『星の王子様』考
内藤濯の独特の翻訳手法とサン・テグジュペリへの思い入れ
元東海大学教授 小野豊和
“『星の王子さま』の翻訳者・内藤濯を生んだ熊本事情”の後編として内藤濯氏の独特の翻訳手法とサン・テグジュペリへの思い入れについて考察した。
サン・テグジュペリは1944年7月31日に自由フランス軍のパイロットとしてアルジェから偵察飛行に出たまま不慮の人となるが、日本で『星の王子さま』と訳された原書の『Le Petit Prince』は行方不明になる1年前の1943年にアメリカで出版された。翻訳者の内藤濯がこの本に出会ったのは出版から9年後の昭和27(1952)年6月で、児童文学者の石井桃子から持ち込まれたことによる。ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』を訳した山内義雄先生が「この美しいリズムを訳文に活かせるのは、内藤先生のほかにありません」と言っている。
内藤は70歳になっていたが、原文を読み「思索の書でもあり、社会批評の書でもあり、恋愛の書でもあって、世にいう童話の域をはるかに超えている」「そこには散文の域を超えた、まったくの詩で息づいているリズムの高雅さ感じる」(『未知の人への返書』から)と感想を述べている。特に、序文の一節「…おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもない)…」に感動する。1953年5月に『星の王子さま』として岩波書店から岩波少年文庫の一冊として出版されるが、内藤が生涯掛けて追い求めてきた日本語としておかしくない訳語の発見の集大成だったと言われている。
1883年(明治16年)に肥後熊本で生まれた内藤は、廃藩置県後、人の交流が自由になったが、持って生まれた肥後弁を愛した。兄の勧め(いまさら英文学はあるまい。あまり人が手をださぬ外国語に挑戦してこそ男の本懐ではないか)に従って東京に出て、第一外国語がフランス語の第一高等学校文科丙類で学ぶ。さらに東京帝国大学フランス文学科へ進学すると、政府が招聘したフランス人講師から生のフランス語を学び、やがて国費留学生としてフランスに渡る。文学青年だった内藤は、文学座等の劇団に関わり、モリエール、ロシュフコー等の翻訳に力を入れていった。
韻を楽しみながら探す最良の訳語
内藤は独特の翻訳手法を編み出す。部屋に籠もって辞書片手に原稿用紙に文字を書き込んでいくのではなく、広いサロンで詩を朗読するように大声で原文のフランス語を何度も読み上げ、その韻の感覚を脳裏に浮かべながら日本語への変換を行うのである。訳にふさわしい日本語を思い浮かべ、今度は日本語を声を出して何度も読み上げ、韻を楽しみながら最良の訳語を探していく。悠長な時間が過ぎていくが、納得がいくと弟子に命じて、決定文として記録させていく。年初に宮中で行われている歌会始は読み手が独特の節をつけて三度歌い上げる。この手法を知っていたかは分からないが、内藤は、フランス語の原文を何度も読み上げ、翻訳の日本語を推敲していった。
表題の『Le Petit Prince』は直訳すると『小さな王子』になるが、地球という星を題材に王子が語る場面を思い浮かべながら『星の王子さま』に決めた。サン・テグジュペリはフランス空軍のパイロットとして、植民地の北アフリカ地域を飛ぶことがあり、サハラ砂漠の上で空想にふけることがあったり、時には不時着事故も起こしている。当時の世界は日独伊の枢軸国が武力によってこの地球を我が物にしようと競い合っていた。三本のバオバブのデッサンは枢軸国を象徴しているが、宇宙的視点で地球を見る場面が多く出てくる。
列強の支配下にある地球が食い荒らされ、滅びてくことを危惧する。地球で暮らす動物たちとの友好と平和を求め、そこに安らぎを得たかったのであろう。孤独な王子は砂漠に迷い込み、きつね、羊などと出会い会話を重ねる。文章だけでなく、蛇に飲み込まれた象の描写なども面白い。ドイツ・イタリア・日本の枢軸側の三国に対して適切な対応をしなかったため、第二次世界大戦を引き起こした国際社会への批判を伝えたかったとも言われている。
日常的は会話を連想させる文章
さて、独特の手法で翻訳された文章は面白い。参考までに一部であるが紹介する。すべてが肥後弁ではないが、日本語としてのユーモアを感じさせ、また日常的は会話を連想させる文章は面白い。特に最終章では、平仮名で表わしているが地球を守りたい気持ちを風刺的に表現していると言える。
【最終章】…そこで、ぼくは<王子さまの星の上では、いったい。どんなことが、もちあがったかしら。ヒツジが花をくったかもしれない……>など考えています。…空をごらんなさい。そして、あのヒツジは、あの花をたべたのだろうか、たべなかったのだろうか、と考えてごらんなさい。そうしたら、世のなかのことがみな、どんなに変わるものか、おわかりになるでしょう……。そして、おとなたちには、だれにも、それがどんなにだいじなことか、けっしてわかりっこないでしょう。
【第1章】ウワバミの話
Serpants boas 大蛇⇒ウワバミ
J’ai abandonne, 放棄した⇒ふっつりとやめにしました
【第2章】ぼっちゃんとの出会い ヒツジの絵を
Un boa c’est tres dangereux, 大蛇は大変危険⇒ウワバミって、とてもけんのんだろう。
*剣呑(あぶないこと)
【第4章】おとなのひとは肝心要のことは聞かない
Alors elles s’ecrient すると、叫んだ⇒すると、おとなたちは、とんきょうな声をだして
*頓狂(突然、ひどく調子外れの言動をするさま)
【第5章】バオバブの話、バオバブはけんのん(危険)
j’apprenais qeulque chose sur…私はいくらかのことを知る⇒王子さまは、なんということもなく知るようになりました。
【第7章】バラの花とトゲ
J’etais tres soucieux大変心配した⇒気が気でありませんでした
l’eau a boire qui s’epuisait me faisait craindre le pire.
飲み水は私を最悪の恐怖にさせた⇒飲み水も底をついていて、手も足もでないことになりそうだったのです。
【第10章】 王様と家来
s’enquit timidement le ptit prince.王子は臆病に尋ねた⇒王子さまはオズオズとききました。
【第21章】 キツネとの対話
on ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux.
心でしかよく見えない。本質は目に見えない⇒心で見なくちゃ、ものごとは見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ
【第22章】 転轍手
ecrasent leur nez contre les vitres. 窓ガラスに鼻を押しつぶす⇒窓ガラスに鼻をぴしゃんこにおしつけてるんだよ。