日誌


2018/12/27

POLITICAL ECONOMY 133号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
「赤ちゃんポスト」10年の歩み
                                                         元東海大学教授 小野豊和

  日本で1年間に生まれる赤ちゃんは約97万人。人工妊娠中絶による「望まれない命」は約18万人、2001~2007年における棄児(捨てられた子ども)は年に27~66件、刑事事件に関わる出産直後の殺人・殺人未遂・遺棄は年に7~13件、事件性が確認できないものを含めると年間100~300人の赤ちゃんが殺され遺棄されていると推測される。

 生まれてきた子どもに罪はない。生みの親が捨てる、殺そうとする赤ちゃんを保護する必要がある。こうした思いから日本列島の西の島の熊本に通称「赤ちゃんポスト」が誕生した。「こうのとりのゆりかご」を始めた慈恵病院に10年で130人の乳児が預けられた。預ける窓口に「匿名で預けずインターホンで相談してほしい」と書いてある。扉を開けて赤ちゃんを置くか、インターホンで相談するかで赤ちゃんの運命が決まる。インターホンで相談があった場合、病院が主体となって特別養子縁組を探す。相談なしに預けられた赤ちゃんは児童相談所扱いとなり乳児院暮らしとなる。赤ちゃんを置くベッドには後から親が連絡を取れるよう番号を付けた手紙が置いてある。

 預けた親は一目散に走り去る者、立ち竦んで泣き崩れる者、車に戻って泣き崩れるカップルなど様々。預ける理由の第一は「生活困窮」、次いで「未婚」「世間体・戸籍」と続く。九州のある地域では、価値観の違いからか父親のいない子を持つと社会からつまはじきにされ生きていけない。

 預けられた130人の遺児の中で相談があった47人は特別養子縁組が成立した。特別養子縁組は戸籍上実子扱いでまさに無償の愛による家族といえる。

10年で294件の特別養子縁組成立

 「こうのとりのゆりかご」設置と同じ頃に「SOS赤ちゃんとお母さんの相談窓口」を設け、こちらは10年で294件の特別養子縁組が成立した(表参照)。
 

Baby Boxは世界的潮流

 赤ちゃんポストを欧米ではBaby Boxと呼んでいる。ドイツではBaby Boxが93カ所にあるが日本は熊本に1つだけ。日本に馴染まない理由は宗教の違いかもしれない。Baby Box、児童養護施設はキリスト教系社会に多く仏教系社会には少ない。仏教は自助努力の宗教で、生きているこの世は本質的に苦しみばかり。死んだ後はまたどこかで生まれ変わり、そこでも同じような苦しみが続くという輪廻の思想で、誰からも助けてもらえず永遠に苦しみの海で漂うしかない。そういう絶望的な状況から抜け出す一つの方法は精神集中の力によって自分の心の中の悪い要素(煩悩)を消し去ることで修行の大切さを説く。

 日本では、自己責任、自助努力、自業自得、因果応報の思想がありBaby Boxは広まりにくい。予期せぬ妊娠をした女性を助けるというよりも責任と努力を求める空気がある。キリスト教は「罪を許し助ける」宗教だ。聖書には、姦通の罪を犯した女を石打ち殺そうとする律法学者やパリサイ派に対して「あなたがたの中で罪の無い者が、まずこの女に石を投げつけるがよい(ヨハネ8章3-7)」と書かれている。また、自分の身に降りかかる危機を顧みず敵対関係にあるユダヤ人を助ける善きサマリア人(ルカ10章25-37)の話がある。

 キリスト教は社会正義を追求するが、仏教は心の平安を求める。キリスト教は社会正義、福祉などの分野で力を発揮しそこに解決を見出す。南アフリカでは、ひと月に約300人の子どもが捨てられている。この数字は生き残った子どもの数で全体はさらに多い。ヨハネスブルグでは3人に2人は死亡後に発見される。捨てられた子どもの65%は新生児、90%は一歳未満、赤ちゃんポストを「希望のドア」と呼んでいるが18年間で1600人以上の赤ちゃんが預けられている。日本は憲法24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】で家族を重んじるとし、生みの親が自分の子を育てるという考え方が強い。政府は育児放棄を認めたくないためか「こうのとりのゆりかご」に反応してくれない。

 慈恵病院の産婦人科はひと月に150人の出産に対応できる能力があるが、「こうのとりのゆりかご」の年間経費は約2000万円。500~600万円は寄付で賄うが1500万円は赤字。熊本市の指導で設置している24時間フリーダイヤルの経費は月70万円。どのような場合でも生まれてきた子には何の責任もない。子は神様からの預かりものと考え理事長以下今後も事業を続けていくと言っているが、資金援助も必要なので「こうのとりのゆりかご基金」を開設した。                                  


10:41

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告