迷惑をかけあって生きる権利
街角ウォッチャー 金田麗子
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に、違和感があるというコラムが目に留まった。「そこがあなたの場所だから頑張れ」とは自己責任論と地続きだ。「置かれた場所」ではなく「選んだ場所」で咲こうが咲くまいが自分らしく生きていける、誰もが等しく大切にされる社会を目指したいという趣旨だった。
「選んだ場所」で自分らしく生きる自由を奪われてきた人達がいることを、痛感することが続いている。
「大声」はお互い様
私は精神障がい者グループホーム(以下GHという)で働いているが、入院か退所か迫られている利用者がいる。50代のAさんは、20代で統合失調症を発症。これまで16回入退院を繰り返している。親族はなく病院と救護施設を転々としてきた。
普段はにこにこしているが、突然窓を開けて大声で叫ぶ。「どうしたの?」と聞くと、「なんでもないよ」と落ち着いた態度に戻る。日に数回繰り返す。運営団体側が病院と相談、薬が増えた。彼女は「薬を飲んでも治らないし、この薬を飲むと動けなくなる」と拒否し強く抵抗したらしい。しかし、理事会側は、医師の処方した通りの服薬と外に向かって大声で叫ばないことが守れないなら、入院あるいは退所すると誓約を迫った。
Aさんの大声で叫ぶ症状がどこからきているのか、そもそもはっきりしない。知的障害の手帳も持っているが、知的障害の支援を受けた記録は殆どない。私は以前知的障がい者のGHで働いていたが、発達障害や自閉症の人など、感覚過敏、聴覚過敏、不安ストレスが原因で大声を出す利用者がいた。
病院側が、薬についてAさんの不安に答えないこともおかしい。統合失調症の薬についての「薬物治療ガイドライン」が昨年改訂されたが、作成過程に患者、家族が参加している。多くの患者が向精神病薬の有用性、副作用、生活と治療の両立の悩みを抱えていることがわかっている。
Aさんは追い出されるのではという不安で、落ち着きがなく表情も険しくなってきたが、職員と協力しAさんへの話しかけを続けると、おしゃべり好きのAさんも笑顔が戻って来た。
この施設は以前も大声を出す利用者を退所させてきたようだ。その背景として近隣からの苦情が上げられる。精神障がい者のGHに対する近隣のまなざしは、決して温かいものではない。ピザの出前をしたら、「税金で生活しているのに贅沢」と言われた。だからピザはスタッフが直接購入に行く。
確かに密集した住宅街で、時々Aさんが怒鳴るのは目立つだろう。しかし、自分の周りで大声を出している人は皆無だろうか。私の母はアルツハイマーでよく怒っていた。近所で同様の声も聞く。知的障がい者の通所先や施設があるので、駅周辺の路上で大声の人に遭遇する。学校、公園、保育園が近いから喧騒の中で暮らしている。本来街はそういうものではないか。
問われるのは企業のマネジメント力
朝日新聞が「発達障害は『わがまま』?」という連載を行っていた。(2023年6月)就労している発達障害の人の中には、感覚過敏で音が気になる人もいて、席の配置などへの配慮や、疲れやすい人には途中休憩などが必要だし、困っていることの言語化が苦手な人もいる。発達障害の人の就労支援をする企業、「kaien」の担当者が、「障害の有無に関わらず、一人一人が働きやすい環境を整えることの延長線上で、マネジメント力を向上させる努力を企業はしてほしい」と語っていた。
厚労省によると(2023年4月)、障がい者が働く場や業務を企業に提供する「雇用代行ビジネス」23法人を企業約1千社が利用し、法人が運営する農園全国91か所で6600人の障がい者が就労しているという。
「障害者雇用促進法」に基づき、一定規模以上の企業は法定雇用率(2.3%)以上の割合で障がい者を雇用することが義務付けられている。2021年時点で達成済みの企業は全体の半分弱。農園モデルは職場環境整備もせずに雇用、健常者と隔離して、企業本来の業務とは別に就労させ、収穫物も市場に出さない。単に法定雇用率を形式的に満たす脱法行為で、障がい者差別そのものだ。
多様な人々が就労する場を作る努力を企業が放棄している。「kaien」の担当者の指摘である、マネジメント力の放棄でもある。
GHのCさんは、20年ぶりに一般企業に障がい者雇用枠で就労した。彼自身自分の意思がうまく伝えられないし、相手が何を求めているか理解できない。しかし就労移行支援事業所による継続した支援を受け、企業側とCさんのコミュニケーションをサポートしてもらっている。不安や恐怖心の強いCさんは安定して就労できている。
迷惑をかけあって生きることは我々の尊厳
障がいがある人だけでなく、コミュニケーションのサポートはすべての人にとって魅力的だ。お互いに生きやすい関係、環境を作るだろう。
障害当事者運動の研究をはじめ、障がい問題について研究発言を続け、先日亡くなった立岩真也氏は語る。
―迷惑をかけないことを他者に要求することは、「周囲は他者に配慮するはずだったのに、負担を逃れられ楽になってしまい、自らの価値だったはずのものを自らが裏切ってしまう」(「介助の仕事」(ちくま新書)、「希望について」(青土社))
迷惑をかけあって生きることは、我々の尊厳である。