日誌


2019/02/20

POLITICAL ECONOMY137号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
社会主義の鍵は人々の間の主体的合意形成
                    経済アナリスト 柏木 勉

 AIやビッグデータ、量子コンピュータ等に関するマスコミ報道を見ていると(すみません、私はこの種のまともな本を読んだことがない)、「社会主義の計画経済が可能になるのか」などと考えたりする。NP問題(一定の制約下の最適解を求めても爆発的な計算量で事実上不可能という問題)も一部計算可能になったとか。計算量の問題が技術的に解決すれば計画経済に一歩近づくといえるのか・・・電脳社会主義?

 しかし問題の本質はそこにはないだろう。問題は人々の間の合意形成にある。ごくごく単純化すると「何をどれだけ生産しどれだけ消費するか(投資するか)」の合意だ。この主体的合意形成が鍵である。かつての共産圏では一党独裁のもと、中央の一方的な指令で人々は働かされた。これでは普通の人々が生産と社会の主体になれない。疎外された労働そのものである。
 
人々の合意形成?たわけたことを!

 ここで、ネットの画面を流していたら、マルクスの墓が落書きされて碑文もハンマーで殴られたとの記事が出てきた。EU内で反緊縮の左派が伸びてきた事への反感だそうな。落書きは「ボリシェビキ・ホロコーストの記念碑 1917年 1953年 犠牲者6600万人」「大虐殺とテロ、弾圧、大量殺人の建築家」等々。墓を毀損するのはけしからんと思ったが、眺めているうちに「落書きの言葉自体は正しいな」と色々考え始めた。

 犠牲者6600万人ははっきりしないが、何百万人から数千万人まで、いずれにしても大量の人間が殺害されたのは事実だ。だが、スターリン主義の罪を直接マルクスになすりつけるのは誤りだ。プロレタリアート独裁は一党独裁にあらず。一党独裁と「人々の間の合意」は相対立する。アジア的専制下の特殊ロシアが生み出した職業革命家、それらが生み出した一党独裁。「人々の合意形成?たわけたことを! 7、8割は読み書きもろくにできない農民だ。党が全てを指導するのだ」 
 
恐るべき党物神化

 ロシア革命は多面的に検討されてきたが、ここでは一党独裁を支える心性についてだけ触れる。まずレーニンは述べた。「プロレタリア独裁は党によって実現される権力である。それは暴力に依拠しており、いかなる法にも束縛されない」。

 これについてピャタコフは述べる(ピャタコフは党の中枢にあったが、当時党を除名され、復党を願い出ていた)。その時(1929年前後)語ったものだ。憂鬱になってくるが、長い引用をさせてもらう。

 「・・・いかなる法にも、いかなる制約にも、いかなる障碍にも束縛されぬという自由な暴力に立っているとき、・・・行動不可の範囲は極度に圧縮されて零に至る・・・不可、実現不能、許容できぬといわれるものを全て実現するというイデ―を担う党、それがボリシェビキだ・・・その党内に身を置くことの栄誉と幸福の為なら、我々は矜持も自尊心もその他全ても犠牲に供すべきなのだ。党に復帰するに当たって我々は党から指弾を受けた信念を頭脳からたたき出すのだ。反対派に属していた時に我々が擁護したもの、それがその信念であったとしてもそうするのだ・・・暴力に関する思想に貫かれる我々は、その暴力を我々自身にふりむける。そして、党が要求するならば党にとって必要であり重要ならば、多年にわたって持っていたイデ―を24時間以内に頭脳からたたき出すという意志行為をあえてなしうるのだ・・・自分自身を破砕して党と全く一体化するためにこの暴力にうったえるということ、その事の内にこそ本当の思想的ボリシェビク・コムニストの本質が現れる・・・私が白とみなし、また私に白と見えたものをこれからは私は黒とみなす。というのも党の外では、党との合致なくしては、私には生がないからだ・・・党外にあること、それは零ということだ・・・党がその目的実現のために白を黒とみなせと要求するなら――私はそれを受け入れ、それを自分の信念にする・・」
(平凡社「ドキュメント現代史4・スターリン時代」)

 この恐るべき党物神化!極限化された党フェチシズム!ボリシェビキにとって禁止されるべきものは何もない、何をしてもいいのだ。党に白を黒とみなせと云われれば、それがどれほど苦痛で過酷であっても応ずる。なぜなら党の外は零であり、生きる意味がないからだ。そうであるならば党の外にいる民衆、普通の人間の価値も零だ。零の存在ならどうなるのか? 

 これが大粛清、大量殺戮、大量死に至る飢餓、極地への大量追放、収容所群島の構築の大きな要因になったことはまちがいない。

 特殊なロシアというアジア的専制の精神風土のもと、スターリン主義という恐怖政治が確立したのである。それは社会主義・共産主義とは無縁の存在だった。

 だが、いまだに「無縁の存在だった」と云えないで未練を残している人達がいる。そして中国共産党や北朝鮮等々、「社会主義」を標榜する支配者に未練を残す人もいる。この未練は一刻も早く消え去っていただきたい。


17:54

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

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次回研究会案内

次回研究会決まり次第掲載します




 

これまでの研究会

第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)


第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告