ジョブ型賃金は労働組合が勝ち取るものだ
グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢
21春闘は、ベースアップとジョブ型雇用が話題になった。ベアの方は、毎年恒例になっているNHKの昼のニュースは、回答ボードの前で記者がレポートすることも見送られた。また、夕刊各紙も回答一覧を載せて記事にしたのは読売など二紙だけ、毎日、東京、産経は記事さえ見送った。こんな春闘は、80春闘で回答の現場に立ってから初めての体験である。寂いし限りである。
これに対して、ジョブ型賃金の方はいよいよその時代がきたかと感慨無量である。
労組が職務給を要求の歴史
第2次大戦後、最初に労働組合みずからつくった賃金体系を掲げて会社に挑んだのは、全自 (全国自動車)の1953年春の闘いである。53年は、スターリン暴落、朝鮮戦争休戦による大不況で、時の吉田内閣によるバカヤロウー解散で少数与党内閣に転落した後、政府・財界が目論む「ベース賃金」による賃金抑制に対して、日産分会が闘いを挑んだ争議である。
全自の要求は、自動車労働者を経験年数に応じて未熟練、半熟練、初級熟練、中級熟練、上級熟練、高級熟練の6段階に格づけした6本桂の統一基準賃金で、経験ゼロの最低保障賃金を1万円とし、経験年数に応じて加算させようとする要求方式で、欧州型産業横断賃金論を日本で試みる画期的なものだったが、ストライキとロックアウトを繰り返した末に、最後は、学卒組合員を中心とした民主化グループの「新労」の結成と組合分裂の末に敗北した。
次に職務給の動きが出たのは1960年代になって、八幡、富士、鋼管の鉄鋼大手3社で会社側からの提案を受けて、62年から労使協議を積み上げて導入に至った。この動きを受けて、63年に総評が春闘白書で「ヨーロッパ並み賃金の実現」を掲げ、横断賃率論や同一労働同一賃金など、構造改革論の研究者の間から職務・職種給が提言された。
この中から、松下電器の会社側が職務給の提案に対して、労働組合が自ら「仕事別賃金」を策定し、それを会社に逆提案して、労使協議を重ねて勝ち取って導入に至ったのである。これを受けて日立・東芝も職務給要素の取り入れ、67年には電機労連が第一次賃金政策を策定し、職務給を産別方針として取り組むことを掲げたのである。
「職務・職種給」vs「職能賃金」
これに対抗して、1969年に日経連が「能力主義管理」を発表、職能資格制度の導入を提唱した。
1970~80年代の労使は、「職務・職種給」vs「職能賃金」を対抗軸にせめぎ合いになったが、時の趨勢は次第に後者に傾き、鉄鋼の職務給も松下型の仕事別賃金も次第に職能資格制度に次第に蚕食され、我が国賃金制度は職能給に換骨奪胎されていったのである。だが能力主義を労働組合から勝ち取ったと言っても、日本型職務給では終身雇用と年功的人事慣行のもとでは如何ともし難く、経済界からは不満を抱くムキが絶えなかった。そこにアメリカから進出してきたヘイシステムになびく企業が増えていったが、アメリ型システムには馴染めないとして、大勢を占めるには至らなかった。
90年代に入って、連合総研が「90年代の賃金」(1992年)を発表、完全仕事給の提言をしているが、これには筆者も参加した。この時期になると、グローバリゼーションに直面した日本企業は、海外人材と国内人事制度との桎梏に直面して、「成果主義」が流行りとなるが、何の成果を評価するかとなると、それはジョブしかないということになり、ジョブ型成果主義がブームとなった。そのきっかけを作ったのが、1993年の富士通の成果主義職務賃金の導入である。その肝は、世界共通の職務等級によるグローバル・グレードである。
だが、この成果主型務賃金も、賃金のジョブ化への動きと新卒一括採用、年功的な人事処遇など日本型雇用慣行とのズレは大きく、それがジョブ型雇用の導入を進めようという動きになっている。しかし、この論調は欧米型と日本型の双方をミックスした複合型を提言する識者が多い。だが、こうした複合ステムがうまくいくとは思えない。
今度のジョブ型賃金は、経団連の中西会長の発言に端を発しているが、賃金体系は経団連や連合がなんと主張しようが、それで決まることはない。それは既に述べたように、企業内の労使の陣取り合戦の結果によって決るものである。ジョブ型賃金が、資本の論理に飲み込まれるか、労働組合が巻き返せるかは、力で勝ち取ることしかない。