日誌


2022/01/10

POLITICAL ECONOMY第207号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
ケアを与える人たちを支える社会に
                    街角ウオッチャー 金田 麗子

 妊娠がペナルテイになるという記事がずっと気になっていた。自宅で突然流産や死産をしたが、医療機関にかかる費用がなかったり、孤立出産での死産にショックで動けず、自治体や医療機関に対応を相談中に、逮捕拘留された事例が続いているという。(「朝日新聞」2021年11月21日付け)

 流産の事例は、生理不順で妊娠に気が付かず、未明に腹痛で血の塊が出た。朝になって人の身体の一部に見え流産と気づいた。痛みと経済的な困窮で受診できないまま、胎児の扱いを自治体に相談している最中、夫婦とも逮捕された。妊娠4か月の胎児だったから、「墓地埋葬法」で葬祭義務があるためだ。不起訴にはなったが、実名で報道されたこともあり二人とも職を失ったという。

 孤立出産は、父親にあたる男や家族の協力が得られず、医療機関にもかかれず中絶も出来ず、追いつめられ自力で出産し、死なせてしまうケースが多い。後藤弘子(千葉大)は「日本の刑事司法の現場は女性のリアリテイに対する発想が乏しい。妊娠流産すること自体がペナルテイととらえかねない。堕胎罪や死体損壊罪の規定を女性の性と生殖の健康の権利関係でとらえなおすことが必要」という。

 妊娠はいつでも流産や死産と隣り合わせで、突然自宅や路上で始まる場合もある。母体そのものも命の危険が付きまとう。その上妊娠に伴う費用は高額で、医療機関にかかれない場合もある。見えないものとされてしまっている女性のリアリテイ。

近代自由主義は「男らしさを」称揚する文化

 小川公代(「ケアの倫理とエンパワメント」(講談社)他)は、「人間であれば誰しも現実的に、潜在的に脆弱性を抱えて生きている。合理的で自立し、自己決定能力を有する強い個人を前提とする近代自由主義は、『男らしさを』称揚する文化だ」と喝破する。

 無事出産しても「子育て罰」という言葉がある。「チヤイルドペナルテイ」=子育てをする保護者は、そうでない人に比べて賃金が低く、貧困に陥りやすいという概念を、桜井啓太が訳出した言葉である。桜井と共著(「子育て罰『親子に冷たい日本』を変えるには」(光文社新書))を出した末冨芳はさらに「子育て罰」とは、親、特に母親に育児やケアの責任を押し付け、父親の育児参加を許さず、教育費の責任を親だけに押し付けてきた日本社会のありようそのものと定義している。2017年の日本の教育費への公的投資はOECD加盟国の下位なのだ。「親負担ルール」のプレッシャーでは、「子どもを持たない方が合理的だ」という判断がうまれても仕方ないという(「潮」3月号)。

 「ケア・ペナルテイ」について、岡野八代は(「美術手帖」2月号、「世界」1月号)の中で「人間は誰かに一方的に依存しなければ生きていけない時期が必ずある。無力な子どもとして生まれ、病気になったりケガをしたりもする。高齢になれば衰えて誰かの助けがいる。
 ケアとは、他者の手を借りなければ自らの生存に必要な活動に困難を抱える人達のために、生きるために必要なものを満たす活動、営み、実践である。誰もがケアを必要としているのに、ケア活動の多くは無償で、有償でも低賃金である。ケア労働を主に担っている女性は『二流市民』扱いされ、介護士・保育士などケアを担う人は社会的地位や賃金が低い。これを「ケア・ペナルテイ」と呼ぶと指摘する。

社会を維持するために不可欠なケア労働

 岸田政権は、介護・保育・障がい福祉分野で働く人の賃金を3%引き上げるとしたが、斎藤なを子(きょうされん理事長)によると、障がい福祉人材の賃金は平均月29万5000円(手当・賞与・残業代も含)で、全産業平均35万2000円を大きく下回る。新卒の初任給手取りは20万円にも満たないから、5年以内の離職率が多い。「障がい福祉の職員の労働条件は、障がいのある人の人権水準とコインの裏表、障がいのある人の人権はこの程度でよいということだ」(「朝日新聞」1月14日付け)という。

 森山美知子(広島大学大学院教授)は「看護師の仕事の医師の診療補助以外の部分、呼吸や食事、排泄、体を清潔に保つといった全身管理など、患者が支障なく療養するためのケアの熟練技術が診療報酬では十分に評価されていない。多くの合併症は看護ケアで防ぐことができるのに」(「朝日新聞」1月12日付け)という。

 白崎朝子(「Passion ケアという『しごと』」(現代書館))によると、排便や排尿の常態の観察も、利用者の健康状態を知る上で重要な仕事。そのためにトイレや風呂の掃除は必要不可欠なのだが、家事労働への不当な差別意識から「下働き」扱いされることが多いという。

 人間の存在を維持するために、さらに社会を維持するために不可欠な「ケア労働」が評価されないことの理不尽さを痛感する。ケアを与える人達を社会全体で支えるシステムが必要だ。岡野八代の言うケアを社会に行き渡らせることが、「民主主義の中枢的課題」なのだから。

家事支援はケア労働と認識されていない

 私の職場は、精神障がい者のグループホームだが、食事後おなかが痛くて、電車やバスなどの交通機関利用が不安と訴える人がいた。しかし施設ではずっと精神的な不安定が原因とみなされてきたらしい。ある日風呂掃除をしていて、風呂場に便を落としていることを見つけた。彼だった。内科を受診に職員が同行しやっと内臓疾患があることが判明。投薬治療の結果かなり改善された。

 別な人は失禁が続いていることが判明。これはトイレ掃除で発覚。洗濯物をみると下着シャツやパジャマどれにも大きなシミがある。内科や脳外科の受診同行で様々な疾患が判明、治療につながった。

 いずれもトイレや風呂の掃除、洗濯などの家事支援がなければ判明しなかった。これまではあまり重要な仕事と認識されず、利用者の症状もすべて精神の病理の範囲と思いこんだ対応だったようだ。そのため発覚が遅れた。

 白崎の経験にあるように、介護現場の職員自身さえ家事支援を重要なケア労働と認識できていない実態がある。


14:05

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告