日誌


2024/08/15

POLITICAL ECONOMY第268号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
日本初の生体肝移植から35年

       労働調査協議会客員調査研究員 白石利政

 毎年夏の初めに高校の同窓会報がとどく。会費納入の時期がきたのかと思いながらページをめくると、「特別寄稿 永末直文君の逝去に想う」が目についた。永末さんは島根医科大学(現島根大学医学部)の助教授だった1989年11月13日、先天性胆道閉鎖症の1歳男児(杉本裕弥ちゃん)に生体肝移植を国内で初めて、世界でも4例目の手術を行った医師である。

 移植を受けた(レシピエント)杉本裕弥ちゃんは、すでに2回の手術をうけ、移植以外に治療法がない状態にあり、家族も手術を強く願い、肝臓の一部提供者(ドナー)は父親だった。

 日本の臓器移植には1968年8月に実施された札幌医科大学での心臓移植が大きな影を落としている。レシピエントは手術後83日目に死去。脳死判定、手術とその後の経緯の非公開性などが問題視され、「快挙」が一転、同年12月には刑事告発された。

 島根医科大学の移植チームは40人(第二外科の医師全員、麻酔科・小児科・中央検査部・輸血部の関係医師と技師、手術室・ICU・病棟の看護婦など)。手術は15時間45分、札幌医科大学での心臓移植の経験を踏まえ、その後の経緯をも含め情報公開に徹した。なお、手術に必要な輸血の供血は医科大学の学生42人に頼み十分間に合った。手術は成功、一時は一般病棟に移れるまで回復したが手術から285日目に亡くなった。

その後の議論の出発点に

 裕也ちゃんの状態が悪化すると医学会やマスコミから今回の手術を非難する声が強まった。手術から8か月後に出版された中村輝久 監修 「決断 ― 生体肝移植の軌跡」(時事通信社1990年7月)で、永末医師は「決断―生体肝移植の軌跡」を寄稿し、「移植後、私たちに向けられたいくつかの疑間に答えたい。これはあくまで私個人の考え」と断って、7つの疑問(「健康な生体にメスを加え、肝臓の一部を切除することは倫理的に問題ないか、そしてこれが医療と言えるか」、「大学の医の倫理委員会に申請すべきであった」、「生体肝移植が一般化すれば、臓器提供ができない、あるいはしたくない親に精神的な圧力がかかり倫理的に問題がある」、「生体間移植が一般化すれば臓器売買のおそれがある」、「世界でまだ三例しか行われておらず、確立された安全な術式ではない」、「インフォームド・コンセントはできていたか」、「次のドナーを用意しないで肝移植を行うのはどうか」)を挙げ、それぞれについて見解を述べている。

 後々問題となった「大学の医の倫理委員会に申請すべきであった」への見解は次のとおりである。

 「『なぜ医の倫理委員会に申請しなければならないのですか』と問い返したい。…まだ安全性すらわかっていない新しい医療であるから申請すべきだとする考えは私にも理解できる。しかし、医の倫理委員会の役割は一体何なのだろうか。…今回の移植に関して、私たちは倫理的に何ら問題ないと考えたから申請しなかったのである。

 私は、倫理委員会が肝移植の技術的なことや適応などまで審議することは間違っていると思う。年々、進歩し、変わっていくこれらの事項は、専門家でさえその判断は難しい場合があるのに、専門外もいる医の倫理委員会の委員がどうして判断できるのだろうか。判断できないからこれまで何年も保留の状態できているのではないか。-…私は、各大学の医の倫理委員会が肝移植そのものの倫理性を迅速に審議して、早く結論を出してほしいと願っている」

 移植手術から4年後の1993年、杉本裕弥ちゃんの地元、岩国市医療センター医師会病院のロビーに移植手術への理解を深めてもらおうと、裕弥ちゃんの像が設置された。裕弥ちゃんは一度も立つことがないまま亡くなった。母親・寿美子さんの希望で立ち姿となり、二本の足でしっかり立っている(現在、一般公開はされていない)。

 生体肝移植施行から30年経った2019年12月、島根大学医学部に日本生体肝移植発祥の地として記念碑が建立された。背面には「平成元年(1989年)11月13日 島根医科大学第二外科(中村輝久初代教授)において永末直文助教授(のち第二外科第二代教授)執刀のもと、先天性胆道閉鎖症の1歳男児に対する父親からの本邦初の生体部分肝移植術が教室を挙げて成功裡に施行された。茲にその功績を称え末永く顕彰するものである」との碑文が刻まれている。

島根大病院でも35年ぶりに再開準備

 この生体肝移植手術が嚆矢となって今日の肝移植手術、ひいては移植医療の発展がもたらされた。肝移植の総数は1989年の開始以降、毎年着実に増加を続けている(図参照)。
 しかし、永末医師は1995年に島根医科大学の教授となり、2003年の島根大学との合併後は医学部長にも就いたが、大学の倫理委員会を通さなかったことへの反発が思ったよりも強く、生体肝移植を執刀する機会は二度と訪れなかった。その島根大学医学部付属病院で、年内にも35年ぶりの肝移植再開を目指して準備が進められている。

 移植にはドナーの問題がつきまとう。現在のところドナーには亡くなった人からの「脳死後の臓器提供」、「心臓が停止した死後の臓器提供(心停止後の臓器提供)」、そして健康な人からの臓器提供(生体移植)の3つがある。日本は他国に比べドナーの少なさが目につく。これには日本人の死生観なども影響しているといわれている。

 ドナー不足を補うため世界各地で再生医療や遺伝子改変等を行った異種(ブタなど)移植用臓器を用いた臨床研究も進められている。これらの次世代技術については、どこまで「許されるのか」など検討すべき課題は残っている。ビジネスが絡んでいるだけに複雑さを増す。

 しかしながら、臓器移植でしか助からない命がある。移植医療に対する市民社会の理解が追いつき深化することが求められている。


07:41

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

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これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告