成長戦略第3弾と21世紀の産業革命“Industrie 4.0”
グローバル産業雇用総合研究所所長 小林 良暢
安倍内閣は成長戦略の第3弾「日本再興戦略2015」を閣議決定した。アベノミクスが始まって3年。景気を回復軌道に乗せることに成功したものの、日銀の「物価目標2%」は未達成なままで、「経済の好循環」も未だ道半ば。かえって労働力不足が顕在化して成長戦略の足かせになって、日本経済の潜在成長力は未だ1%以下に止まったままだ。「成長戦略」第3弾は、こうした安倍内閣が抱える難題を突破するためのものだが、期待通りにいくのだろうか。
今回の成長戦略でまず目につくのは、「第4次産業革命」という言葉である。曰く、迫り来る変革への挑戦「第4次産業革命」、 IoT・ビッグデータ・人工知能を統合した「第4次産業革命」、さらにこうした未来投資による生産性革命に手をこまねいていると、「企業や産業が短期間のうちに競争力を失う事態や、高い付加価値を生んできた熟練人材の知識・技能があっという間に陳腐化する」と、危機感をあらわにする。
「第4次産業革命」とは、17世紀の英国で起った石炭と蒸気機関を活用した産業革命が第1次で、アメリカが20世紀の初頭に「T型フォード」の製造工場で電気エネルギーとベルトコンベアーを駆使した大量生産方式が第2次産業革命。さらに1980年代に日本がリードしたコンピューターとロポット技術を駆使した工場のマイクロエレクトロニクス(ME)革命が第3次産業革命。そして現在、 IoT (Internet of Things)」すなわち工場ラインや流通販売の市場、さらには消費者のビックデータを世界的規模で繋ぐ究極の自動化生産システムの時代に入りつつあり、これを「第4次産業革命」と呼ぶ。
この「第4次産業革命」は、ドイツが国家戦略として“Industrie 4.0”に最も力を入れており一歩先行、アメリカもインテル、シスコ、GEやグーグルなどが世界の最先端機械工学、ロボット、情報テクノロジーがM&Aで世界覇権の基盤構築をめざしている。中国はGDPでアメリカを凌駕する2040年代から50年代に狙いを定め、第4次産業革命による製造業の高度化をめざす行動計画を策定したばかりだ。日本は産業用ロボットやセンサー技術、電子部品で世界に誇る技術を有しながら、IoTのような統合システムで後れを取っている。
「第4次産業革命」を担う「働き方改革」
当初、新成長戦略の柱は労働市場改革だった。だが、その目玉として検討してきた「働き方改革」が見送られ、中味も乏しい女性の活躍推進にすり替ってしまった。女性の活躍推進を言うのであれば、専業主婦1000万人を「ママノべーション」でパワーを発揮する戦略を用意すべきだ。1000万人もの女性パワーを労働市場に呼び込むには、「2割職安」と揶揄されてきたハローワークでは到底無理で、人材紹介サービスや派遣会社の機能の活用が不可欠。最近アラフォー女性や主婦向けに特化した“しゅふJOB”とか“はたらこねっと”などの新手の人材サービスが登場しているが、これと連携した「ママノミクス」を早急に手掛けることを安倍内閣に提案したい。だが、たとえ主婦パワー1000万人の「国家総動員」に成功したとしても、日本経済の潜在成長力アップに結び付けるには、働く現場で彼女たちをその気にさせないと出来ない。
OECDの調査によると、日本の労働者の単位労働時間当たり労働生産性は、2013年で41.3ドル(4,272円)で、これはOECD加盟34カ国中で20位である。主要先進7カ国では、米国(65.7ドル/第4位)の3分の2程度に止まっており最下位。せいぜいフランス(61.2ドル/第8位)、ドイツ(60.2ドル/第9位)並みになりたいものだ。政府は、センサーや人工知能(AI)を内蔵した「アシモ君」などの2足歩行ロボットの開発促進を通じて、労働力不足を補い生産性の向上で世界をリードしようとしている。しかし、「ひと型ロボット」の
ようなものでは世界に通用しない。
今、我が国の経済社会の最大の政策課題は、正規と非正規の賃金格差と増大する貧困層の問題で、これらをまずもって今度の成長戦略の俎上に載せるべきだ。なぜならば既に非正規労働者が全就業者の4割に達し、今や工場やショップの現場は派遣やパートなしでは動かないからである。かつてカイゼンや提案活動、3S・5Sなどで要素生産性の高さを誇ってきたが、これは現場の労働者すなわち当時は正社員の協力と知恵が生かされたからだ。
ところが、現在は女性パワーや派遣労働者、期間社員、限定正社員などの広義の非正規労働者、すなわち、いわゆる“ジョブ型社員”が現場を担う時代になっており、この現場で単位労働時間の一人当たり労働生産性を向上させるには、「第4次産業革命」の実行と併せ、その革命を担う人たちの「均等待遇」の実現という「働き方改革」を通じてしか実現の道はないのではないか。