職種概念の堅さと柔らかさ
労働調査協議会客員調査研究員 白石利政
「格差社会」の行き過ぎが広く問題視されている今日、日本社会は「一億総中流」といわれた時代があった。平成も29年、平成生まれの20代にとっては何のこと、という人も少なくないと思われる。この「中流意識」について忘れられない経験をした。それは、電機労連(現:電機連合)が呼びかけて実施した「電機労働者の意識についての国際調査」である。
職種あわせの舞台裏
電機労連の関心は、1968年から1982年まで過去9回の組合員意識調査を行ってきたが、第10回目の調査を実施するに当たって、日本の「労働者の意識や価値観はどのような位置にあるのか、国際比較を通して明らかにしたい」というものであった。1982年から準備を始め、調査の呼びかけ対象国として当初は、英米系からイギリス、大陸系から(西)ドイツとフランス、そして福祉国家を念頭に置いてスウェーデンを考えていたが、この企画に興味をもったイタリア、中欧のポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビア、香港からの参加申し入れがあり、結果として10ヵ国で1984~1985年にかけて実施された。
参加者が一同に会しての設問づくりは1984年3月に日本案をもとに始まった。そのなかに「一億総中流」のもととなった階層帰属意識、すなわち、あなたの階層は上、中の上、中、中の下、下のどれに入るかである。この設問にヨーロッパの参加者から異議がでた。「階層帰属意識は職業上の地位で決まる」という意見である。
そこで議論は職種に移ったが、その選択肢が揉めに揉めた。日本チームの提案は今まで用いていた職種・職場で、生産現場、製造技術、研究開発・設計、事務、販売・サービス、その他にソフトウエア/データ処理を加えた7つであった。
まず「生産現場を不熟練労働と熟練労働にかえよ」、「技術関係をテクニシャンとエンジニアに分けよ」という声が上がった。混乱を深めたのが「カードル(管理職・専門職)を入れよ」で、提案者はあの温厚なマルク・モーリスさん(LEST)だった。翌朝、最終的に確認されたのはBlue collar、Clerical administrate、Technical、Supervisor managerial、Other で、なんとも締まりのない妥協の産物となった。
この調査は、その後、第2回(94/95年)が14ヶ国、第3回(99/01年)が16ヶ国の参加を得て継続、実施された。
ヨーロッパ・スタンダードに押し切られる
職種の見直しは続く。第2回ではBlue collar、Clerical administrate(incl. sales & marketing)、Technician、Engineer、Supervisor、Manager、OtherrとなりTechnicalが分離。そして第3回ではBlue collarと回答した人にunskilledか skilled かの記入を求める設問が加わった。3回を通して、日本勢(電機労連、中央大学教授・石川晃弘さん、労働調査協議会)は多勢に無勢、ヨーロッパ・スタンダードに押し切られていった。
国内での調査は、第1回と第2回は生産労働、事務職(営業・販売を含む)、技術職、管理・監督職、その他、第3回は生産労働を技能職に、管理・監督職を監督職に変更して実施した。しかし、職種・職場からヨーロッパ・スタンダードへの接近、摺り合わせも行き詰まった。技能職の不熟練労働と熟練労働への、技術職のテクニシャンとエンジニアへの、分離である。回答者が混乱なく記入できるとは思えなかったからである。
日本の職種概念の柔らかさ
このような議論から、職種概念のヨーロッパ社会における堅さと日本社会における柔らかさを痛感した。そして、この日本の職種概念の柔らかさは、スキルの向上や多能「工」化、MEやロボットの導入に雇用不安を引き起こすことなく対応し、雇用・職の維持・安定に有効に機能を果たしていた。
2000年前後から、日本社会の「世相」は「総中流社会」から「格差社会」に一転した。製造業の分野にも派遣事業主からの派遣労働者や、製造業請負事業主からの請負労働者として、働く人もでてきている。しかし、どこで働こうと、どのような雇用形態であろうと、会社の「寿命」より働く人の職業生活の方が長いことも珍しくない今日、働く人のキャリア開発は最重要事項である。これを推進する上で、職種概念の柔らかさは大切にすべき仕組みであり、堅さよりは向いている。