日誌


2015/12/31

「グローカル通信」第23号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
水俣病公式認定60年を迎えて
                       東海大学経営学部教授 小野 豊和

 2016年は水俣病公式確認60年で熊本では展示会、講演会等様々の行事が計画されている。明治22年(1889年)に村制が施行された水俣村(当時の人口12,040人)に、明治41(1908)年、日本窒素肥料株式会社が発足(鹿児島県伊佐郡大口村に創業した曽木発電者と日本カーバイト商会水俣工場の合併会社、昭和25年から新日本窒素肥料㈱)。この日から今年は実に108年になる。確認されて60年といっても、それ以前の48年間は浄化しないまま工場排水を水俣湾に垂れ流し続けた原因企業の責任は重い。

 水俣湾周辺では市民の間で日本脳炎などに疑われる原因不明の奇病が流行り、魚介類を食べたことによる疑いを持つようになっていった。熊本日日新聞(昭和29年5月1日)に「猫がてんかん病で全滅」という記事が出たことで、工場排水で汚染された魚介類に問題があるとの噂が現実化していった。そのような状況下、昭和31年(1956年)5月1日、窒素附属病院の細川一院長が2人の奇病を発表した。6歳と3歳の女児について小児奇病と発表、これを熊本県衛生部が公式確認し、保健所では奇病対策委員会(保健所、水俣市、市医師会、私立病院、新日本窒素肥料㈱附属病院で構成)を設け、後に水俣市奇病対策委員会に改称、その年の暮れに54人(うち17人死亡)を水俣病と確認した。

 公式確認3年後の1959年、水俣病患者と原因企業チッソとの間で見舞金契約が結ばれたが、補償契約ではなかった。死者に30万円など当時の賃金水準に比べて極端に低い金額で、将来、原因が工場排水と決定しても新たな補償要求は一切しないという条項を飲まされていた。見舞金契約から10年後の1969年、押さえつけられていた患者が裁判を起こすことになる。これが水俣病一次訴訟である。4年後の1973年に判決が出て患者が全面勝訴となった。見舞金契約は公序良俗に違反するとして無効とされ、原因企業のチッソは控訴せず、患者の全面勝訴が確定した。この判決を基に、患者とチッソとの間で保障協定が結ばれ、患者1人当り1600万円から1800万円の賠償金の他、年金などが支払われるようになった。

 一次訴訟の後、水俣病認定申請者が急増すると、認定されるよりも棄却される人が多くなっていった。棄却された人や認定申請が保留となって結論が出ないままの人たちが裁判を起こすようになり、これが二次訴訟、三次訴訟となる。

 1995年、裁判所から和解勧告が出たことで、一時金260万円と医療費の個人負担が無い医療手帳が交付された。これで水俣病問題は終了したかに見えたが、ただ一つ和解を拒否して最高裁まで争った裁判があった。これが水俣病関西訴訟である。

まだ続く対立の構造

 2004年、関西訴訟の最高裁判決は、感覚障害だけでも水俣病を認めただけでなく、水俣病の被害拡大は、国と熊本県にも責任がある、というもので、国と熊本県の行政側がチッソと同じ加害者になった。患者の方が和解を求めたケースの最初の政治決着である。すると再び認定申請者が急増するだけでなく国家賠償訴訟も起こされることになり、行政側の熊本県として、もう一度政治決着してほしいと国に要望し、これが第二の政治決着となり、今度は和解でなく、議員立法の特別措置法を作って全面解決を再び図ろうとしたのである。

 2009年、特別措置法が、民主党政権が誕生した解散総選挙の直前の国会で成立する。救済の対象者は、一時金210万円と被害者手帖が交付されることになり、2012年7月末を申請受付締切りとした。申請者数は、熊本県でと鹿児島県を合わせて63,000人で、何人が救済対象者になったかは公表されていない。そして現在、救済対象者と認められなかった人たちが新たな国家賠償訴訟を起こし、現在も水俣病問題は全面解決には至っておらず、国と被害者との対立の構造になっている。

 対立構造の中、2007年に至ってようやく胎児性水俣病と認定された緒方正実氏(57歳)の生き方を紹介する。水俣病資料館の語り部の会会長で、2015年水俣開催の「全国豊かな海づくり大会」で、天皇、皇后両陛下に「水俣病は終わっていない」と伝えた人である。緒方氏は原因企業・自治体と闘ってきたが、自らの手で木彫りのこけしを作り各方面に寄贈する活動を行い「赦す」という境地に達したという。最後に緒方氏の詩を読んでいただきたい。

  苦しいでき事や悲しいでき事の中には
  幸せにつながっているでき事がたくさん含まれている。
  そのことに気づくか、気づかないかでその人生は大きく変わっ
  ていく。
  気づくには一つだけ条件がある。
  それはでき事と正面から向かい合うことである

【参考文献】緒方正美『孤闘—正直に生きる—』創想舎、2009年『熊本日日新聞』


11:19

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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