熊本市と仏エサンプロバンス市友好都市契約10周年記念行事に参加
元東海大学教授 小野豊和
熊本市とフランスのエサンプロバンス市が友好都市契約を結んで10年。5月末にソフィー・ジョワサン市長以下4名が熊本に来られた。熊本城に三色旗カラー照明をあてて歓迎。熊本城、水前寺公園、阿蘇などを案内したが、特に先進的な小学校の取り組みに注目。一人ずつタブレットを持ったDX教育とグループ学習に興味を持たれた。阿蘇山の伏流水が水源の熊本市では、飲み水もお風呂も同じ水と聞き驚いたとも言われた。歓迎レセプションでは、能楽師・狩野了一師が能を披露。熊本市最終日には熊本日仏協会の少人数の仲間と密なお別れの会を開催し再会を誓った。
9月15日から、ラグビーワールドカップ観戦を兼ねてエクサンプロバンス市を訪ね歓迎を受けた。まず市長舎を訪問。二階の貴賓室には市の職員だけでなく、エクサンプロバンス市のラグビーシニアチームメンバーも参加。盛大な歓迎を受けた。ジョワサン市長と再会の約束を果たし、以下来熊の御礼を述べた。
『星の王子さま』の翻訳者・内藤濯は熊本出身
140年前の1883年に熊本で生まれた内藤濯が、東京に出て第一高校(後の東京大学)でフランス語の学び、1922からパリ留学中に、初めて能舞台を成功させ、レジオンドヌール勲章シュバリエを受章した。1943年にアメリカで出版されたオリジナルの『Le Petit Prince』を手に入れるが、リズミカルな文章に触れた『チボー家の人々』を翻訳した山内義雄から内藤君以外に相応しい翻訳者はいないと推薦を受け、『星の王子さま』として岩波少年文庫から出版する。日本では老若男女に親しまれ600万部を越えるベストセラーとなる。
『星の王子さま』は平和を願う書で、バオバブの根がからみついた地球の絵は、当時の枢軸国(日独伊)の覇権争いを示し、第二次世界大戦勃発の原因を象徴している。翻訳手法は部屋に籠もって辞書片手に行うのではなく、大声でフランス語を読み上げ韻を確認し、相応しい日本語を思い浮かべる。日本語文案が決ると、今度は大声で日本語を繰り返し読み上げ韻を確認する。こうして内藤濯が生まれ育った熊本弁で強調される訳文が完成する。2005年、著者サンテグジュペリー没後60周年に、熊本日仏協会として県立図書館の庭に「星の王子さま・内藤濯記念碑」を建立。さらに2019年に日本郵便が二種類の「星の王子さま」記念切手を発行した…。(以上をレセプションの挨拶で述べた)
今回、エクサンプロバンス市の歓迎に対して、記念切手を入れた額と日本語版『星の王子さま』(岩波少年文庫)を贈呈した。1992年に熊本市在住の能楽師・狩野丹秀師(故人)がエクサンプロバンス市に総檜の能舞台を寄贈した。市の中央部にある日本庭園を訪ねると、「テアトルNO」の標識の奥の大きな建物の中に能舞台が鎮座していた。まさに熊本市とエクサンプロバンス市が友好都市として手を結ぶきっかけとなった現場だ。
印象派画家ゼザンヌが生涯を過ごした地
エクサンプロバンス市の人口は15万人で三分の一の5万人は全国や世界から集まった大学生(留学生)。来熊の時、大西市長とのトークセッションで、ジョワサン市長は「子育てがしたくなる街づくり」について話された。教育面では文化を尊重する姿勢があり、社会福祉も充実していて、子育てに対する施策も素晴らしい。印象派画家ゼザンヌが生涯を過ごした地で、不朽の名作「ヴィクトアー-ル山」が聳える小高い丘はロゼワインの産地でもある。
南仏のプロバンス地方の中でも水が豊富で、AIX-EN-PROVENCEのAIXとはアクワ(水)を意味し、地下に多くの水源があり、阿蘇の伏流水が熊本市民の水道になっているのと同じように水に恵まれている。プロバンス地域は独立心が強く、フランスでありながらフランスでないとも言われる。マルセイユ港から見える標高160メートルの丘にある守護の聖母教会は、第二次世界大戦でドイツ軍の砲撃を受け、壁には1944年8月15~25日に砲弾を受けた傷跡が残っていた。
熊本のシニアチームとのラグビー友好試合はフランスチームの公式練習スタジアムを使わせていただいた。ピオリーヌ城での歓迎晩餐会ではプロバンス地方の収穫祭の踊りを披露。日が変わるまでフルコースの食事を楽しみながら歌っ
たり友好を確かめ合った。今回の歓迎に対して市から4000ユーロ(60
万円強)の助成をいただいた
。ニーススタジアムで開催の「日本・イング
ランド」戦を観戦。公式発表の観客3万500人
の半分は日本チームを応援する赤
縞のシャツで熱狂的な応援合戦に参加したが12対30で大敗、善戦むなしく…残念。(写真参照)
なお、今回の訪問はプレイベントで、9月末から大西市長を中心に市議会メンバーなどがエクサンプロバンス市を正式訪問する。