日誌


2021/08/05

POLITICAL ECONOMY第197号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
「論語と算盤」艶福家 渋沢栄一をどう見るか

                                                                    金融取引法研究者 笠原 一郎

 少々、時間が経ってしまったが、コロナ禍が続く初夏の休日の午後、人との接触を出来るだけ避けろと言われているなかで、どこか人出が少なく楽しめるところはないかと思案していたところ、自宅に近い大宮公園内にある『埼玉 歴史と民俗の博物館』で開催されていた「青天を衝け~渋沢栄一のまなざし~」展 (『埼玉 歴史と民俗の博物館』企画展)(本年3月~5月開催)を見つけた。この春から始まった渋沢栄一の生涯を描くNHK大河ドラマ「青天を衝け」に乗った企画である。“これといった売り物がない”海なし県の埼玉で、深谷出身の新一万円札の顔にもなる渋沢に着目したものである。数年前の映画「翔んで埼玉」の自虐感を打ち消したいとの気合も垣間見えたが、コロナの影響もあるのか、案の定、人影は疎らで、まずは目論見どおりであった。

 「日本資本主義の父」とも呼ばれる明治期の大実業家 渋沢については、多くを話す必要はないと思うが、私の勤務地に近い兜町・茅場町に残る彼の足跡を少しだけ紹介する。彼が創設した旧第一国立銀行の建物跡は、今は、みずほ銀行兜町支店となり、その一角には小さな宝くじ売り場の窓口が併設されている。このみずほ兜町から東証の大きな建物を挟んだ首都高下の日本橋川沿いの彼の旧宅跡は、日証館(平和不動産所有)という古色蒼然とした大理石造りの建物となっている。また、永代通り茅場町交差点の一角には、現在、渋沢の名を冠する唯一の企業である渋澤倉庫(株)所有のコジャレたビル(渋澤シティ・プレイス)が建っている。

 渋沢は5百社近くの企業の創業・経営に関与したにもかかわらず、三井・住友等の旧財閥と違い多くの企業名にその名を冠していないことから、現在、企業活動に対する知名度という点では、その名はややもすれば過少に評価されているようにも思われる。この企画展では、これを払拭させたいとの意気込みもこめて、彼の郷里である深谷血洗島を出て江戸へ、そして明治から大正にかけて、92歳でその生涯を終えるまでの成功ストーリーを、ほぼ時代順に絵画・写真・書・衣装等が数多く集められ、語られていた。さらに、旧主である徳川慶喜との関係を示す資料、また、その設立に力を注いだ商法講習所(一橋大学)や日本女子大学校に関する資料なども集められ、
充実感のある展示ではあった。

意外と小柄

 ひととおり見てまわるなかで、あれっ…と、思う展示物があった。それは渋沢が男爵を授爵したときに着用していた「大礼服」の実物を見たときである。“小さい”のである。大河ドラマで渋沢を演じる吉沢亮もそれほど大柄な役者さんではないが、渋沢本人は、かなり身長の低い人だったようである。展示の最後(出口のところ)に、彼の等身大とされる写真パネルが置いてあったが、身長150cmそこそこのうちのカミさんよりも低い感じで、この“小さい大礼服”のとおりであった。

 渋沢といえば、『論語と算盤』で知られるように、古典から学んだ素養・見識をもとに、明治に入ってからは、政治とは一定の距離をおきつつ、多岐にわたる企業活動・文化活動において成功を遂げた人である。一方で、プライベートでは、彼自身も「婦人関係を除けば、自分は俯仰天地に恥じない」と述懐していたそうだが、子供は10名以上、ネット情報によれば、他に何人の子供がいるか・・・と言われるほどの“艶福家”(昔はこの言葉を便利に使ったようであるが、今の世だと厳しいであろう・・・)として知られる。

 ここで、論語には女性を評した言葉があることを思い出した。子曰く「女子と小人とは、養い難し。(女子と小人はとかく養いがたく、救いがたいものである。近づけば恩になれて図に乗り、遠ざければうらむ)〔陽貨〕」の有名な節である。中国古典の泰斗 諸橋徹次は、この言葉を「封建時代の一弊害」と一刀両断しているが、艶福家の彼はこの論語の「女子と小人」の節をどのように語っていたのか、気になった。

NHKはどう描くか

 『渋沢栄一「論語」の読み方』(竹内均編・解説)をめくると、「(この言葉は)男尊女卑を原則として、女性に教育をさせない時代の誤った考えだ。いまや政治上も男女同権の実現が近づいてきたから、昔と同じ見方をしてはいけない。・・・孔子は進取の主義をもつ人だから、もし孔子が現代に生まれていたら、必ずこう言ったと思う」と書かれている。まさしくとは思うが、かの述懐とこの解釈をどのように咀嚼すればよいのであろうか。大河ドラマもそろそろ終盤に入るが、やはりNHKは渋沢のこちらの面はどのように扱うのだろうか。

 だが、それにしても、92歳で天寿を全うするまで現役(日本女子大学長を最期まで)を続けたこの“小さな”おじさんのどこに、このような公私にわたる凄いパワーが漲っていたのであろう。孔子は「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。〔述而〕」と説く、なるほど、と思う次第である。   


07:15

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告