日誌


2022/09/26

POLITICAL ECONOMY第224号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
成年後見制度を使いづらくする判決

                     金融取引法研究者 笠原一郎

 60代の半ばになろうとする私の周りでは、親世代は90代に近くなり、身体的な機能低下に加え、認知症進行の危惧もあり、介護の話しは切実なものとなっている。国は、認知症の高齢者・障がい者等が尊厳を持って生活していく地域・続柄との共生を担うため、個々の状況に応じた身体の保護と財産の管理を可能とする「成年後見制度」を推進(令和4年3月 閣議決定)しようとしている。

 私のところも他人事ではなく、母親、カミさんの母親ともに、90歳を超えて、心身の健康は万全とは言い難い状況となってきている。特に、義母は数年前に転倒して大腿骨を骨折し、手術・リハビリを経て、自宅に戻ったものの、昨年、再度骨折し、何度かの入院生活のなかで、言動も少々怪しくなってきている。医者からは、次に骨折したときは、手術は厳しく、下手をすると寝たきり介護が必要となるとの警句を受け続けている。

 こうしたなかで、介護の長期化・施設への入所を想定した場合、十分とは言えない年金の受給に頼る義母の、将来にわたる費用負担を考えなければならない状況に陥った。さらに言動の怪しさも懸念されるなかで、最後のバッファーとして、自宅不動産の処分による費用捻出も視野に対応を考え、成年後見制度(任意後見)を利用することとした。それは、例えば、本人(義母)の不動産を処分する場合、所有者の明確な意思を確認できなければ、如何に子供たちの総意で代理人となると言おうが、まともな不動産会社は取り扱わない、との指摘を受けたことにもよる。

 成年後見制度には、認知症を既に発症した人に対して家庭裁判所が親族もしくは弁護士等を後見人として指定する「法定後見」と、私たちが利用した未だ発症はしてない高齢者等が予め後見人を指定して、発症と判断された時点で後見制度を適用する契約を結ぶ「任意後見」の2つがある。義母は少々の言動の怪しさはあるものの、この時点では意思伝達・確認は十分に可能であったことから、任意後見契約の公正証書を作成し、その後の介護費用等対応への“保険”とした。

「お財布はひとつ」はアウト

 この成年後見制度では、被後見人の財産を保全するため、例え後見人がその親族であっても、被後見人の財産とは区分して管理(分別管理)することが求められている。すなわち別々のお財布での管理・財産保全をする仕組みであるが、最近、この成年後見制度の分別管理に絡む相続税案件における国税当局との間の訴訟事案(*)を知る機会を得た。

 この事案は、法定後見による成年後見人である親族(=相続人)が、被後見人(=被相続人)の財産を相続した際に、小規模な宅地に居住等するものに対する相続税の軽減措置(租税特別措置法‐小規模宅地の特例)が適用されるものとして相続税額を申告したところ、国税当局から当該特例の適用要件に合致しないとの事由により更正処分(賦課決定処分・過少申告加算)を受け、この処分に対し、相続人が提訴したケースである。

 先ほどの小規模宅地の特例の適用を受けるためは「生計一要件」と呼ばれる、ありていに言えば、「一つ屋根の下で、同じ財布で生活している」という要件がある。

 ところがである。上述したとおり成年後見制度を利用すると、被後見人(=被相続人)の財産の保全のためには、後見人のそれとは別個に分けて管理することが求められるが、この事案で国税当局は、同一敷地内の別住宅で認知症の母親の面倒を成年後見人として、別のお財布(=これは成年後見人の責務)で介護・後見してきた息子(=後見人)には、相続税における「生計一要件は認められない」とする見解を展開した。この国税当局の見解に最高裁判所がお墨付きを与えたものである。この事案にはやや特殊なところもあり、これを一般論化すべきではないかもしれないが、成年後見人の責務を“きちんと行う”親族(=相続人)には、相続税を軽減する税務上の措置は受けられないかもしれない、という潜在的な不利益が明らかになったことは確かであろう。

杓子定規な判決はセーフティーネットを阻害

 今回の判決は、租税特別措置法による課税の軽減は極めて限定的であるべき、とする裁判所の基本スタンスを受けたものではあろうが、、、。これは今後ますます高齢化する社会に対する共生政策として、国全体で推進しようとする成年後見制度を阻害する判決であると考えるのは、私だけであろうか。この判決を知れば成年後見制度を利用し、まじめに介護を行おうとする親族は二の足を踏みかねない。杓子定規に狭く適用要件を解釈したこの更正処分・判決によって、今後、認知症の高齢者・障がい者等が尊厳を持って生活するためのセーフティーネットが阻害されかねないのでは、という危惧に対し国税当局・裁判所はどのように答えるのであろうか。

*横浜地方裁判所(令和2年12月2日判決)、東京高等裁判所(令和3年9月8日判決)、最高裁判所(令和4年3月15日上告棄却)


18:23

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

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これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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