CCカフェ熊本「熊本の広報を考える」を開催
元・東海大学教授 小野豊和
熊本地震(2016年4月)以降、被災地の復興状況などメディアの関心の高まりがあり企業における取材対応など広報の必要性に新しい風が吹いてきている。6月1日(土)日本広報学会「災害復興の現場における広報の在り方」研究会(主査:小野豊和)を拡大し、地元産業界に呼びかけ『CCカフェ熊本「熊本の広報を考える」』を開催。金融、医療、バイオ、郷土史家、舞踊関係、メディアなど21人が参加した。
主宰者としてパナソニックでの14年間の広報経験を通じて学び実践してきた「松下幸之助の広報の考え方」を紹介。広報を学ぶ者のバイブルと言われる「タイレノール事件(1982年)」におけるジョンソン&ジョンソンの公開告知広報、対照的な「雪印乳業食中毒事件(2000年)」のお粗末な広報対応などの事例を通じて、熊本であっても組織における広報体制の確立が必要と『CCカフェ熊本』の趣旨を説明した。
基調講演として「CC(コーポレート・コミュニケーション)・企業広報とは」について(一社)国際CCO交流研究所理事長の石橋陽氏が講演。CCの4つの機能(①企業のDNA(理念、哲学、使命)伝承②コーポレート・ブランディング③広報④広告⑤IR)をCCO(チーフ・コミュニケーション・オフィサー)が担う。CCOには4つの役割(①ステークホルダー・マネジメント②レピュテーション・マネジメント③コーポレ―トブランド・マネジメント④イシュー・マネジメント)がある。中でもイシュー・マネジメントは危機に対する予知で、危機を予防するリスクマネジメントと起こった危機に対応するクライシスマネジメントがある。企業が災害や事故で重大な被害を受けても取引先等との重要業務が中断しない、中断しても可能な限り短い期間で再開するため、事業継続の許容限界、ボトルネックを洗い出し、復旧目標を掲げて対処する事業継続計画の作成が望まれるなど広報としての基本的な考え方を説明した。
災害から見える広報のあり方
次に3つの話題から「災害から見えた広報の在り方」を検証。第1の話題は「被災者から見た災害直後とその後の報道について」で、東海大学経営学部長の木之内均教授が南阿蘇で経営している木之内農園の震災直後と復興状況について報告。木乃内農園は、本震で落下した阿蘇大橋の周辺に位置し地崩れもあり復旧不能に近い打撃を受けた。南阿蘇は阿蘇山の伏流による地下水が豊富な地域で村が施設した水道を利用していたが、山崩れ、道路の寸断などで水道が止まった。
地元企業の東京エレクトロンから3000万円の援助を得て自前で井戸を掘り、農地及び近隣の住宅に水を供給しているが3年以上経っても国の支援による水道整備が為されていない。山の中腹にある九州電力の灌漑用も兼ねた貯水池が決壊し下流地域の住居が流され2人が死亡。九州電力は地震が起きる直前の住民との意見交換会で「東日本規模の地震があっても貯水池は安全」と力説したが決壊した。活断層の真上に位置していた東海大農学部は本館が3階までこわれたが、体育館を臨時避難所として提供。被災者でもある先生と学生で救援活動を行いメディアに対しては規制線を設け取材対応は一本化した。
2番目は「復興祈念コンサートの企画運営」について、くまもと音楽復興支援百人委員会の小野裕幸氏(こどもデザイン研究所代表)が報告。震災直後に委員会を発足、被災された方々に「心が癒され、明るい気持ちになる心のケアーコンサート」を届ける「音楽の炊き出し」チームを作り3年で337回933人の演奏家と69団体を避難所や仮設住宅、学校などに派遣する活動を続けた。
最後に「様々な地震記録誌に携わって見えてきたもの」と題し、(株)マインド代表の大村祐二氏が報告。記録し後世に残す大切さ→そこから見える教訓→そこから導き出される提言をまとめた『避難所運営の教訓と提言~新町避難所運営を通して見えてきたもの』を紹介。
「細川歴代藩主と災害史」では、熊本城に起こった自然災害と修復の歴史を解説。現代に生きる市民は熊本地震が起きる直前まで「熊本は地震が起こらない盤石な地」と聞いてきたが、地震後は一夜にして「活断層密集地の熊本はいつ大地震が起こっても不思議でない」と大学教授など災害の専門家の考えが豹変した。災害現場でどのような事が起こり、どのように対応して来たかなど生の声を聞く機会となった。進行上の不手際からフィリーディスカッションの時間が少なかったが、参加者が当事者として自由に議論に参加する『CCカフェ熊本』への期待もあり今後は年に2回程度開催を考えていく。