ボリビア同行記『開かれた教会・愛の実践の危機』
東海大学経営学部教授 小野 豊和
今年8月、ローマ法皇フランシスコが生まれた南米を訪ねた。ボリビアで36年目を迎えるサレジオ修道会の日本人宣教師倉橋輝信神父(79)の活動を支援するためだ。
フランシスコ教皇は「開かれた教会」の必要性を強く訴えている。「私が願っているのは、開かれていて、理解を示す教会、傷ついている家庭に寄り添う教会」「神父は教会の建物に籠る特権階級ではない。街に出て人々に寄り添いなさい」と言い続けている。
発展が進むサンタクルス市は日本とほぼ同じ広さで、中心部に200万人、山間部に100万人が住み、その80%以上がカトリック信者だ。市内には100 を超える教会があるが、都市化の波に乗って流入してくる労働者たちを受け入れる体制が整っていない。開門時間が掲示され、時間外は鉄の扉を閉めている。
子供の洗礼は両親の結婚証明が必要で、そうでない親の子は洗礼を受けられない。また洗礼準備の勉強会は午後7時半から始まるが、貧しい人々は夜働いている。幼児の洗礼式は1か月に1回だけ。国外から親を訪ねてきた子や孫が、家族に囲まれて洗礼を受けることを望んでも、教会の年間予定表に合わせると、限られた滞在期間での洗礼式は不可能になる。結婚式に関しては、3カ月前から結婚講座を受けないと教会での結婚式が許可されない。仕事の都合や、遠隔地に住居がある人への配慮はなく講座の日程が決められている。
離婚歴のある信者の宗教上の結婚式は教会が許可しないので、人々は民法上の結婚式での指輪の祝別を望むが神父は来ない。葬式は葬儀場で行うが、急な報せに応える神父は少ない。教会の“律法”を厳守するあまり、教会から排除されて“迷える仔羊”となった人々が大勢いる。特に経済的に貧しい人々など社会的弱者は、教会の年間スケジュールに合わせて生きることは難しい。
市民に寄り添う神父
サンタクルス滞在の10日間、倉橋神父のすべての行動に同行し、まさにローマ法皇が求めている「開かれた教会」を実践する司牧者を見た。1日に3つの結婚式を司式。教会の建物内で宗教上の結婚式ができない離婚歴のあるカップルのために、披露宴会場で婚約式、指輪の祝別式を行い、他に葬式を2件こなした。親や祖父を訪ねて一時帰国した子や孫の結婚式や洗礼式も行った。また親のない子供を助け、結核患者を救い、児童養護施設や学校などの運営資金を自力で集めて支援している。寛容な心で“超法規的”に司牧を行い、人々に寄り添う倉橋神父は市民から「パードレ・ホアン(ヨハネ・ボスコ倉橋)」と声が掛かる。警察官も、先住民も、日系移民も、市長も親しげに話し掛けてくる。
しかし、既存の体制を守りたい現地の神父たちは、イエスが身をもって示した「迷える人々の救済」を忘れたかのように、自分たちを“特権階級”と勘違いし、個人の安泰に慣れ、汗を流すことを避け、教会の建物に籠り、規則と規律を優先させている。人々を救済しようとしない“イエスの代理者”たちは、ローマ法皇の「開かれた教会」の教えも“馬耳東風”なのだろうか。イエスの時代、ファリザイ派の人たちがユダヤ教の戒律を第一とし、イエスを排除した。これと同じ危惧をボリビアの現場で肌に感じた。しかしこのような“逆風の現場”でも、司祭叙階50周年を迎えた倉橋神父は、毎日駆けずり回り市民に寄り添い、共に生きている。
異常と思える聖なる組織の話だが、企業社会、大学においても同じ傾向がみられるのではないか。