日誌


2024/01/21

POLITICAL ECONOMY第256号

Tweet ThisSend to Facebook | by:keizaiken
最新台湾事情~独裁反対・民主自由の国~(上)
元東海大学教授 小野豊和

 人口2,300万の台湾の歴史を見ると、日本統治の50年間があり、その中で親日感が育っていった。日清戦争処理の下関条約により、当時中国大陸を支配していた清朝から台湾が日本に割譲され、1895年4月17日から日本による台湾統治が始まった。第二次世界大戦で日本が降伏すると、1945年10月25日に中華民国政府が台湾省を設置し管轄権を行使することで50年に及んだ日本統治が終了した。統治下における教育行政は「日本人の優位確保」と「現地住民の日本的慣習への同化」に重点が置いたが、大陸の朝鮮統治が強制的な日本化だったことと異なり、異なる文化を守りながら、日本人、台湾人、原住民の三種類の学校を作った特徴がある。

 初代総督の樺山資紀につぐ第2代桂太郎、第3代乃木希典は共に陸軍大将で、武力による支配を基本的な方針としていたため民衆の心をつかめなかった。1898年2月に第4代総督に児玉源太郎が就任すると、現場の実務を民政局長(のち民政長官)の後藤新平に任せると、後藤は軍人ではなく、医師から衛生行政に転じた経験から現場重視の政策を行うことで次第に民心を掌握し台湾の情勢が安定してきた。例えば、伝染病対策、南部における大規模なダム工事と水路の組み合わせによる農地開発を行った土木技師の八田與一、品種改良を重ねて台湾の気候に合った「蓬萊米」を生みだした農学者の磯永吉、台湾中心部の日月潭(湖)に揚水式水力発電所建設で工業化を支えた実業家の松木幹一郎など、台湾の発展に寄与した日本人がいて、50年にわたる日本統治時代を全否定するような歴史解釈はなく、今でも親日感が高い。

 最近の世論調査では、「台湾の人々の対日意識」(日本台湾交流協会2022年1月)で「最も好きな国」は日本が60%(2位は中国で5%)」、「日本に親しみを感じる」は77%、「日本に旅行したい」は89%である。日本人の対台意識(駐台北経済文化代表処2021年11月)では「台湾に親しみを感じる」は75.9%

、「現在の日台関係は良好」は71.4%、「台湾を信頼している」は64.8%で両国とも親近感が高い。また「台湾における日本語学習者」は143,632人で世界第8位(国際交流基金)だが多い方だ。

 観光スポットにもなっている花蓮県の大理石で造られた巨大な中正記念館は蒋介石の偉業を象徴していて、蒋介石像の前で行われる儀仗兵の交代(写真)は観光資源になっている。国民党による一党独裁政治は元々台湾に住んでいた民衆の虐待を繰り返し、やがて反政府運動が激化し、美麗島事件がきっかけとなり、蔣経国総統の時代に政党結成を解禁し、ようやく普通選挙が行われるようになるが、そこに至るまでは中正広場などで反政府デモが起こり、民衆の虐殺が繰り返された暗い歴史がある。

美麗島事件、米国との断交、一党独裁が終結

 1972年2月21日のニクソン大統領の電撃訪中後、米国は1979年1月1日の米中国交正常化に伴う米台断交で、中華民国から中華人民共和国に外交承認を切り替えた。これを機に台湾では「独裁反対、民主自由の実現」を目指す運動が高まり、1979年6月2日に無党名の政党結成を目的とした雑誌『美麗島』(ポルトガル語のフォルモサに由来する台湾の異称)が台北市で創刊される。1979年1月21日に初めての反政府デモが行われ、1979年11月、世界人権デー(12月10日)に合わせて台湾人権委員会が大規模デモを申請すると、国民党政府は、デモを予定していた1979年12月10日に全てのデモ活動禁止を宣言した。

 『美麗島』のボランティアがデモ日時を知らせるビラ配布で逮捕されると、活動家が警察に対し即時釈放を要求する。釈放が行われるがこの事件を機に、デモへの参加を計画していなかった多くの活動家が高雄に向かい12月10日午後6時にデモを開始し治安部隊と衝突した。美麗島事件が民進党の政治的出発点となる。1987年に蔣経国総統が政党結成を解禁し一党独裁体制が終結し、民進党と国民党がほぼ交代で政権を取るようになった。(づく

13:40

メルマガ第1号

金融緩和による「期待」への依存は資本主義の衰弱
                                                                   経済アナリスト 柏木 勉

 日銀の新総裁、副総裁が決定して、リフレ派が日銀の主導権を握った。副総裁となった岩田規久男氏は、かつてマネーサプライの管理に関する「日銀理論」を強く批判し、日銀理論を代表した翁邦雄氏と論争をくりひろげ、その後も一貫して日銀を批判してきた頑強なリフレ派である。

 さて、いまやインフレ目標2%達成に向けて、「「期待」への働きかけ強化」の大合唱となっている。この「期待」は合理的期待理論として欧米の主流派を形成している。そのポイントはこれまでにない大胆な金融緩和による「期待インフレ率の上昇」とされている。これによって実質金利を低下させ、それを通じて日本経済が陥っている流動性の罠からの脱出が可能になるというわけだ。ちなみに、近年ブレーク・イーブン・インフレ率なるものがよく出てくるが、これは普通国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いて計算したものであり、期待インフレ率を表すとして利用されている。この期待インフレ率は、アベノミクスが騒がれ出してから、最近では1%程度にまで上昇してきた。同時に株高、円安が進んだ。これを見て「期待への働きかけ」は十分可能であり、現実に実証されつつあるとしてリフレ派の勢いは一層増している。

 リフレ派の主張に対しては様々な反論がなされている。その極端なものとしては、財政赤字が拡大する中で日銀が国債購入を増大させれば、財政ファイナンスとみなされ国債の信認(償還への信頼)が低下し、国債価格暴落で金利の急上昇がおこるというものだ。この時、設備投資はもちろん失速、財政は危機的状況をむかえる。もうひとつはカネを市中にジャブジャブに出していくわけだから、%インフレにとどまらずハイパーインフレをまねくというものだ。

 だが前者に対しては、いまだ家計の現金・預金が昨年で850兆円に増加し外国人の国債保有率も9%弱にとどまっているし、日本の金融機関の国債への信任は当分大丈夫だとか、また少なくとも今後の国債の新規発行分についてはその大半を日銀が購入してしまえば金利の大幅上昇はないとかの再反論がある。

 後者については遊休設備と多くの失業者を抱え潜在成長率との需給ギャップが大きい。だからハイパーインフレなどあり得ないとの再反論がある。その他様々な論点について論争はかまびすしい。

 だが問題は、リフレ派はデフレによる実質金利の上昇に焦点を絞っているのだから、実質金利と景気とりわけ利潤率との関係を見ることが必要だろう。実質金利の推移をみると、2000年代に入って近年まで実質金利は高い時でせいぜい2%強程度ときわめて低水準で推移している(ただし、リーマンショック直後を除く)。ちなみに80年代は5%台を上回っていたのである。そのなかでいざなみ景気は戦後最長を記録した。この間平均してCPIはマイナス.2%程度、実質経済成長率は2%弱と、日本経済はデフレ下で成長したのである。

 その後はリーマンショックにより大幅に落ち込み、回復ははかばかしくないが、ともかく2000年代全体を通じて、実質金利は長期にわたり低水準で大きな変化がないにもかかわらず、好況、不況が生じている。つまり景気の転換を左右しているのは実質金利以外の要因であり、例えばいざなみ景気の起動力となったのは、物価デフレよりも資産デフレからの脱却、デジタル家電を先頭としたデジタル革命、世界の工場となったアジアの生産ネットワークの形成、金抑制による労働分配率の低下であった。

 実質金利が高いと云う場合、何に対して高いのかが問題だが、むろん利潤率に対してだ。高くて2%程度の実質金利をクリアーできない利潤率が最大のネックなのだ。これを突破するのは最終的には不況下の合理化投資と需要創出型のイノベーションだ。デフレ下の低価格であっても利益を生むイノベーションである。しかし現状では200兆円におよぶ内部留保を抱えながら投資が低迷している。これはケインズの謂う企業家の「血気」の喪失というほかないだろう。
 
 そもそもインフレ期待を生むために、中央銀行による市場への説明能力やコミュニケーション能力などという小細工が大問題になるのは笑止千万というべきだろう。政府・日銀による「期待」の醸成という、お情けの支援なしには自ら投資に打って出ることができない。それほど「血気」が失われているわけだ。

 結局のところ、金融主導で金融面から資産効果を引き起こし、それによってようやく実体経済が動き出すというパターンしかとれず、それがまたバブルの形成・崩壊を繰り返すというのが現在の資本主義である。グローバル化で市場経済が世界中に浸透しているかの如く見えようとも、資本主義の中枢部分をなす先進国は、「期待」の醸成に頼るしかないという衰退の段階に入っている。

 

LINK

次回研究会案内

次回の研究会は決まっておりません。決まりましたらご案内いたします。

 

これまでの研究会

第35回研究会(2020年9月26日)「バブルから金融危機、そして・・・リーマン 兜町の片隅で実務者が見たもの(1980-2010)」(金融取引法研究者 笠原一郎氏)


第36回研究会(2020年11月28日)「ポストコロナ、日本企業に勝機はあるか!」(グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢氏)

第37回研究会(2021年7月3日)「バイデン新政権の100日-経済政策と米国経済の行方」(専修大学名誉教授 鈴木直次氏)

第38回研究会(2021年11月6日)「コロナ禍で雇用はどう変わったか?」(独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員 高橋康二氏)

第39回研究会(2022年4月23日)「『新しい資本主義』から考える」(法政大学教授水野和夫氏)

第40回研究会(2022年7月16日)「日本経済 成長志向の誤謬」(日本証券アナリスト協会専務理事 神津 多可思氏)

第41回研究会(2022年11月12日)「ウクライナ危機で欧州経済に暗雲」(東北大学名誉教授 田中 素香氏)

第42回研究会(2023年2月25日)「毛沢東回帰と民族主義の間で揺れる習近平政権ーその内政と外交を占う」(慶応義塾大学名誉教授 大西 広氏)

第43回研究会(2023年6月17日)「植田日銀の使命と展望ー主要国中銀が直面する諸課題を念頭に」(専修大学経済学部教授 田中隆之氏)

第44回研究会(2024年5月12日)「21世紀のインドネシア-成長の軌跡と構造変化
」(東京大学名誉教授 加納啓良氏)


これまでの研究会報告