日誌


2022/09/12

POLITICAL ECONOMY第222号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
暴れモノとの付き合い方

                             労働調査協議会客員調査研究員 白石利政

 「ティラノサウルス(tyrannosaurus)は強い肉食恐竜だよ」、これは恐竜の発掘を夢見る孫の話である。語源は古代ギリシャ語の「暴君」と「とかげ」ないし「爬虫類」の合成語とのこと。日本語では暴君竜となる。白亜紀の代表的肉食恐竜らしい。この「暴君」がらみで、ふとtyranny(暴政 専制政治 圧制 暴虐)という単語が頭に浮かんだ。最近、目にした二冊の本の表題にあった。

社会の絆を修復し尊厳を回復

  その一冊は、ハーバード大学の政治哲学者、マイケル・サンデルの「実力も運のうち 能力主義は正義か」(早川書房 2021年。原題はThe tyranny of merit  What’s become of the common good?2020年)である。

 本書で問題にしている暴れモノはなにか。それはアメリカの行き過ぎた今の能力主義(meritocracy、能力や功績による支配)で、不平等が固定し、ヨーロッパの多くの国々よりも社会的上昇が起きにくく、「やればできる」社会ではなくなり、労働の尊厳をもむしばんでいる。

 そして能力主義時代の高等教育は社会的流動性の推進力にはなっていない。それどころか、特権階級の親が子に与える優位性を強化している。労働は、経済的であると同時に文化的なもので、生計を立てる手段であると同時に、社会的承認と評価(尊厳)の源でもあるが、労働の世界が、選別から漏れた人の尊厳を認めなくなっている。

 尊厳を回復するためのサンデルの提案は、能力(メリット)の時代が破壊した社会の絆を修復しなくてはいけない。そのためには、機会の平等や成果の平等だと考えられがちだが、「広い意味での条件の平等」(選抜装置化した大学を変革するため適格者のくじ引きによる合否決定の導入や労働の尊厳を回復するため低賃金労働者への賃金補助、税負担を労働から消費と投資へ移すなど)を追求することだ。「それによって、巨万の富や栄誉ある地位には無縁な人でも、まともで尊厳ある暮らしができるようにするのだ―?社会的に評価される仕事の能力を身につけて発揮し、広く行き渡った学びの文化を共有し、仲間の市民と公共の問題について熟議することによって」、と。

ミッション重視の組織になじまぬ能力主義

 もう一冊は、アメリカ・カトリック大学の歴史学者、ジェリ-・Z・ミューラーの「測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?」(みすず書房 2019年。原題はThe tyranny of metrics 2018)である。ここでの暴れモノは邦訳のタイトルにあるように「測りすぎ」。その失敗例が大学、学校、医療、警察、軍、ビジネスと金融、慈善事業や対外援助の事例を通して紹介されている。

 「測りすぎ」を引き起こす測定執着(metric fixation)の基本的前提は「測定できるものはすべて改善できる」で、測定執着者の信念は次の三つ。

・個人的経験と才能に基づいておこなわれる判断を、標準化されたデータ(測定基準)に基づく相対的実績という数値指標に置き換えるのが可能であり、望ましいという信念。
・そのような測定基準を公開する(透明化する)ことで、組織が実際にその目的を達成していると保証できる(説明責任を果たしている)のだという信念。
・それらの組織に属する人々への最善の動機づけは、測定実績に報酬や懲罰を紐づけることであり、報酬は金銭(能力給 pay- for- performance)または評判(ランキング)であるという信念。

 「ビジネスと金融」の事例をみておこう。ここでは、能力給(pay- for- performance)がうまくいくときと、いかないときが紹介されている。うまくいくのは、「利益を上げることが主な目的である商業組織。また、完遂するべき作業が個別に切り出しやすく、簡単に測定可能で、あまり内的関心の対象にならない、たとえば組み立てラインで規格製品を作るといったものの場合もうまくいく」。しかし、教師や看護師など「ミッション重視の組織が能力給を約束するなどして外的報酬を採用しょうとすると、逆効果になってしまう。内的関心が強い活動に外的報酬を設定すると、報酬に注目が集まって、その任務の内的関心やそれを包含するもっと大きなミッションがないがしろにされる」、と。頷ける指摘である。

 「測りすぎ」の「意図せぬ、だが予測可能な悪影響として11項目が挙げられている。すなわち、「測定されるものに労力を割くことで、目標がずれる」、「短期主義の促進」、「従業員の時間にかかるコスト」、「効用の逓減(限界コストが限界便益を上回る)」、「規則の滝(rule cascades)」、「運に報酬を与える(関係者とほとんど関係のない影響を測定する)」、「リスクをとる勇気への阻害」、「イノベーションの阻害(実績測定がリスクを取る勇気を阻害。意図せずして停滞を奨励してもいる)」、「協力と共通の目標の阻害」、「仕事の劣化」(組織に属する人々が、測定される項目という狭い範囲に労力を集中させると、仕事の経験が劣化してしまう)、「生産性のコスト」(測定基準文化の経済停滞への貢献)である。

 「強い」恐竜が滅び「弱い」哺乳類が生き残った。年功序列からの「脱却」、「成果主義」へシフトが波のように引いてはまた押し寄せ、時には勢いを増すこともある。大切なのは「エエカゲン」。そして「測りすぎ」の悪影響の反対こそ、いま日本が求められている、生き延びる道のように思われる。


14:32

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告