日誌


2017/04/08

POLITICAL ECONOMY 第93号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
グローバル化をめぐる頭の体操
                                経済アナリスト 柏木 勉

 イギリスのEU離脱、トランプの勝利、フランスのマクロンは勝ったが少数の得票を得ただけ。来るドイツの選挙ではどうなるか、またイタリア選挙ではユーロ離脱を主張する五つ星運動が優位。いまやグローバル化にストップがかかり、自国中心の保護主義への逆流がはじまったかに見えるが、はたしてどうか。今回はこのような状況を見たうえで私見を2、3点述べさせていただき、皆さんの頭の体操の参考に供したい。

 そこで、まず押さえておくべきは、これまでのグローバル化に便乗した議論は、「資本が政治的国家の枠をいまや容易に乗り越える時代が到来した」というがごとき安易なものだったということである。多国籍企業が無国籍企業であるかのように論じられ、もともと大きな錯覚でしかなかった。それが明々白々になったのである。

資本主義は国民国家と共に生まれた

 元来、資本主義は国民国家の誕生とともに生まれてきたものだ。資本の論理そのものを取り出せば純粋資本主義になり、そこでは国家の出番はない。だが、現実の資本は国家という政治的枠組みのなかで動いている。それが国民経済を成立させたのである。確かに各国間の貿易が増大し資本移動も簡単になって世界市場が急拡大してきた。しかし、それはあくまで諸々の国民国家の対立と協調という政治的枠内で可能になったのである。

 早い話が、国家権力による国家の意思としての通商条約なしには、グローバル化もなにもあったものではない。多国籍企業が世界展開しても、それは海外現地国の法のもとで活動する。例えば米国政府と米多国籍企業が圧力をかけて他国の法を改正させても、その交渉はあくまでも米国政府と当該国の国家意思として法改正が行われる。資本は自らの国家を頭にいただくかバックにいてもらわなければ、世界的企業活動は出来ないのだ。多国間の経済連携協定についても同じだ。

 グロ—バル化の結果として大きな問題になっている所得格差についていえば、新自由主義の柱は「自由」であった。だが、この「自由」というものは本来的に「平等」を内に含んでいる。競争による「自由」な経済活動は放置しておけば、少数の個人や組織に富が集中して、多数の不自由を招く。そこで国家が出てきて、富を抱え込む少数者に様々な制約を課す。つまり国家の再分配による「平等」が前に出てくる。海外からの国内生産への回帰促進、雇用重視を声高に叫ぶトランプの主張はこの理屈に沿ったものだ。資本の論理と国家の論理は同じではない。

ナショナリズムの役割

 以上は国民国家からなる現在の世界ではこうなると説明しただけで、むろん筆者はこの現状を望ましいとは考えていない。筆者は国民国家を消滅させるべきと考えている。国民国家の成立は全国民による戦争を可能にして、2度の世界大戦をはじめとした国家間戦争は膨大な死者を生み出すことになった。国民や国家という幻想に命を捧げることになったのである。この幻想を支えているのがナショナリズムである。経済的対立の激化が戦争を生むのであるが、自らの国家を支える観念・イデオロギーなしに、単に経済的利害損得だけでは戦争はできない。その観念が国民国家を成立させたナショナリズムである。

 だからナショナリズムを無化しフェイドアウトさせなくてはならない。そのためには、ナショナリズムや国民国家はたかだか200年前くらいにつくられたものでしかないこと、それを認識し相対化することが必要だ。それ以前にはフランス人もドイツ人もイギリス人も米国人も日本人も中国人も存在しなかったのだ。古代の昔から○○人は存在したなどというのは、国民国家成立時につくられた虚構でしかない。

 もう一点、前述のようにグローバル化に対して国民国家が抵抗するのであるが、それでも長期、趨勢的にはグローバル化は進むだろう。先進国では情報化、サービス化が進んで製造業が衰退し、新興国、途上国での製造業の発展という産業構造の変化は必然的な流れであり、一時的にストップがかかっても止められない。中国、インドの製造業就業者だけ見ても、1990年代初頭から2010年代半ばまでで少なくとも8千万人以上増えた。日米の減少分は約1千万人、EU主要国の減少分は1千万には届かない。世界経済全体では新興国、途上国の製造業の比率は大幅に上昇した。

 情報やサービスは食べられないし着ることもできない。このため先進国は農産物や製造業製品を輸入するしかない。人、モノ、カネが迅速に動くグローバル化で世界経済は回っていき、各国経済も回っていくわけだ。先進国の国民は生活上での必須品目が大量輸入され、その必要性を従来以上に意識せざるを得ない。そうなると、国民国家とナショナリズムの無化は促進されていくだろう。特にITの発展で各国間の(中国等独裁国家に対しても)情報の流れは止められないから、マルクスがドイツイデオロギーで述べた「世界交通」と「他の諸民族に依存しあう——普遍的な諸個人」が実現する可能性は高まっているのではないか。

分化する国民国家

 そう考えると、奇妙に感じるかもしれないが、現在の国民国家が地域的に分化・分裂していくのではなかろうか?スコットランドや北アイルランド、ベルギーの南部・北部対立、スペインのカタルーニャ等々、また実際に分離・分裂した旧ユーゴスラビア各国、チェコとスロバキア、ジョージア、アゼルバイジャン等旧ソ連諸国、中国についてはご承知のとおり。これらの中には外部勢力の介入もあって現在も紛争状態にある国も多いが、いずれも小国である。分離独立をめざす地域もそれを果たしても小国である。しかしグローバル化は小国の自足自給の必要性をぐんと下げる。実際うまくやっている国は多いのである。

 そうだとすると、いきなり飛躍するが、社会主義社会を形成するアソシエーション(せいぜい4、5万人?)の連合も実現性が見えてくることになるのでは?

 最後は脱線気味になったが、結構真面目に考えたい。


09:12

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

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これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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