日誌


2015/09/03

POLITICAL ECONOMY第35号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
独仏銀行の経営責任隠蔽を許さず、ユーロと欧州統合の夢を
防衛せよ!

                    経済アナリスト 柏木 勉

 安保法制の成立で日本は「戦争を行う国」になった。憲法9条に違反し、平和憲法をなし崩しにして「国軍を保有し戦争を行う普通の国」に転換させようとする目論見が現実のものとなった。そもそも平和憲法は、国民国家なるものと国民国家間の大規模戦争を廃絶しようとする世界の最先端に位置する希望であった。だが、安倍政権は時代遅れのナショナリズムによる国民国家意識にもとづき、国民の反対を押し切って安保法制を成立させたのである。だが、「国民国家」とか「国民」とかはせいぜいフランス革命以降に成立したものでしかない。それは世界史的段階からすれば変化・解体していくものである。

 だから国を守れ、国民を守れなどと叫ぶのは、歴史的に相対的存在でしかないものを絶対視するという全くの誤謬に陥っている(いわゆる中国や北朝鮮等の脅威なるものが存在するのは、これらの国の支配者が、いまだナショナリズムによる求心力で国民国家の枠組みを形成・維持しようとする後進国であるからだ。戦前の日本も全く同じであった)。

 今回はギリシャ危機とユーロ防衛を論じたいのだが、それはいうまでもなくユーロと欧州統合が国民国家解体の漸進的な流れをつくりだしてきたからである。つまりユーロと欧州統合の夢を防衛することは、今後の安保法制の打破・廃棄につながる問題でもあるからだ。

 ユーロはギリシャ危機の長期化によって、崩壊の危機を迎えているとか欧州統合の夢は終わったとか色々に論じられている。しかし、このような論調に欠けているのは現在のユーロ危機において重要かつ本質的な点が隠蔽されている点である。この隠蔽を各国国民に明示することによってこそ、欧州統合の流れを再度強化することができるだろう(なお、ユーロ危機は様々な論点があるが、今回は隠蔽された重要な点だけ述べる。その他は別稿に譲りたい)。

 それを最初に云ってしまえば、ギリシャ危機における独仏銀行の経営責任の追及である。この点が隠蔽されているので、問題がドイツ国民とギリシャ国民の対立、北欧国民と南欧国民の対立という様な国民と国民の対立、文化と文化の対立に転化されてしまったのだ。

売り逃げた独仏銀行

 そこで、問題の本質がすりかえられてしまったメカニズムをごく簡単に述べると、次の様になる(字数制限のため多少舌足らずの説明になるが、本質は変わらない)

 まず、2009年末にギリシャの巨額の財政赤字が明らかになった。これを契機に市場では混乱が始まった。当時ギリシャ国債の4分の3は独仏銀行を中心に他国の銀行が保有していた。これら銀行はギリシャ国債という巨額の不良債権を抱えるに至ったのである。そこで、ギリシャ支援の名のもとにIMF(国際通貨基金)、EC(欧州委員会)、ECB(欧州中央銀行)の3者から成るトロイカがギリシャに救済融資を行った(その後すったもんだの議論の末にECBのギリシャ国債購入も可能になった)。この救済策によって、ギリシャは満期の来た自国国債の償還や国債発行が可能になった。

 だが、これによって独仏銀行はギリシャ国債からの脱出・売り逃げが可能になり、不良債権による巨額損失を免れることができたのである。つまり、ギリシャはトロイカから借りた金で、満期が到来した独仏銀行保有の国債の償還を行う。独仏銀行は償還金を受け取るが、それ以降ギリシャ国債を買うことはない。するとどうなったか?

 トロイカという公的機関へのギリシャの借金だけが残ることになったのだ。言い換えると、ギリシャ政府の独仏銀行への借金がトロイカという公的機関に対する借金へと移転しただけなのだ。独仏銀行は、通常の取引であれば自分たちが負うべき巨額損失を公的機関に移しかえることができた。トロイカの融資の財源は何らかの形で各国の国民負担で調達されている。だから単純化すると国民負担(要は税負担)による公的資金が独仏銀行に投入されて銀行が救われたのと同じである。この点が国民の眼から隠蔽されているのだ。隠蔽されているから前述の国民と国民の対立が生まれているのだ。

問われる貸し手責任

 無論、ギリシャ危機の勃発によってギリシャ以外の国債価格も暴落し、独仏銀行をはじめEU全体の金融危機とソブリン危機が懸念されていたことも事実だ。それを防止するために銀行を救うことが必要だったのは理解できる。しかし、そうだとしてもギリシャ危機を引きおこすに至った独仏銀行の経営責任、つまり貸すべきでないところ(ギリシャ政府)へ貸したという民間銀行としての投資判断の誤りを明確化すべきだ。甘い投資判断の誤りによって結局のところ各国の国民負担が生じてしまったのだ。銀行の経営責任を追及し、銀行とその経営層に責任をとらせることが必要不可欠である。それこそが各国の間に生じた国民的対立を緩和し、ユーロ防衛を可能にする重要な一歩となるだろう。

10:30

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

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これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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