日誌


2016/11/30

POLITICAL ECONOMY 第83号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
「支援の箱」から地域へ、支援の転換

                                  まちかどウォッチャー 金田麗子

 私の職場は、知的障害者のグループホームであるが、このところ頻繁に「助けて」と駆け込んで来る女性がいる。母体である通所作業所のメンバーのAさん。20代のAさんは、父親が怖いと訴える。身体的暴力はないが、大声で罵倒など精神的暴力が原因だ。

 「家は安心できないよ」と語るAさんは、グループホーム入居を希望しているが、どの施設もすべて満室で入れない。

 以前、ある男性のメンバーが家族から暴力を受けていて、緊急に他の法人運営のグループホームを利用していたことがある。このように、家族からの身体的暴力。威圧や罵倒、無視、無関心などの精神的暴力は、団体の作業所やホーム利用者の周辺でも起きている。 障害者に対する、肉体的精神的暴力は許されないことは当然だ。しかし、そもそも大人になった彼らが、地域の中で、安心して独居生活できる場が得られないことが最大の問題なのではないだろうか。

 相模原事件の現場になったような大型障害者施設ではなく2006年施行された「障害者自立支援法」により国は、施設から地域での生活に移行する施策として、障害の程度によりグループホーム、ケアホームの利用を促進した。

 さらに、2013年施行の「障害者総合支援法」により、2014年4月からグループホーム、ケアホームの一元化と、独居生活を希望する人向けに、サテライト型住居の設置を進めてきた。

 しかし私の職場では方針として掲げているものの、サテライト型住居の設置は進んでいない。住居確保が難しいためだ。厚生労働省の調査でも、2014年時点で知的障害者のサテライト住居利用者は191人しかいない。

支援者が主人意識を持ってしまう施設

 住居確保の実効性を高める施策が必要と言えるが、一方でグループホームにおける支援の在り方を見直す必要があると思う。「無理。職員がいないと一人は無理」職場で、利用者たちに独居生活を希望するか聞くと、全員即答した。彼らはもう13年もグループホームを利用しているのに。居心地が良い施設だと勘違いしてはならない。13年かけて「自分は一人では暮らせない」と彼らに思わせるような、間違った
支援をしてきているのだ。

 グループホームやケアホームは、指導や管理が目的ではない。施設の小型版ではないと定義されている。私の職場でも、危険でない限り彼らの行動を制限してはならないと掲げられている。しかし共同のスペースがあり、共同の行動があり、他の利用者との関係性があり、管理されないなんてことは現実にはありえないのだ。見守りと言う名の管理体制にある。

 利用者は一人ひとり、好きなことがある。朝窓を開ける。体操をする。歌いたい。好きなテレビが見たい。洗濯が好き。記録好き。

 でもすべて時間が決められ、抵抗すると「ルールを守らない」と叱られ、ご飯も盛り切り。お菓子は事務所管理で没収。パンは何もつけるな。健康のための支援というが、了解を得ない支援は、刑務所と一緒だろう。

 利用者の自己決定権と支援といいながら、施設側が提供したい支援メニューを押し付ける。行動記録が好きな利用者が、一日の行動を記録する時間に、料理を経験させると言われ抵抗した。それなら記録の時間を短縮するためパソコンでフォーマットを作り、料理時間を確保しようと言い出した職員がいた。本人は善意のつもりだ。

一人で生活する自信につながる支援 

 なぜこうしたことが起きるのか。支援の箱である施設に利用者がいるからである。支援の箱にいると、支援者が主人意識になってしまう。ルールの王になってしまう。

 私は以前、民間の婦人保護施設で働いていた。現在婦人保護施設は、広義の意味でのホームレスや、暴力被害者やその子どもなどが利用している。その中には、知的障害者、精神障害者の利用も少なくない。施設利用10年、20年と長くなる人も多い。

 良い施設、良い支援は、利用者自身が、一人で生活する自信につながる支援を行うことだと思う。管理されることへの依存や、無力感が育つような支援はしてはならない。ところが「支援の箱」にいると無自覚になる。支援ではなく、他者を支配する行動に陥ってしまう。私自身痛感している。

 利用者が一人で住む家に訪問して行う支援は、支援者にとって、あくまでも自分はサポート側であることの自覚を促す。障害者だけでなく、高齢者も、婦人保護施設など施設利用者も、なるべく早く地域で、在宅で必要な支援を受けられるように、また自ら支援を選択できるように、住居の確保や支援の在り方の転換が必要だ。

12:37

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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