日誌


2014/11/14

POLITICAL ECONOMY 第25号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
新疆ウイグル自治区の経済格差と民族問題そして国民国家

                                                     経済アナリスト 柏木 勉

 世間は衆院選挙で騒がしいが、そんな日本からはるか遠く離れて、今回も中国の新疆ウイグル自治区の問題を書かせてもらう。といっても向こうはテロと衝突、弾圧の繰り返しで、日本などと比較できないほど物騒で緊迫した情勢だが。

大きな経済格差と苦しむ民考漢—大きい言語の問題—
 
 新疆ウイグル自治区をめぐる問題は宗教もからんで多くの側面があるが、紛争の原因は、まずは経済格差と考えるべきであろう。貧しいほうにウイグル族が集中し、豊かなほうに漢族が集中するので「ウイグル対漢族」という構図になり「民族対立」に転化してしまうのだ。

 ウイグル族と漢族との経済格差が大きいことは確かだ。この経済格差の分析を紹介すると、大西広氏が現地調査も含めた計量分析を行っている。これは2010年以前の中国の統計によるので少し古いが、趨勢的に大きな違いはないだろう。

 それによれば、ウイグルの低所得の理由として①ウイグルの就業が農業中心であり、かつ農業は過剰労働力の状態にあり低生産性である②自治政府によるウイグル集中地区からの労務輸出は相応の所得をもたらす。だが出稼ぎ労働者は学力不足、農作業しか経験がなく雇用されない③学生の漢語能力不足、学力不足で十分な就職につながらない。以上3点が主に挙げられている。特に漢語学校で学ぶ少数民族の子弟は「民考漢」と呼ばれ、漢語教育の難しさから漢語能力、学力とも宙ぶらりんの状態にあり、ウイグル社会と漢民族の狭間で苦しんでいる。市場経済のもとでは、かっての国有企業の様に民族別に雇用の割合を決定するわけにもいかない。格差縮小にむけた様々な支援もなされているが、なかなか期待された大きな効果を生むまでにはなっていない。

 しかし、漢族の間でも貧しいものと豊かなものがいる。同じ漢族のあいだでも経済格差はすさまじいものがあることは周知のことだ。だから少数民族(ウイグル、チベット等)の中から豊かな者が多数出てくれば、民族対立は徐々に解消していくとの中国政府の方針は間違ってはいない。その様にとりあえずは云える。なぜなら現に漢族と満州族、朝鮮族等の間では、他に
チベットを除いて大きな民族問題は発生していないからだ。

経済格差縮小でおさまるか

 しかし、経済格差の縮小でことは収まるかといえば、そうはいかないだろう。分離・独立派は、単に経済格差だけでなくウイグルは4000年の独自の歴史を持つとか、突厥の時代からウイグル帝国を経て清や中国共産党の侵略まで独自の王朝をいくつもつくってきたとか主張しているからだ。これに対して中国政府は、ひとつに確立されたウイグルの歴史やトルコ語系の諸民族を統一した国家は存在しないと真っ向から否定している。

 これをどう考えるかだが、どっちもどっちだ。なぜなら双方とも民族という枠内で対立しているにすぎないからだ。だが、中国政府の主張を受け入れたとして、それでは逆に漢族の統一的歴史など存在するのか?

 漢族は中国大陸や北アジア、西アジアの中の諸民族の抗争と交流によって、諸民族が入り混じって生まれてきた雑種である。何千年も前から純粋の漢族が存在していたわけではない。長く存続してきたのは天命を受けた皇帝と官僚制と漢字の使用というシステムである。このシステムの上に、諸民族が抗争し勝利した側が乗っかることで表面的に同じ中国の王朝の交代に見えていただけである。

 そもそもウイグルであろうが漢族であろうが(「日本人」その他も同様)、民族意識なるものは幻想なのだ。従ってナショナリズムも幻想である。それらは近代国民国家の国民を形成する際に、多くの国家が遠い過去の民族の歴史に自己を投影してアイデンティティーの根拠にしてきたものである。だが、遠い過去の民族の世界は、近代国民国家とは異なり「国民」も「領
土」も「国境」もなかった。そしてなによりも現代の我々が理解できない異境、異界だったのだ。

遠い過去の世界は異界・異境の別世界—国民国家の相対化を—

 紙面の都合でひとつだけ例を挙げれば、歴史というものは時間意識を大前提にする。現代の我々は過去から現在そして未来へ流れる時間を大前提にして生きている。しかし、例えば聖書をとりあげれば、ヘブライ語で書かれた聖書には過去・現在・未来が存在しない。ヘブライ語には時制がないからだ。ということは、そのころのヘブライ人は過去も現在も未来もない世界に生きていたということだ。その後、時制を持つギリシャ語に訳されて、世界創造から終末へと時間軸にそった物語が初めて生まれたのだ(元々の聖書は改ざんされたのだ)。

 また、古代スカンディナビア人(ゲルマン)の世界も時間の流れは存在しなかった。さらに13世紀より前の欧州を見ると、現在の我々からすると時間を追っておこっていく物事が1枚の絵に並置されて描かれたものが多い。つまり因果関係という観念がなく物事はバラバラに空間的に並置されている。叙事詩や物語でも同様である。欧州が時間の流れに意識的になるのは13
世紀以降である。このような時間の存在しない世界と現代に住む我々がつながることなど不可能である。

 この一例でもわかるように、「2000年とか4000年の我々の歴史」とか主張しているが、そんなものはありえない。人間は変わる。遠く離れた昔の世界と現在の世界は切断されているのだ。連綿と続く民族の歴史など存在しない。いわゆる歴史的民族を基盤にした国民国家は形成されてからせいぜい200−300年をすぎたばかりであり、そのようなものを絶対視せず相対化する視点が必要不可欠だ。

 だがそうは云っても当分は国民国家は続きそうだから、その上でウイグル、チベットを考えれば、中国政府はこの2地域との関係を緩やかな連邦制とすべきだろう。この連邦制は、周辺地域に直接干渉せず統治は地域の支配者に任せるという、かつての朝貢外交を新たな次元にひきあげたものになるべきだろう(中華ナショナリズムを煽っている共産党では当分は無理だと思うが・・・)


10:54

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


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