日誌


2015/07/22

「グローカル通信」第18号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
カナダ移民野球チーム“バンクーバー朝日軍”の歴史と栄光

                東海大学経営学部教授 小野豊和

 8月6日広島原爆の日、甲子園球場で100年を迎える全国高校野球選手権大会が始まった。フェアプレーに徹する姿は勝者も敗者もなく実に清々しい。100年以上前、カナダに渡った日系移民は激化する排日運動を受け、辛酸をなめつつも野球で信頼を勝ち取った。

 『東京経済雑誌』明治22(1889)年12月の社説によると「嗚呼此の遊民を奈何すべきや」と題して「土地の狭小なるに比し人口が多く、資本なお不足のため事業はおこらず、都市農村を問わず無為の遊民がその数を増やしていることを嘆じ、これが対策としては海外に出稼ぎし、移住するに如かざるなり」と主張している。明治政府は日本の近代化を進めるが急激な人口増を受け入れる事業の拡大もなく、一方で日清・日露戦争の戦費調達で財政は困窮、農村漁村が深刻に疲弊する中で移民奨励策をとるのである。

 この政策に対して、明日の食い扶持に事欠く若者は新天地を求めアメリカへの移住が加速する。過酷な低賃金労働にもかかわらず日系人は器用さと真面目さで仕事の範囲を拡大していくが白人の領域を侵すと思われ、米国政府は規制のための移民法を作り、やがて日系移民が多いカリフォルニアでは排日運動が激化し、ルーズベルト大統領がアメリカ本土入国拒否の命令を出す。米国上陸が拒否されると若者はカナダへ行き先を変えるが、地続きのバンクーバーにもアメリカの排日運動が飛び火するのである。

苦難のカナダへの移民

 バンクーバーの日系移民1号は1877年に永野万蔵の密航と言われている。網本の息子だった万蔵はフレーザー川を上ってくる鮭の漁に成功し「銀鮭王」と言われ、この噂が移民に拍車をかけ増大する日系移民がさらなる排日運動を触発することになる。1887年大陸横断鉄道がバンクーバーまで開通、香港—バンクーバー間の太平洋航路の運航開始でバンクーバーでは鉄道・港湾などの都市開発のための労働需要が急増、過酷な低賃金労働であっても本国での就労が望めない日系の若者が従事していく。英語を話せない一世たちは、日系人仲間の街リトル・トーキョーを形成していく。バンクーバー大火災で住宅需要が増すと林業でも日系移民が活躍し地位を固めていくが、白人たちは日系人を賛美するどころかジャップと蔑み、1907年の外務省通商局長石井菊次郎の到着の日に襲撃事件を起こすのである。

 暴力を好まない一世たちは国民的スポーツの野球チームの結成を思いつく。一世たちの指導の下、二世の少年達が集められ技術を磨き強いチームとなり、白人チームの挑戦を受ける。白人贔屓の審判は不平等な判定を下すが、監督は「決して抗議をするな、野球技術だけで勝とう」と指導し白人チームに勝利する。民主主義社会では勝利者は賛美され、やがてカナダ国民からも尊敬されるようなる。

 ところが1941年12月7日の真珠湾攻撃を機に財産は取られ強制収容所に送られ過酷な運命を辿ることになる。米国と異なりカナダの日系人に対する戦後補償は1988年のマルルーニ首相と全カナダ日系人協会との合意まで待つことになる。社会的影響力のある弁護士、議員などに就いた三世たちが運動を起こし、暴力で戦わずフェアプレーとスポーツマンシップで礼儀正しく振る舞い勝利したことが評価・尊敬された。バンクーバー朝日軍は悲劇の解散から61年たった2003年、カナダ野球殿堂の理事長が「われわれには借りがある…」とカナダ社会がかつて日系人に対して犯した不正の謝罪と償いを、すべてのカナダ人すべての日系人に向けて表明しカナダ野球殿堂入りを認めた。

 6月にエースピッチャーの息子(古本喜庸氏)に出会い“バンクーバー朝日軍”の存在を知った。偶然にも一世の祖父は阿蘇出身ということで熊本の大学連合での講演を依頼した。フェアプレーとスポーツマンシップで生き抜いた話を聞くことで、若者が忘れていたものを思い出してもらえたらと期待している。

【参考文献】若槻泰雄『排日の歴史〜アメリカにおける日本人移民』中公新書、古本喜庸『バンクーバー朝日軍〜伝説の「サムライ野球チーム」その歴史と栄光』東峰書房
       


13:32

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

LINK

次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告