唱えているが、その子はゲームに夢中になっていたのだ。まあ、中国では今やどんな片田舎でもスマホがないと生活できない。どんな場でもスマホはあるのだ。

鳥葬と開発

 ところでチベットといえば鳥葬だが、今回の旅の前にNHKのドキュメンタリーを見た。その最後のシーンで、チベット族の鳥葬を観光の見世物にしている場面が映し出された。多くの漢族の若者たちが鳥葬を間近で見ている。詳しく写してはいなかったが、中国の観光ツアーに組み込まれていることはわかった。そこでチベット人ガイドに鳥葬について尋ねてみたが、答えは「普通のチベット族が一番望むのは鳥葬。しかし鳥葬師などの依頼にカネがかかるので望み通りにはできな
い」とのこと。それ以上は聞かなかった。

 日本人の感覚では、葬儀である鳥葬を観光の対象にするのは倫理的に許されないと思う。しかしチベット自治区以外の四川省や甘粛省等では中国人観光ツアーで鳥葬見学が行われている。帰国して調べてみると、現在チベット自治区では、鳥葬を好奇心から見物、撮影、発信することは禁止だ。チベットの伝統と死者に対する冒涜として非難されるようになったのだ。しかし、中国政府・共産党はチベット全体のインフラ整備で急速な開発を進め、観光地化を促進している。青蔵鉄道の開通、道路の拡張・延伸、峠を貫通するトンネル、ダム・発電所建設等々。チベットの貧困脱出に向け、「チベット族の精神を改革する必要がある」との認識のもと、チベット族の生活向上意欲と努力の不足を改革しようというわけだ。だが、それが伝統的なチベットの宗教性や生活様式と衝突し、漢族との所得格差拡大、チベットの民族問題の深刻化を招いている。鳥葬の件はその一端でしかない(鳥葬はネットで見ることは可能。我々の感覚では残酷)。

 上海空港での両手の指紋採取、5年前のウイグル自治区へ向かう時と同じできわめて厳しい手荷物検査。列車でも手荷物検査。チベット自治区ではパスポート発行禁止、人が集まるところ必ずたむろする公安・警察。チベット自治区とウイグル自治区は厳戒態勢にある。(写真はポタラ宮前広場から)
おわり)       


16:25

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告