日誌


2014/06/28

POLITICAL ECONOMY 第18号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
潜在成長力もGDP需給ギャップもまやかしの理論の産物
                               経済アナリスト 柏木 勉

 黒田日銀総裁は最近の会見で、GDP需給ギャップがほぼ解消されつつあると述べた。また内閣府は本年1-3月期のそれは▲0.3%としている。他方でIMFでは2014年平均▲1.3%だ。需給ギャップは景気動向を示すものとして内閣、政策当局、経済学者なども大いに気にするものであろう。だが、これらの数値が報道されるのを見て、筆者はやれやれいい加減にしてくれといった気分になる。

 それは潜在成長率とかそれによる需給ギャップとか、いかにももっともらしく示される数値が完全なまやかしであり、理論的に破たんしているものでしかないからだ。というのは、これらの数値は集計的生産関数なるものから計算されるが、生産関数そのものが理論的に破綻していることは約半世紀前にポストケインズ派(ジョーン・ロビンソン、スラッファ等)がサミュエルソンやソローを論破して立証済みなのである(ケンブリッジ資本論争)。サミュエルソンは生産関数が理論的誤謬であることを自ら宣言せざるを得なかったのだ。

 今回はこの問題についての簡単な紹介とコメントを行いたい。

生産関数といっても色々あるが、ここではコブ・ダグラス型生産関数を示すと
    Y(実質GDP)=AKαLβである。
(Aは技術進歩等全要素生産性、K、Lは資本、労働の投入量、αは資本分配率、βは労働分配率)

 以上の生産関数を計測したうえで、計測された生産関数に、Aは所与として最大限可能な労働時間Lとフル稼動水準のKを挿入して潜在GDPが得られる。そこで、需給ギャップはGDPの実績値と潜在GDPの乖離率となる。

 従って生産関数そのものが破綻していれば当然潜在成長力や需給ギャップと称されているものも成り立たないことになる。

価格は利潤率に独立しては決まらない

 さて、集計的生産関数において問題になるのが資本Kである。集計的生産関数では、単純に物的資本財が労働と共に投入され生産物が生まれるとされている。あたかも資本財が、例えば全て小麦であり生産物も小麦であり、当然剰余も小麦であるというようなものである。ところが、通常の場合資本財は質的に異なる財の集まりである。これを一つの同質の数量にするには価格によって集計するしかない。しかし、価格によって集計すると利潤率の影響を受けるので、上記の小麦の例のようにはいかないのである。小麦の例では100トンの資本財(小麦)で120トンの小麦が生産されれば、剰余は20トン(利潤率20%)となるが、資本財100トンは利潤率20%の影響を受けることなく100トンは100トンで変化はない(利潤率とは独立)。しかし、価格によって集計するとそうはならない。

 今、次のような生産体系を考えてみる
 (小麦1クォーターの価格をX、鉄1トンの価格をY、均等利潤率をR 、Wは賃金)
小麦部門 (250X+10Y)(1+R)+2/3W=500X
鉄部門   (100X+5Y)(1+R)+1/3 W=20Y
(小麦部門は250クォーターの小麦と鉄10トン、総労働量のうち3分の2が投入されて小麦500クォーターが生産される。鉄部門も同様に見る) 

 上式においては、小麦を価値尺度財とすれば決定されるべき変数はY、R、Wの3つだが、式は2つなので自由度1である。そこで独立変数は何かといえば利潤率になる。利潤率が先決されて価格が従属的に決まるのである。Wが独立変数になることはない。なぜならそんなことになれば資本主義は崩壊するからだ。結局、価格は利潤率に独立しては決まらない。つまり生産関数において投入されるKは、価格によって集計された数量だから利潤率によって変化してしまう。生産関数はその資本量を利潤率とは関係のない物量のごとく装っているが、その誤りは明々白々である。利潤率の高低に独立な資本量などというものは存在しないのである。
 
 しかし、生産関数は以上のように破綻しているにもかかわらず、いまだに俗世間では大学やその教科書、政府・関係省庁や研究機関において大手を振るって利用されている。それを支えているのは、資本主義擁護のイデオロギーである。また無知も大きな要因であるが、政策提言が出来なくなりメシの食い上げを恐れる俗流経済学者の「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった本来の研究者からかけ離れた仲間同士のかばい合いである。

 だが現実を見てみよう。特に近年は減損会計が導入され、ここ数年はIFRS(国際会計基準)導入の是非をめぐって論議がかまびすしい。これらは時価会計の徹底という大きな流れであるが、減損会計等についてみれば、それは大雑把にいうと、例えばある工場(固定資産=資本)が今後生み出すと予想される利益が当初見込んだ利益とくらべ減少すれば、その減少分を損失として計上し、当該固定資産の価値を割り引くというものである。大企業になればそれは何百億円にものぼる。利潤率の変化によって、投入された資本が変動することは明々白々である。そして、それによって赤字が拡大すれば賃金カット、雇用削減その他リストラが強行される。それが資本主義である。

 マルクスは、資本とは姿態変換を繰り返す価値の増殖体であるとした。それをあらためて銘記すべきであろう。

07:02

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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