日誌


2017/05/11

POLITICAL ECONOMY 第94号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
熊本地震から1年、街では
                                                          元東海大学教授 小野豊和

 平成28年4月14日21時26分に前震、翌々日16日1時25分に本震発生、いずれも震度7で観測史上初めての出来事であった。1年間で震度6弱以上の地震が計7回、震度1以上の有感地震(余震)は4300回に迫り、今尚続いている。ちなみに震度の上限は7までしかなく、震源地の益城町や熊本市東部では震度7以上の揺れがあったであろう。人的・物的な被害は以下の通り(平成29年4月13日時点)。

(1)人的被害:死者225人(地震による直接死50人、関連死175人)、重傷者1,128人、軽症者1,549人、合計2,902人
(2)住宅被害:全壊8,667棟、半壊33,585棟、一部損壊146,827棟、合計189,079棟

 熊本地震で家を失い、仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らす被災者は、3月末時点で4万7,725人に上った(熊本県の人口は177万4千人)。被災者の心的ケアから生活全般に係わる問題への対応、鉄道や道路、橋梁、学校や病院等の公共施設の復旧・復興、落ち込んだ観光産業への対策、誘致企業への新たな取り組み等、1年経ったが県政としては問題が山積みである。蒲島郁夫知事は、創造的復興のシンボルとして熊本空港の民間委託を進めると言っている。台湾との熊本・高雄便、韓国と熊本・仁川便が再開し徐々に海外からの観光客も回復してきた。今年は西南戦争(1877年)140年に当たり、震災復興と関連づけた企画展開催、また、2018年のNHK大河ドラマ「せごどん」、さらにはその次に決まった熊本出身のランナー金栗四三を描く「い
だてん」の人気にあやかりたいものである。

熊本城築城から発展

 歴史をたどると、肥後熊本は加藤清正の熊本城築城によって発展してきた。清正は城門の正面(西側)に武家屋敷を作り、現在の新町となっている。細川家三代目の細川忠利が肥後熊本藩(54万石)の領主となり大勢の武士を住まわせる新しい武家屋敷を城の東側に作った。白川と熊本城の間に位置し、道を挟んで東側に武家屋敷、西側に教育施設などを整えていく。西南戦争では、城の西側の花岡山に陣を構えた西郷軍と熊本城に本拠を置く官軍と対峙する事となり、新町一帯の武家屋敷が焼失する。西郷軍の侵攻を見定めるため官軍が燃やした。西南戦争後は、城の東側の武家屋敷があったところが上通りとして発展していく。現在ホテルキャッスルがある藪の内には熊本師範学校、熊本中学、後には濟々黌、また、商店街入口には上林高校(現信愛女学院)が移転してきて文化地域になっていく。

 明治20年、県庁が春日(現在のJR熊本駅前)から、白川公園に移転。JR鹿児島本線は池田(現在の上熊本)までで、ここから城の北側の広町まで菊池鉄道が走り、県庁を訪れる人たちの玄関口となる。JRの熊本延伸は唐人町を計画していたが、煙をモクモクと吐く機関車の乗入れを地元が反対し、ぼーぶら(カボチャ) 畑の西区に決まる。大正になると、熊本駅から市電が当時の県庁に近い浄行寺まで開業する。

 熊本大空襲で上通りは焼失を免れる。何故「上」かというと、江戸に近いからで、後にできる通りが「下通り」となるのである。下通りは生活雑貨、飲食店が店を出し、裏通りはクラブ通、酒場通りなど飲み屋街となって発展していく。銀蝶百貨店の後にやってきた大洋デパートは昭和48年11月29日にビル火災を興し103人の死者を出す。大型店舗の火災として補償問題が長引いた。その後、建物の躯体をそのまま活用してダイエーが入居、市民生活に必要な物資を提供してきたが、2013年に閉鎖、大洋デパート以来のビルを解体し、2017年4月、新たなビルとしてCOCOSAが誕生した。海外の有名ブランドの店が出店し、地下一階にはダイエーを吸収したスーパー・イオンが開店した。
Cocosaの名称は一般公募で決まった。「あんた方どこさ、肥後さ、肥後どこさ…」のおてもやんに因んで命名された。

まだ続く復旧工事

 今後の計画としては、2018年夏、桜町地区に国際会議場、4000人収容のホテル、屋上庭園などを備えたMICE施設が誕生の予定。JR熊本駅は全て高架となりホテルなど商業施設の駅ビルが2021年に開業の予定。熊本県全体としての地震後の復旧はまだ緒に就いたところで、阿蘇大橋が落下した南阿蘇地域は、ガス・水道も届いていない。阿蘇に向かう国道57号線新ルートが決まり6月17日に工事開始、平成20年度開通を目指している。JR豊肥本線はトンネルで復旧を目指す方向だが、赤水・立野間のスイッチバックは無くなる。


09:51

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告