日誌


2022/05/11

POLITICAL ECONOMY第215号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
ロシアの原風景 ‐ プーチンの軍事侵攻の“何故”
                    金融取引法研究者 笠原 一郎

 2月以来、ロシア・プーチンによるウクライナへの軍事侵攻の悲惨なニュースが連日のように伝えられている。欧米を中心とした強力な金融・経済制裁、そして国際世論からの強い非難も顧みられることなく、重武装のロシア軍がウクライナの地と人々を蹂躙・殺戮している画像が映し出され、なんとも言えぬ無力感に苛まれる日々が続く。そこでは、核兵器を保有する軍事国家に対する国連の機能不全が浮き彫りとなり、グローバルパワーにおけるアメリカの地位低下、主要エネルギーの多くをロシアに依存するドイツ、そして、狂気に戸惑う中国共産党の立ち位置も、また、出口の見えない深い混迷を象徴しているかのようである。

 ロシア・プーチンは、何故、予見されたであろう金融・経済制裁、国際世論の強い非難を鑑みることなく錯乱したかのような武力侵攻を始めたのだろうか。プーチン自身が語るところによれば、「NATO加盟を阻止するため“やむを得ない選択”」であり、「ウクライナは歴史的にロシアに帰属」と、身勝手な主張を繰り返している。こうしたプーチンについて専門家・識者からは、ロシアの唯一の産業ともいえるLNG等の豊富な天然資源による欧州エネルギー支配への狼煙、南下戦略の要衝である黒海に面するウクライナの実質的な占領という解説、また同時に、“病気で常軌を逸した”等々という見方も出ている。しかしながら強い金融・経済制裁のなか、この拡大構想はコストに合わないことは明確である。どれも腹落ちしない。

 “人の心のうちは解からない”とは思いつつ、厳重な情報統制下とはいえロシアの少なからぬ人たちが、プーチンのウクライナへの軍事侵攻を支持していることもまた事実であろう。

司馬遼太郎『北方の原形 ロシアについて』から読み解く
 
 私は全くの門外漢ではあるが、この“何故”への手がかりとして、以前に読んだ司馬遼太郎『北方の原形 ロシアについて』(1986年、文藝春秋)を思い起こした。この考察は、旧ソ連崩壊(1991年)前に書かれたものであるが、この正気とは思えないプーチンの軍事侵攻の何故と、そしてロシアという国の人々に潜在する心の底についての再考のヒントがあるように思えた。

 まず、司馬はロシアを「若い歴史の国、そして若い分だけ猛々しい野生を持つ」と言う。確かに欧州ルネッサンスの開花から遅れ、農奴制の圧政の上でロマノフ王朝(モスクワ公国)がウラル山脈を越え広大なシベリア大地を併合し、ロシア帝国として大国の仲間入りをしていくのは、18世紀に入ってからである。歴史的にはかなり若い。地理的には強大な武力を誇った遥か遠くのモンゴル(蒙古)は地続きであり、ひとたびこの騎馬軍団が襲来すれば、街も耕地も人も、蹂躙され焼き尽くされ皆殺しにされる。司馬が「スラブの大平原での農耕が、それだけで危険な営みであった」と言う通り、13世紀のチンギスハン以降の幾多の蒙古来襲は、この地に文化的な熟成をする時を与えてくれなかった。

人々の心の奥底に留め置かれた記憶

 そして、騎馬軍団の略奪の通過の地であるロシア平原に、たまたま留まってしまった一団が約250年にわたり過烈な軍事圧政を敷きこの地を支配した。キプチャク汗国という。この地の人々には過酷な税による収奪が行われ、少しでも逆らう気配を見せれば、無慈悲な騎兵たちにより街は焼き払らわれ、虐殺されつくされる。司馬はこの長い暴力支配の抑圧の記憶が「タタールのくびき」として、この地の人々の心の奥底に留め置かれた記憶こそが、「国の作り方や在り方への影響は深刻」であり、「ロシアの原風景として考えるために必要なこと」と見立てる。この原形から、「外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰、それらすべてがキプチャク汗国の支配と被支配の文化遺伝だと思えてならない」と喝破する。

 この論評は、作家自身が徴兵によって旧満州で薄い鋼鈑の装甲車のなか、圧倒的なソ連軍と対峙した過酷な体験のうえで書かれたものである。彼の眼を通すことで、私には、今回のプーチンの狂気ともいえる侵略と、それを少なからぬロシア国民が支持する“何故”が朧ながら浮かび上がってきたように思えた。

 すなわち、旧ソ連崩壊によってワルシャワ条約機構という盾を失ったロシア・プーチンは、NATO拡大を心底猜疑し、怖れている。そして火器を核兵器と置き換えれば、余りにも安易な核兵器の恫喝は、この破滅的兵器に対する異常信仰に根ざしているものであろう。本質的には臆病で外敵を異様に恐れるこの国の独裁者は、その潜在的な征服欲と相まって、我々の眼からは狂気としか思えない軍事侵攻に踏み込んでいった、という見立てである。

 “ぬるい島国”日本も、こうした過酷な‐原形‐を記憶の深層に脈々と保つ隣国の人たちたちと相対することから逃れることはできないことを、常に心に留めておくべきであろう。改めて思い知らされる。


11:01

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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