日誌


2023/04/08

POLITICAL ECONOMY第237号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
オフレコ報道とリーク、記者は社会の木鐸たり得るか
                     元東海大学教授 小野豊和

 内閣府の荒井秘書官のオフレコ発言を巡り、ルール優先か国民目線優先かで判断が分かれた。

 事の経緯は、2月3日夜、首相官邸でオフレコを前提にした取材に対して荒井勝喜首相秘書官が、LGBTQなど性的少数者について「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」と述べたほか、同性婚制度の導入について「社会に与える影響が大きい。マイナスだ。秘書官室もみんな反対する」などと発言した事に始まった。

 現場にいた毎日新聞政治部記者が、一連の発言を首相官邸キャップを通じて東京本社政治部に報告。本社編集編成局で協議した結果、荒井氏の発言は同性婚制度の賛否にとどまらず、性的少数者を傷つける差別的な内容であり、岸田政権の中枢で政策立案に関わる首相秘書官がこうした人権意識を持っていることは重大な問題だと判断した。オフレコ情報であり、荒井氏に実名で報道する旨を事前に伝えた上で、3日午後11時前に記事をニュースサイトにアップした。その結果、荒井秘書官が謝罪撤回したのを受けて各社も一斉に報じ、翌朝には首相も「言語道断」だと荒井氏を更迭せざるを得なくなった。

オフレコ取材のルールは絶対的なものか

 この件に関してある研究会で元読売新聞記者と論争になってしまった。私個人としては、「たとえオフレコというルールがあったとしても、国民目線で考えるなら新聞紙面に事実を掲載して国民に知らせるべき」と主張したが、元記者は「あくまでもルールはルール、許されない」との考えを曲げなかった。

 一般論として「オフレコ」とは、オフザレコードの略で記事にしないという約束で話すこと。ニュースソース側と取材記者側が相互に確認し、納得した上で、外部に漏らさない事など、一定の条件のもとで情報提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない「取材源の秘匿」、取材上知り得た秘密を保持する「記者の証言拒絶権」と同次元のものであり、その約束を破らないという道義的責任がある。

 新聞・報道機関は、社会の木鐸と言われるように、国民・読者の知る権利に応えることを使命としている。オフレコ取材は、真実や事実の深層、実態に迫り、その背景を正確に把握するための有効な手法で、結果として国民の知る権利に応える重要な手段でもある。荒井秘書官の場合、掲載する事を伝えたとは言え、ほぼ同時刻にネットにアップしたことはリーク(漏洩)の記事化で、いち早く独占的に掲載するスクープ(特ダネ)は他紙のやっかみを買うことになった。しかし、謝罪会見が先となり、他紙やテレビが後追いで掲載・報道したことで、任命した総理としてもルール違反を攻めるよりも、内輪の問題の解決を急いだ。

 手段は異なるが、同じ毎日新聞の西山事件を思い出した。1971年の沖縄返還協定の取材で知り得た機密情報のリークだが、国会議員に漏洩したことで大きな事件となり、国家公務員法違反により最高裁で有罪判決が確定、外務省機密漏洩事件とも言われている。被告となった西山太吉氏は、一審判決後、記者を辞めて実家の九州で漁師となるが本年2月23日に91歳で亡くなった。

 1971年、第3次佐藤内閣が米国ニクソン大統領との沖縄返還協定に際し、公式発表では地権者に対する土地原状回復費400万米ドルをアメリカ合衆国政府が支払うとしていたが、実際には日本政府が肩代わりしてアメリカ合衆国に支払うという秘密電文を外務省の女性事務官から入手し「アメリカ政府が払ったように見せかけて、実は日本政府が肩代わりする」などと1972年に報道した。情報を得た日本社会党議員が国会で追及したことで佐藤内閣の責任が問われる事態となった。

 日本政府は密約を否定。東京地検特捜部は情報源の事務官を国家公務員法(機密漏洩罪)で、西山記者を国家公務員法(教唆罪)で逮捕した。報道の自由と知る権利の観点から、「国家機密とは何か」「国家公務員法を記者に適用することの正当性」「取材活動の限界」など大論争となった。外務省は密約の存在を認めたが、機密文書の存在を否定する一方で、東京地検の起訴状で「(女性事務官と)ひそかに情を通じ、これを利用して」と書かれた事から、世論の関心は男女関係のスキャンダルに転換し、密約自体の追及は頓挫し、毎日新聞は倫理的非難を浴びた。裁判は機密資料の入手方法に終始し、東京地検側から密約の真相究明は行われなかった。

 政府が否定した密約の存在については、時を経て2000年のアメリカにおける公文書公開で存在を裏付ける公文書が相次いで見つかり、当時の日米交渉の日本側責任者だった外務省元アメリカ局長の吉野文六氏も密約があったことを証言しているが、その後の控訴審で西山記者の汚名が回復される事はなかった。

論点をずらされた西山事件裁判 
  
 二つの事例はオフレコとリークと異なるが、国民の知る権利に焦点を当てるならば、社会の木鐸の役割を果たすため体を張った行為と思える。だた、西山事件では情報入手の手段が「女性と情を結ぶことで得た」ことで法令違反となった。法治国家における裁判の進め方は、機密情報の信憑性追求ではなく、手段の可否が問われ、マスコミ、特に週刊誌の関心事も裁判の行方を追うことになってしまった。西山記者の場合、日本社会党の議員に情報提供したことで隠されるべき情報提供者の実名が明らかになる予想外の事件に発展してしまった。

 情報公開法は、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、政府の保有するその諸活動を国民に説明する責務を全うするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的に法務省が進めているが、2012年、第2次安倍内閣は特定秘密保護法案を提出。同法案で処罰の対象となる「著しく不当な取材」について質問されると、森雅子国務大臣は「西山事件の判例に匹敵するような行為だと考えております」と答えた。正当な取材活動の範囲を逸脱する場合、報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでなく、秘密の正当性及び西山の取材活動について違法性と報道の自由が無制限ではない判例となった。


10:19

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告