岸田政権の「新しい資本主義」はどこへ向かうのか
横浜アクションリサーチ 金子 文夫
どこが新しいのか
参議院選挙は予想どおり自民党の圧勝で終わり、安倍元首相の急死による自民党内の政治力学の変化も含めて、岸田政権の「黄金の3年間」の行方が注目される。2021年9月の自民党総裁選で打ち出された「新しい資本主義」構想は、当初は金融所得課税の強化に象徴される分配重視、新自由主義からの転換を印象づけていたが、その方向性はすぐに修正されていく。新設した「新しい資本主義実現会議」による11月の「緊急提言」から2022年6月の「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」(以下、「実行計画」と略記)に至る過程で、成長戦略重視の姿勢が一段と鮮明になった。
確かに、「実行計画」の冒頭部分では、資本主義の歴史を、自由放任主義⇒福祉国家⇒新自由主義⇒新しい資本主義という流れで描き、新自由主義とは異なる段階(第4ステージ)に至ったとの認識を示し、新自由主義による経済的格差の拡大、気候変動の深刻化など、克服すべき課題を明示している。その点は評価すべきとしても、経済成長によってこうした問題を解決できるという立場に立つため、本来の分配政策である税制・社会保障制度の改革は検討課題から除外し、成長戦略に直結する「人への投資」を新種の分配政策として打ち出すことになった。税制は政府税制調査会、社会保障は新設する「全世代型社会保障構築会議」で扱うという。以下では、分配政策の位置づけを中心にして、二つの報告書の内容を検討してみよう。
「緊急提言」から「実行計画」へ―分配政策の成長戦略への埋没
「緊急提言」は全文17頁であり、これを前文2頁、成長戦略10頁、分配戦略5頁に配分している。ここに早くも分配戦略軽視の姿勢が現れている。成長戦略は、科学技術立国、イノベーション・スタートアップ支援、デジタル田園都市国家、経済安全保障の4本柱で構成される。分配戦略は民間部門と公的部門に二分され、民間部門では男女間の賃金格差解消、賃上げ企業の減税、労働移動の円滑化・職業訓練、非正規労働者への分配強化、中小企業支援などの施策が列挙される。公的部門では、看護・介護・保育労働者の収入増加策、子ども・子育て支援、大学生奨学金の返済負担軽減などが提示される。
ここで注目すべきは、分配戦略の副題に「安心と成長を呼ぶ「人」への投資の強化」が掲げられ、成長戦略との連結が強調されていることである。人的資本への投資策は労働移動の円滑化を扱う項目の中に書き込まれ、他の項目に比べて記述が詳細である。
一方、「実行計画」は、全文35頁に増強され、構成が大きく組み替えられた。「緊急提言」にあった成長戦略と分配戦略の2部門構成は解消し、全体が成長戦略を基調とする7章建てに編成され、分配政策はそのなかに組み込まれた。全7章のうち、前文とまとめの3章を除く4章が本体部分であり、重点投資(人への投資、科学技術、スタートアップ、GX・DX)20頁、経済社会システム(法人形態、インパクト投資等)2頁、多極集中化(デジタル田園都市国家、仮想空間等)5頁、個別分野(経済安全保障、金融市場整備等)4頁といった構成となり、重点投資に過半の頁数をあてている。
分配政策は重点投資の第一の柱「人への投資と分配」の中に置かれ、賃金引上げ、スキルアップを通じた労働移動の円滑化、資産所得倍増プラン、子ども・子育て・高齢者支援、多様性の尊重と選択の柔軟性等の項目が並べられた。このように分配政策すべてを重点投資項目に盛り込むのはかなり無理があるが、人への投資が成長と分配の両面をもつ点に着目したからだろう。
「人への投資」は格差を是正するか
しかし、人への投資は格差是正に通じるのか。「新しい資本主義」構想の下敷きには、諸富徹『資本主義の新しい形』(岩波書店、2020年)があるのかもしれない。「新しい」という言葉が共通しているし、資本主義の非物質化が進み無形資産投資が重要性を増す、従って無形資産を生む人への投資が課題になるという筋書きも共通している。
ただし、諸富氏の人への投資論はスウェーデンの積極的労働政策がモデルであり、それは同国特有の賃金決定制度、高負担・高福祉の社会システムが前提となっている。人への投資は成長戦略であるとともに分配政策でもあるが、格差是正策としては限界がある。高技能を身に着け、労働生産性をあげて高収入を得る人が出るとしても、全員がそうなるわけではない。
格差是正という本来の分配政策を実行するには、所得税(金融所得課税を含む)の累進性強化、相続税強化、法人税引上げ(または累進課税化)等、財源の裏付けを確保しなければならない。社会保障制度の改革も先送りは許されない。「新しい資本主義」は税制・社会保障制度の改革を抜きにしてはグランドデザインたりえず、成長戦略一本鎗のアベノミクスの二番煎じに堕するしかないだろう。