日銀は金融正常化に向けた歩みを止めるな
経済ジャーナリスト 蜂谷 隆
8月初めの東京株式市場の大暴落は、日銀が金利を引き上げたためだとして一部に日銀叩きが出ている。「まだその環境にない」、「円高を招いた」等々。しかし、インフレ局面に入っている日本経済の現状を考えれば、金利引き上げを伴う「金融の正常化」は必要不可欠なはずだ。しかも行き過ぎた円安を是正し輸入物価を安定させ、個人消費を上向かせることは喫緊の課題だ。日銀がここで逡巡しては日本経済の先行きは暗い。
日経平均が8月2日(金)に2216円、続く月曜日の4日には4451円という88年のブラックマンデーを上回る大暴落を記録した。翌5日は3217円と暴騰、その後は乱高下を繰り返している。
株式市場の大暴落の要因は、確かに日銀が金融政策決定会合で政策金利を0.25%に引き上げたことであるが、それ以上に大きかったのはアメリカの雇用統計の悪化を受けアメリカ経済の先行きに懸念が広がったことだ。下落した株式市場は2日続けてパニックになってしまった。売りが売りを呼び最後は「狼狽売り」が生じ、歯止めが効かない事態となった。
「円安バブル」がはじけた?!
日経平均は2月21日に、バブル期の89年につけた最高値(3万8915円)を更新、7月11日には4万2224円まで上昇した。年初から8936円も上昇、上がり過ぎという評価から調整局面にあった。市場参加者は、いつか下落するのではとビクビクしていたので、ある意味では来るべきものが来たともいえる。
株高を後押ししたのは急激に進んだ円安だ。7月3日に記録したドル円相場は1ドル=161.9円である。これは年初に比べ12.6%、23年の年初に比べ23.2%も円安が進んだ。円安で輸出型企業の業績が上がり、株が上昇したのである。まさに「円安バブル」であった。
しかし、行き過ぎた円安で物価が高止まりし実質賃金は一向にプラスにならない。行き過ぎた円安是正に動けという世論は強まっていた。日銀の金利引き上げの実施は7月か9月というところまで来ていたのである。
そこで政治の動きがあった。岸田首相は7月19日、長野県軽井沢町での経団連での夏季フォーラムで「『金融政策の正常化が経済ステージの移行を後押しする』」と強調した。デフレから成長型経済に移ることで『金融政策のさらなる中立化を促す』」(日経新聞7月19日付)と発言している。
さらに自民党の茂木幹事長も7月22日の講演で、「段階的な利上げの検討も含めて金融政策を正常化する方針をもっと明確に打ち出す必要がある」(日経新聞7月23日付)と、踏み込んでいる。
9月は自民党総裁選がある。利上げは株式市場の下落材料となる。できれば9月は避けて欲しいというのが官邸や自民党の本音だっただろう。「この(岸田首相の)発言がゴーサインだったのでは」という政府関係者の見方をロイター(8月2日付)は伝えている。
いずれにしろチャンス到来と植田総裁は政策金利を0.25%に引き上げた。筆者はこの判断は正しかったと思う。物価上昇の高止まりで国民生活は疲弊し消費が低迷している。賃金が上がってもそれ以上に物価が上がれば消費は増えない。円安を是正し物価上昇を抑えることが第一義的課題だったことは間違いない。
利上げに対して株式市場は大きく反応した。金融引き締めは「タカ派」、緩和は「ハト派」と名付け、「ハト派」は株の押し上げ要因と考えるからである。しかし、日銀による金融政策は株式市場のためにやっているわけではない。
問題は株価暴落で息を吹き返したリフレ派だろう。円安は日本経済にとって千載一遇のチャンスととらえ、輸出を促進し得た利益を賃上げに向ければいいと旧態依然とした主張を行っている。利上げには消極的で量的緩和は継続すべしという考えである。7月の金融政策決定会合で反対票を入れた委員が2人いる。そのうち野口旭氏(専修大学教授)はリフレ派の論客として知られる。
そもそも大規模緩和とマイナス金利の異次元緩和政策は経済がデフレの時の政策で、インフレに移行した局面では有効ではない。事実、行き過ぎた円安は物価上昇を招き、消費低迷の大きな要因になっている。
個人消費は回復していない
8月7日に公表された6月の実質賃金がプラスとなった。さらに15日公表の4-6月期のGDP速報では、前期比年率換算実質で3.1%増となった。植田総裁はこうした情報を察知して、「行ける!」と判断したのかもしれない。7月31日の金融政策決定会合後の記者会見で「個人消費は物価上昇の影響などがみられるが、底堅く推移している。先行きは賃金・所得の増加が個人消費を支えていくと判断した」と楽観的な見通しを語っている。
しかし、4-6月期の実質家計最終消費支出は289.7兆円で、過去最高の14年1-3月期の303.7兆円を未だに超えていない(図参照)。14年1-3月期は消費増税前の駆け込み需要があったので、次の13年7-9月の297.9兆円と比べても劣っている。ちなみに実質家計最終消費支出が280兆円台になったのは、2005年7-9月期である。何と19年前のことだ。4-6月期の実質家計最終消費支出は前期比で1.0%増となったが、前年同期比では-0.2%だ。個人消費は回復したとはいえない。
まずは行き過ぎた円安を是正し物価を安定させることが先決だろう。そのためにも金融正常化の歩みを止めるべきではない。