第40回研究会
日本経済 成長志向の誤謬 日本証券アナリスト協会専務理事 神津多可思氏
経済の力が落ち、国民の生活がジリジリ下がった「失われた30年」をめぐる議論は今なお続いている。経済分析研究会では、今春「日本経済 成長志向の誤謬」(日本経済新聞出版社)を上梓された神津多可思氏を招いて同じタイトルで報告をしていただいた。長年日銀で金融政策に関わってきた神津氏は、グローバル化、インターネットなどサービス経済化、中国など新興国の台頭など国内外の大きな変化の中で供給側も政策も対応が遅れただけでなく、時にはできないまま終わったと分析した。
賃金下がりサービス価格が低下
神津氏が最初に取り上げたテーマはデフレ。大規模な金融緩和を10年近く続けても経済成長につながっていないからだ。物価上昇率の低下はサービス価格の低下のためで、非正規雇用の増加などで賃金水準が下がったことが、サービス価格を押し下げた。
物価の上昇や下降の一つの要因は、日銀によるマネーの供給にある(金融要因)。もうひとつは実体経済の良し悪しで(実体要因)、この40年間を見ると金融要因は緩くしか関連性がないが、実体要因は比較的正の相関関係が見られた。つまりデフレだから景気が悪いという面もあるが、景気が悪いからデフレという面もある。
ところが、「金融要因」だけをみて、13年から異次元緩和が行われた。多少インフレ方向に動いたが成長率を押し上げることにはつながらなかった。
では何が問題だったのか。2000年代に入って日本経済に起こっていたことは需要構造の大きな変化だ。2%の経済成長率が達成できなかったのは、日本経済が構造的変化に十分対応できなかったためで、大きな需要構造の変化は四つある。
一つは、人口の減少、高齢化。人口が減少に向かっているのに人口増で支えられていた高度成長時代と同じような政策を繰り返していた。
二つ目は、デジタル化、SDGs(持続可能な開発目標)の流れ。
三つ目は、国を先頭に新興国が台頭、世界の成長センターが新興国に移ったことである(図参照)。ところが日本は先進国向けで伸ばしてきた輸出のビジネスモデルを変えることができず、価格競争力を強めるために低賃金の中国やASEAN諸国に生産拠点を移すことで対応した。
四つ目は、世界経済のデジタル化と結びついたサービス経済化の流れに乗れなかったこと。特にインターネットとサービスを組み合わせた分野での遅れは顕著だ。
「切り捨て型の経済」でいいのか
いずれの需要の構造的な変化が早いことが特徴で、個別企業にとってビジネスを入れ替えようとすると倒産や解雇といった厳しい対応が必要となる。アメリカが典型的で高い成長率を実現したが、勝ち組と負け組がはっきりし分断国家となってしまった。しかし、日本はビジネスを入れ替えに時間がかかった。アメリカのように切り捨て型が良かったのか?そうは言えないと神津氏は言う。
以上を総括すると、日本の企業は野球の1回の表裏(戦前)は勝ったり負けたりで最後は戦争となり完敗。2回の表裏は戦後の高度成長時代で、良いものを安く作って世界中に売るというビジネスモデルで勝った。ところがインターネットなどの技術が需要の中心になって3回の表裏は完敗した。次の4回の表裏は、AIとロボットの時代となる。日本にもチャンスはあるのではないか。
最後に財政の悪化については放置すれば臨界点に達することのリスクを認識すべきだが、時間をかけて改善していく以外ない。また金融政策もどこかで正常化する必要があると述べた。
質疑では物価高と円安で日銀はどう動くべきかと問われ、交易条件が悪化しているので金融緩和姿勢を変えることはできない。修正に動く場合でも「日銀は金融引き締めに動いた」と思われないようにすることが重要だ。また、ヘッジファンドに国債を売り込まれ日銀は債務超過に陥るのではないかという懸念については、一時的に債務超過があっても、日銀に対する信用が失われたり破綻することはあり得ないと述べた。(事務局 蜂谷 隆)