日誌


2024/07/30

POLITICAL ECONOMY第266号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
オリンピックは万博の余興だった
                                 元東海大学教授 小野豊和

  パリで100年ぶり3度目となるオリンピックが開催された。開会式の行進はスタジアムではなく200を超える国と地域の代表が船に乗ってセーヌ川を航行し、エッフェル塔を臨むトロカデロ広場で開会宣言が行われた。コンコルド広場、グランパレ等に仮設観覧席を設けるなど9割以上が既存施設を活用する等パリならではの趣向は素晴らしい。

  近代オリンピックは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵が「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」と唱え、1896年に実現した。第1回はオリンピック発祥の地・ギリシャのアテネ大会。今回は第33回の夏季オリンピックとなる。エッフェル塔が建ったのは、近代オリンピックが始まる7年前のパリ万博で、産業技術の息吹を感じさせる最大の展示物だった。大航海時代(15世紀半から17世紀半)に、7つの海からヨーロッパに持ち込んだ動植物や標本を公開化する流れのなかで博物学が発達した。1789年に始まったフランス革命によってヨーロッパ諸国家には新しい資本主義が登場し、そのイデオロギー装置として出現したのが博覧会で、産業テクノロジーを基軸とした壮大なスペクタクル形式のうちに統合していく。こうした方向に先鞭をつけたのがフランスで、やがてヨーロッパ諸国へと広がっていく。この動きの集大成として1851年にロンドンで史上初の産業博覧会が開催され、その後、都市開催の万国博覧会として発展していく。

 1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会に続く3回のオリンピックは、万国博の余興として開催されていた。1900年の第2回パリ大会は、同年のパリ万博、1904年の第3回セントルイス大会は同年のセントルイス万博、そして1908年の第4回ロンドン大会も同年の仏英博と深く関係していた。そして、これらいずれにおいても、主役はあくまでも博覧会で、オリンピックは脇役的にしか注目されていなかった。オリンピックは、その後、第5回ストックホルム大会でようやく万国博から独立し、徐々にその規模を拡大していく。

オリンピックが国際イベントの中心に

 オリンピックと万国博とのこうした関係が逆転するのは、1936年のベルリン大会からである。この時、政権の座にあって既に3年を経過していたナチ総統のヒットラーは、ユダヤ人に対する残忍な迫害や、周辺諸国への侵略意図をカムフラージュしつつ、自らの「帝国」を神格化する格好の仕掛けとしてオリンピックを徹底的に利用していったのである。彼が行ったのは大会のスペクタクル化で、聖火リレーや表彰台、壮大なスタジアムの建設と、見事に演出された開会式など後につながるオリンピックの伝統が発明されていったのである。第二次世界大戦後になると、諸国家が覇権を競う国際的イベントとしては、万国博ではなく、オリンピックこそが中心的になっていくのである。

 万国博からオリンピックへの移行は、産業的技術から運動的機能への重心の移行で、20世紀の情報メディアの発達が不可欠な前提条件となっていく。事実、1936年ベルリン大会では、聖火リレーから開会式、競技までが詳細にラジオで中継されていた。そして、ベルリン大会とメディアとの統合を示したのが、レニ・リーフェンシュタインによる映画「民族の祭典」であった。博覧会が開催期間を通じて会場内に数千万人収容できたのに対し、オリンピックは各競技の直接の観客として収容できるのは10数万人程度であった。ところが、メディアを通じて全世界に同時に放送されることで、オリンピックは万国博よりもドラマチックな催しとして、人々の意識を強力に高めるようになる。つまり映像的および電子的なメディアの発達と浸透こそが19世紀と20世紀を分ける一つの決定的なメルクマールなのである。20世紀は、この近代のまなざしの場をメディアに代替させることで、地球規模のメディア・スペクタクルの時代を実現させていったのである。

商業スポーツへと発展

 オリンピックは開催国の威信を賭けた政府主導から、開催都市の民間企業を巻き込む商業スポーツへと発展していく。1976年のモントリオール大会で大赤字を出した教訓から、運営経費捻出のため、1985年のIOC総会でTOP(The Olympic Program)というマーケティングプログラムを導入する。オリンピックを技術的、資金的に支援するためのカテゴリー別パートナーシッププログラムで、冬夏セットで五輪マークを使用した全世界向け宣伝活動を行う権利と、VIK(Value in kind)という製品・サービスを、選手育成を目的に全世界のオリンピック委員会と五輪競技期間中の施設に提供できる権利が与えられている。コカ・コーラ、コダック、VISAなどと共に日本企業としては唯一パナソニックが初回から参加している。

 このプログラムに参加すると優先的に公式サプライヤーになる資格があり、パナソニックは1992年バルセロナ大会からOBS(オリンピック放送機構:開催期間中のミニ放送局)の元請け(公式サプライヤー)となり、30年以上にわたりオリンピック競技大会に対して、パナソニックのAV機器・サービスを提供することで、会期中のすべての競技等の国際映像の運営(取材・編集・発信)を行ってきた。また2014年10月に、日本企業として初めて国際パラリンピック委員会のワールドワイドパラリンピック
パートナーとなり、国際社会の平和と発展および、障がい者スポーツ(パラスポーツ)の振興・普及にも貢献してきた。こうした機器納入やパートナー活動を通じて、世界のトップレベルのアスリートたちの情熱、
緊張感、躍動感やそのパフォーマンスがもたらす感動を、会場だけでなく、全世界に届けてきた。

 なお、筆者はパナソニックの広報担当としてアトランタ大会(1996)、長野冬季大会(1998)の現場で取材対応した(写真参照)。   


12:59

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告