日誌


2024/04/29

POLITICAL ECONOMY第262号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
遠山記念館(埼玉県川島町)を訪ねて
大相場師の秘めた思いから見えるもの
                              金融取引法研究者 笠原 一郎

 コロナ明けして、今年のGWは最大10連休もと、かなりの人出が予想されるなか、どこか空いていそうな、そして何か面白そうな場所はないかとGoogle MAPを見ていたところ、埼玉県川島町に「遠山記念館」(写真参照)なるところを見つけた。好天のなか渋滞もなく1時間ほど車を走らすと、田植えを終えばかりの、のどかな水田が広がるなかに、ぽつんと緑茂る屋敷森にそれはあった。

なぜ広大な家を建てたのか

 遠山記念館は、昭和初期に、今見ても最高の良材を使い丁寧に建築されたことがわかる壮観な3棟続き
の木造家屋の母屋と瀟洒な庭園、そして小さな美術館からなっていた。ほとんど来訪者もなく、迷子になりそうなくらいの広大でひんやりとした日本家屋は、日興証券(現SMBC日興)の創業者・戦後証券界の大立者である遠山元一が年老いたご御堂のため、そして、かつて追われた生家の復興のため、3年近い歳月と膨大な資金をつぎ込んで建てたものである。

 それにしても、遠山は、いかに生家再興とはいえ、交通の便が決して良いとは言えない田んぼの真ん中に、高齢の母ひとりが、いや何人住まおうが人が住まうには広すぎる、この屋敷を、巨費を投じて建てたのであろうか。たとえ迎賓用としても、失礼な言い方かもしれないが、当時はどこにでもあったと思われる田んぼ以外になにもないような田舎に、だれを呼んだのであろうか。国の重要文化財にも指定されているという屋敷の桟敷で、そんなことに思いをはせながら、初夏のつつじが美しいお庭をぼんやりと眺めていた。

『小説 兜町』(清水一行著)にヒント

 連休明け後、日本橋の丸善をぶらぶらしていると、このところのバブルの再燃とも思わせる株式市場の活況もあるのであろうか、話題本の書架に60年以上前に刊行された『小説 兜町』(清水一行著)の文庫本改版が平積みされていた。この小説で主人公が勤める「興業証券(日興証券)の社長大戸」のモデルとされているのが遠山である。あまりこの手のモデル小説は読む気になれなかったが、先の思いもあり、つい手にしていた。

 ストーリーは、興業証券のヤリ手営業課長(というより鉄火場の相場師そのものの)である主人公が、朝鮮戦争からの経済活況、その後のスターリン暴落、神武景気・岩戸景気での大相場での連戦連勝の成功と昭和40年証券恐慌(当時の山一證券救済のための日銀無担保特融が実施された)にかけての失態、そして、“株屋”と一段下に見られ、その経営体質の近代化が求められていた証券会社にはそぐわない人物として、会社を追われるまでを描いたものである。主人公の仕掛ける相場(特定の銘柄の買い集め等)は、相場操縦、インサイダー、フロントランニング、自己思惑等々と、現在の規制環境下では、その手法のほとんどが違法・ルール違反のオンパレードではあるが……。この証券会社の社員という枠の中では納まらない主人公を、事あるごとに気にかけ見守っているのが、興業証券の創業社長の大戸(遠山)であった。

零落した生家を再興させたが・・・

 戦後証券界の大立者とされてはいるが、兜町で投機に生きてきた大戸の心のうちに流れる相場師の熱い血を、著者の清水は、次のように語らせている。

 「彼の生家はその地方きっての名家であった。その名家も父の代に没落した。大戸にとって、生家の再興は畢生の執念であつた。零落した生家の再興……。しかしそれはとてつもない浪費であった。だが彼はその浪費のために働き、浪費によって大戸家にまつわる汚名をそそいだ。…… 大浪費こそが、勝負に生きる男に、儲けの実感を汲み取らせてくれる。彼はそう信じてきた。しかしいま、興業証券だけは、なんとしても浪費の対象にしてはならないと思うようになってきた」

 現実に遠山は、証券会社経営の近代化を図るため、日興証券の経営を日本興業銀行からスカウトした湊守篤に託し、思いの詰まった遠山記念館を財団法人化して、1972年にその生涯を終えた。しかし、四大証券の一角とされた日興証券は、バブル期以降、外国資本の下に入るなど変転を続け、現在は三井住友FGの傘下のSMBC日興証券となり、そして、遠山が後継にと密かに願った三男の直道は副社長在任中の1973年、フランス ナント上空のイベリア航空機事故により亡くなっている。

 また、紅葉の季節にでも、遠山の思いが凝縮したようなお屋敷を訪ね、終戦後の混乱期そして昭和30年代の高度経済成長のただなかで、相場師たちが躍動した株式市場、清水一行が描いた頃の兜町の兵どもの夢の光景に思いをはせてみよう。                                      


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メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告