ビッグモーター、ジャニーズ、日大
リスクマネジメント問われる相次ぐ不祥事
金融取引法研究者 笠原一郎
早いもので年が明け2024年となった。コロナで閉ざされた3年間から、ようやく抜け出したかと思えば、裏金疑惑の自民党だけではなく、23年のテレビで流れたワイドショーの“ネタ”には、ビックモーター、ジャニーズ、日本大学そして宝塚歌劇団と、後ろ向きの話しか出てこないのではないかと思えた。これらの社会的に関心の高い組織の不祥事はマスコミメディアで大きく報じられ、組織のリスクマネジメントが問われるとともに、なんとも不快な気分にさせるような事案に明け暮れた1年に思われた。
第三者委員会の報告を受けても・・・
これらの不祥事事件を引き起こした組織は、多くのケースでは、著名弁護士をリーダーとする第三者委員会の立ち上げや利害関係のない法律事務所にそれらの不祥事の事実関係の調査を依頼する。調査結果を踏まえ、こうした組織はその社会的信頼の回復と法的なマイナス影響をできる限り縮減させるため、リスクマネジメントとして様々な方策をとる。すなわち当該不祥事の責任の所在を明確にするとともに、被害救済と再発防止策等を策定し、公表・説明することとなる。上記の各件での会見は、いずれもテレビで生中継されたが、その会見場においては、事態の隠蔽ともとられかねない組織責任者たちの姿勢や、会見を仕切る広告会社・顧問弁護士の稚拙さ、そして質問するマスコミ側の質の低さが露呈されるものであった。
ここで、これらの不祥事事件を改めて振り返ってみると、まず、ビックモーター(BM)不正請求事件は、修理費の水増しによる保険金の不正請求の疑惑から、損害保険会社の要請を受けた第三者委員会による調査の報告、そしてBM社の創業オーナーである前社長の記者会見のテレビ中継では、失言等もあり大きな批判を受けた。
故ジャニー喜多川による多数の少年たちへの性加害の問題では、一部週刊誌では被害者たちの告発から問題として報じられてはいたが、長年にわたって日本のメディアが無視してきたこの性加害の問題が、BBCの調査報道により国連人権委員会までもが動くに至った。こうした状況を受けた旧ジャニーズ事務所の依頼による第三者委員会の調査報告では、半世紀以上の長きにわたって数百人以上の少年たちへの性加害という驚愕の実態が明るみになった。
また、所属する一部の学生が違法薬物を使用した日本大学アメリカンフットボール部の事件では、大学の管理者への通報と大麻の確認時点から警察への通報までに2週間近く留め置かれ、検察出身の前副学長による隠ぺいとしか思えない工作の組織的関与が疑われた。この事件の以前、同じ日大アメフト部の悪質タックル問題に端を発した大学ガバナンス改革のために乞われて就任した作家理事長に対しても、管理対応の稚拙さに内部外部から批判が集中した。
そして、宝塚歌劇団の若い団員が陰湿な“いじめ”・過酷な労務環境により急逝したという悲痛な問題での記者会見では、大阪の大手法律事務所が主体となって調査したとされる報告書を、その親会社である電鉄会社の役員でもある歌劇団理事長はあたかも他人事のように読み上げるのみであり、華やかな舞台とはかけ離れたものを見たように感じられた。
組織の傲慢さと醜態さらすメディア
実際に、BM社の件では、他人事のような前社長の姿勢がテレビ視聴者には共感を得られず、更に、各店舗前の街路樹枯木・伐採疑惑(器物破壊容疑)、BM社と親密な一部の損害保険会社による不適切な事故査定等の疑惑と、次々と問題が噴出してきた感がある。
また、ジャニーズ性加害では、調査報告書の内容と旧ジャニーズ事務所としての対応を説明するために設けられた2回にわたって記者会見が設けられたが、事務所側の認識の甘さと質問するマスコミ側の質の悪さから混乱をきたし、宝塚でも事実関係から目をそらした歌劇団幹部たちの責任回避と組織防衛に終始していた。こうした会見で生中継されたテレビ画像では、マスコミサイドも醜態を晒したとしか思えなかった状況であり、特に、ジャニーズ性加害に対する長年にわたる“メディアの沈黙”と第三者委員会報告書で批判されたNHKをはじめとするテレビ各社は、自主検証と称する番組の放送と、旧ジャニーズ事務所所属のタレントたちを出演から排除することで、事態の鎮静化を図っているようさえ思えた。
これらの記者会見では不祥事行為の当事者でなく、管理監督責任を問われた者により説明されるが、肝心な時には沈黙し落ちたものは徹底して叩こうとするメディア・マスコミによって、一方的に追い詰められる姿があった。いずれのケースもそれまでの組織の傲慢さが問われたものではあるが、一方において、テレビの前の私たちも、感情的で低質なメディアに振り回されなることなく、事実を冷静に認識したうえで、被害の救済、組織の再建を見守っていこうというスタンスを持ち得なければ、弱りつつそして寛容さを失いつつある日本の社会がますます委縮していってしまうのでは、と自戒するところである。