日誌


2020/04/25

POLITICAL ECONOMY第164号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
見ているのに見ていないこと
                                                               まちかどウオッチャー 金田 麗子

 俳句にとって「写生」は不可欠であるが、「見ているのに見ていない」と叱られることはよくある。私たちは無自覚に「見ていない」ことがあるのだ。

 新型コロナウイルスのパンデミックは、検査、医療体制、経済的窮状の速やかな救済措置も、何一つ十分にできない日本政府の無能さを露呈した。

 「緊急事態宣言」下、とりわけ非正規や自営業者、フリーランス、音楽や演劇関係者などの収入の道が閉ざされた。「自粛」を求めながら、損害に対する「補償」がわずかで、遅々として進まないためである。

安全不十分な福祉の現場を「美談」で覆い隠すな

 私の近所の商店街でも、廃業に追い込まれそうになっている店が多数ある。休業要請が出ているわけではないのに、のれんを出さずに営業している店もある。批判や嫌がらせが怖いからだという。

 厚生労働省によると、コロナ関係の解雇や雇止めは、4月27日時点で見込みを含め累計3391人と、先月より2500人以上増えている。3月の有効求人倍率と完全失業率も悪化している。

 外出自粛と言われても、家のない人やDVや虐待などの被害から、家が安全な場所ではない人がいる。感染の危険にさらされながら、入管に長期に収容されている人もいる。

 「ステイホーム」を続けるための支援が必要な人々もいる。高齢や障がいなどでデイサービスや通所施設、作業所、グループホームや施設を利用している人々である。

 政府は「緊急事態宣言」以降も、こうした施設に対し支援事業の継続を求めている。しかし高齢や基礎疾患のある人など重症化リスクの高い利用者が多い上、濃厚接触が避けられない支援が中心では、感染が広まるリスクも大きい。利用者だけでなく、支援員の安全確保が十分な体制がとられているだろうか。

 私の職場は、精神障がい者のグループホームだが、法人側は安全確保に無頓着なので、現場スタッフがルールを作り自衛している状態だ。

 医療従事者同様、保育園なども含め、福祉現場で支援している人々の安全を顧みない就労体制を、利用者のためと美談の如く扱って平気な現状に怒りを覚える。陽性反応の看護師に就労継続させていたクリニックのように、クラスター化してやっと「見えてくる」のでは遅すぎるのだ。

「被害者落ち度論」が「痴漢」被害者を苦しめている

 コロナ問題が顕在化する前、痴漢被害防止のために「肌の露出」や「不要不急の深夜の一人外出は避ける」という新聞記事を読んで、まだ「被害者落ち度論」を語るのかとあきれた。

 いわゆる「痴漢」問題こそ、「見ているのに見ていない」最たるものだと思う。私自身50代後半まで「痴漢」被害を経験した。電車内、映画館など場所も時間も季節もばらばらである。

 中学2年の修学旅行で東京駅のコンコースをクラス単位で歩いていたら、一番痩せて小さな同級生が、前から来たサラリーマンに胸をわしづかみされ、しゃがんで立ち上がれなくなったのを目撃した。

 こうした経験をしているから、「痴漢」にあうのが被害者女性の落ち度などと思ったことは一度もない。しかし相変わらず「被害者落ち度論」につながる言説が多い。「薄着で肌を露出する服装」や「夜間の外出」が痴漢行為を誘発するなどと、何の根拠でいうのかと思っていたら、牧野雅子著「痴漢とは何か」(エトセトラブックス)を読んで腑に落ちた。

 本書によると、「痴漢」捜査の警察官や警察庁の過去データでも、「痴漢」多発時期はいわゆる「薄着」の真夏ではないし、痴漢加害者も薄着に触発されて痴漢行為を選んでいるのではなく、おとなしい被害者を狙っているという。中二の同級生の姿が脳裏に浮かんだ。

 それなのに何故警察の痴漢被害撲滅ポスターは、「薄着に気を付けよう」なのか。その背景として、本書は戦後メディアで「痴漢」がどう語られ、その結果、社会の意識が構築されたかを丹念に解き明かしている。痴漢は犯罪ではなく「性的娯楽」「趣味」として語られ扱われた歴史がある。

 痴漢はささいないたずら行為として扱われ、被害者も楽しんでいる、あるいは無意識に誘っているなどの、根拠のない「神話」が構築されていって、被害を訴えにくい状況が作られた。

 実態は性暴力なのに、「痴漢」というふざけた名称にも強烈な違和感を感じる。昨今「痴漢冤罪」問題がクローズアップされて、「偽の被害者」が多発しているような取り上げ方をされがちだが、本書にもあるように、実際は警察の取り調べのずさんさが原因で、被害者が責められるべき問題ではない。

 警察庁「痴漢防止に係る研究会」が2010年に実施した調査によると、大都市圏に居住し通勤・通学に電車を利用する女性で、過去一年以内に痴漢被害にあった人の89.1%が警察に通報相談していないと答えている。被害を訴えるハードルの高さは変わっていないのだ。

 多くの女性たちが体験している日常が、見えていないのか、見ていないのか。「被害者落ち度論」に加担する言説は、被害者を苦しめている「セカンドレイプ」行為なのだ。


11:16

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告