日誌


2023/06/09

POLITICAL ECONOMY第241号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
現実を忘却させるナショナリズム 
               経済アナリスト 柏木 勉

 現在、グローバル化への反動が大きくなって、米中対立をはじめとした国民国家の対立が激化している。しかし、世界史的段階という観点からは、すでに国民国家は消滅の段階にはいったというべきだ。この消滅の流れを加速化させなければならない。資本の世界的展開からすれば、経済のグローバル化は止まらない。この経済のグローバル化が結局は国民国家や国民意識を消滅させていくのだが、人間の行動は観念を通さなければ現実のものにならない。従って観念の上で(思想的に)国民国家や国民意識を克服しなければならない。そこで問題になるのがナショナリズムである。このナショナリズムは依然として残存し、その影響力が人間と人間の殺し合いを演じさせている。そこで、今回はウクライナ戦争にも若干触れつつ、ナショナリズム克服の端緒を1、2点述べさせていただきたい。

ナショナリズムの歴史的相対性

 まずは、ナショナリズムの歴史的相対性を再確認することが必要だろう。ナショナリズムによって形成されてきた国民国家はたかだか2百数十年前にできたものにすぎない。つまり、ごく最近、近代以降に形成されたものでしかないのだ。この歴史的起源を忘却してはならない。はるか遠い大昔から存在してきたかのような「祖国」は虚構である。近代以前には日本人も中国人もフランス人もドイツ人等々も存在しない。日本で言えば、日清戦争を通じて日本国民・日本人が形成されたのだ。それ以前には日本国民は存在しない。幕末になっても一般民衆には同じ日本人とか同じ日本国民などという意識は存在しなかった。薩摩藩の農民や会津藩の農民の間に、同じ日本人とか同じ日本国民などという意識は存在したか?と問えばすぐわかる。また対外的意識においても、馬関戦争では長州の百姓たちは外国軍の砲弾運びを嬉々としておこなっていた。

 つまり、ナショナリズムは近代以降に歴史的起源を持つものであり、歴史的起源をもつものは、歴史的に新たな存在によってとってかわられるということだ。

ウクライナ国民の誕生とその幻想

 ここでウクライナについて、少しふれる。小生はウクライナ戦争なるものにはあまり関心がない。日本のマスコミは連日大騒ぎしているが、それは彼らにとって他人事の戦争ゲームであり、欧米が騒いでいるから自分たちも大騒ぎする欧米コンプレックスにすぎない。まさにプロパガンダである。

 小生が多少関心をもったのは、ウクライナの動向からウクライナ国民の形成が見られたからである。いまごろになってやっと国民意識ができてきたのだ。

 ウクライナは、オリガルヒとそれに癒着した政治家が支配する腐敗・汚職大国だった。破綻国家といわれてきたゆえんである。この状況は基本的にはロシアと同じだった。2014年以降の8年間の戦闘でも汚職天国に変化はなかったが、戦争で国民意識が形成されるのはどこでも同じだ。2014年のロシアによるクリミア占領はウクライナの国民意識誕生に大きく貢献した。

 東ウクライナのハルキウでマイダン運動に参加し、ドイツ紙に寄稿した若い知識人ジャーダンは次のように述べている。

 「突然、われわれすべてがなにか失うものをもっている、なにか賭けなければならないものがあるということが明らかとなった。突然われわれすべてが一つの祖国をもっているということが明らかとなった。経済的に弱く、社会的に不公正で、汚職にまみれているとしても、やっぱりわれわれの祖国だ。ほかに祖国はない。この共属感情、この共通の国境をもっているという感情は軽率に無視するにはあまりに根本的で、重要だ・・・」(注:伊東 孝 「ウクライナ ―国民形成なき国民国家」 スラブ・ユーラシア研究センター・2014年6月9日付)

幻想による国民意識、国民国家の形成―国民国家など命をかけるに値しないー

 これがナショナリズムという幻想による国民の形成だ。なぜ幻想かと云えば、現実は「経済的に弱く、社会的に不公正で、汚職にまみれている」。だが、この現実よりも「我々の祖国」という幻想が強力になる。現実は脇におかれて、幻想が頭を支配し、戦争にかりたてる。歴史的に形成された共同幻想が、新たに一体となった「国民」というもの、「国民国家」というものをつくりあげるのだ。現実は経済的に弱く、社会的に不公正で汚職にまみれてけっして一体ではない。だが、何か崇高な一体性が頭脳の中だけにつくられる。

 「経済的に弱く、社会的に不公正で、汚職にまみれている」のはロシア国内も同じだ。現実は両国の民衆にとって同じなのだ。すると、ウクライナの民衆はロシア民衆と共に「反プーチン=反ロシアオリガルヒ、反ロシア保安局」、同時に「反ウクライナオリガルヒ、反腐敗・反汚職政治」を掲げて闘うべきということになる。それが現実と闘うということになる。両国の民衆が共闘して互いの支配体制と闘うべきなのだ。

 だがナショナリズムは現実を忘却させる。「ロシア対ウクライナ」の構図によって、両国の民衆が殺しあう。米中対立、日本国民の反中国、中国国民の反西欧・反日」という構図も全く同じだ。祖国防衛キャンペーンにたぶらかされてはならない。「祖国」のために互いに殺しあって、どちらの「祖国」が勝とうとも、その後は以前の支配体制がそのまま続くか、あるいは新たな支配体制に変わるか、どちらかだ。どちらにしても支配の体制がつづくことに変わりはない。従って国民国家など命をかけるに値しないのだ。たぶらかされてはならない。


13:40

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

LINK

次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告